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四月二十二日 ナイトメア・スタート

小説部部長、天道時時雨は渡された小説を見て頭痛を抑えていた。

「……………いいかい、僕は出来れば面白おかしい小説を書いてきてくれって言わなかったかな?」

 悩みの種となっている目の前の小説部員に目を向ける。

「…………え?これでいいんじゃないんですか?先輩の言ったとおりに書いたつもりなんですけど…………」

 首をかわいらしくかしげているのだが、時雨にとってはとぼけているとしか見えていなかった。

「君、どういった小説を書きたいって言ってたっけ?」

 机から文化祭への小説分担表を取り出して確認する。

「えと、確か面白い小説を書いてくるでしたっけ?」

「そうそう、それであってるよ…………けど、これはどうみても僕の過去だよね?」

 恨めしそうに目の前の女子部員を見てそんなことを言う。

「ええ、まぁ………でも、面白かったと思いますよ?」

「僕は面白くない」

「でも、ノンフィクション作家になるのが夢ですから…………」

「そんなことを言ってもなぁ…………」

 再び文句を言おうとした時雨たちの元に頃合を見計らったかのように訪問者が訪れる。ぼろぼろの扉がぎぎぎ………といやな音を立てて開いた。

「…………時雨君、まだ帰らないの?」

 そこに現れたのは幼馴染の霜崎亜美だった。

「え、ああ………霜崎さんか」

 意外そうな顔をしながらも時雨は立ち上がる。立ち上がったのだが、まだ未練があるのかあの小説を手放してはいなかった。

「あのさ、今日何か用事があるって言ってなかったけ?」

「え、ま、まぁ………そうなんだけど………どうして霜崎さんが知ってるの?」

 クラスでしゃべったのだが、彼女にしゃべっていたわけではない時雨は首を傾げるも彼女は当然だとばかりに言ってのけた。

「それはまぁ、同じクラスにいれば聞こえてくるときはあると思うけど?」

 ちなみに、霜崎亜美は隣のクラスである。

「ん〜…………そうなのかな?とりあえず僕は帰るよ。他のところに行っている部員たちには今日は自由解散だって言っておいて?」

「わかりました」

「うん、ありがとうね」

「いえいえ」

 そんなやり取りをしている時雨たちにじとっとした目線を向ける霜崎亜美。だが、時雨は気づかずに鞄を持って部室を出たのだった。

――――――

 時雨と霜崎亜美がであったのは五歳ぐらいだったのだろう。

毎朝、共に幼稚園へと向かい、隣の席でいつも一緒にいた。

しかし、世界がいつも同じ風景を見せることはないように彼らの関係も離れていくこととなった。

小学校に入ると時雨は主に男子たちと遊ぶようになり、そんな時雨を霜崎亜美は影から見ていたりもしたのだが、別に彼女が暗い性格というわけではない。どちらかというと時雨のほうが陰のあるところがあった。まぁ、一般的な生徒だといっていいだろう。それに比べて霜崎亜美は明るく笑ってクラスの先頭に立っていた。高校二年になって生徒会長に立候補するも負けてしまったので今では副生徒会長となっている。

 夕焼けが沈みそうで沈まないといった中途半端な状態を珍しく二人して帰路へとついていた。

「ねぇ、時雨君ってあの子と彼氏彼女の関係?」

「あの子?あの子ってどこの子?」

 少し調子外れたような返答をした時雨にむっとしながらも彼女は笑みを絶やさずわかりやすいように説明した。

「あの小説を持ってきた子」

「ああ………なるほど。いや、彼女じゃないよ?それがどうかしたの?」

「………いや、なんでもない」

 言葉が続かず、二人して奇妙な空気のまま歩いていく………もっとも、時雨のほうはそうは思っていないのだが。

「あ、あのさぁ………こうやって二人で帰るのって久しぶりだよね?」

 したから覗き込むように時雨の答えを待つ彼女は時雨の目には新鮮に映っていた。

「ん〜確かにそうかもしれないね。最後に帰ったのは小学生最後の日だったかな?その後は自転車通学になったからね」

 記憶を思い返すように時雨は頭を振る。

「うん、やっぱり小学校通ってたときが最後だね。あとは霜崎さんとは一緒に帰ってない」

「それなら、こ、これからは一緒にか、」

 帰ろうよ………霜崎亜美がそう言おうとしたときに時雨の携帯電話が鳴り出した。

「あ、ちょっとごめん………」

 携帯を取り出して耳にあて、時雨は相手と話をする。その表情を見た亜美は相手が時雨にとってとても親しい相手だと一発でわかった。相手のことをちゃん付けで読んでいるし、なんだか嬉しそうだ。時雨がしゃべっている言葉だけを聞くと先ほどの女の子のようだ………時雨はどうかはわからないが、あの子はもしかしたら…………

 霜崎亜美はそんなことを思い、自分の心にいつものような暗い影が出来たような気がした。

 時雨は電話を切って霜崎亜美のほうへと頭を下げる。

「…………ごめん、僕忘れ物をしてきたようなんだ」

「忘れ物?」

「そう、ちょっとしたものなんだけど…………」

 もう半分以上歩いてきており、ここから戻れば暗くなって学校を出ることになるだろう。

「じゃ、私もついてく」

「え?別にいいよ。そこまでしてもらわなくても。霜崎さんの手を煩わせるまでもないよ」

「いい、ついてく」

 時雨もそれなら別に構わないけど?と言って亜美と一緒に学校へと戻ることにした。亜美は時雨の手を掴んだ。時雨はそれをぎょっとしてみる。

「…………あ、あのさ…………手、握ってもいい?」

「え?」

「その、思い出に浸りたいって言うか……」

「ああ、成る程………」

 女の子って思い出に浸りたいときがあるって誰かから聞いたことがあったなと時雨は楽観的な考えをしてそうまとめた。ちなみに、彼と霜崎亜美が手を繋いだことはこれまで一度もない。

 霜崎亜美は心が満たされた状態だった。とりあえず、時雨が誰かと付き合っていたとしても今、彼の隣にいるのは自分であるとはっきりと意識していた。

「…………時雨君の手って暖かいね」

「そうかな?僕、冷え性なんだけどね」

 まったくムードのない時雨に文句も言わずに霜崎亜美はその手を愛おしそうにそっと握る。

 誰もいない路地に二人きり……しかも、もう夕焼けは沈んでいて暗い………何度夢見たことだろうか?霜崎亜美はそう思いながらこの時間がずっと続いて欲しいと思っていた。小説部の女子部員が時雨と仲良くしていたときは心にどろりとした感情が芽生えたが、今はなりを潜めている…………時雨の隣にいるのは自分であって彼女ではない…………自分だ。

「あ、あの〜………霜崎さん?」

「え?あ…………」

 気がつけば霜崎亜美は時雨を横から抱きしめる形となっていた。どうやらボーっとしている間にこうなってしまったようだ。

 時雨のほうとしてはいきなり霜崎亜美が抱きついてきたので驚いていた。そう、驚く以外の感情はすべてどこかに吹き飛ばされていっていたのである。

「え、えっと、ど、どうしたの?」

 二の腕辺りに当たる柔らかな感触にどきどきしながら時雨は霜崎亜美へとたずねる。頬は硬直していてうまく言葉がつむげない。あのまじめな霜崎亜美がこんなことをしてくるとはぜんぜん想像していなかった。いや、彼女が自分と同じ道を通っていること自体不思議な出来事だったといっていいだろう。

「あ、ちょ、ちょっと寒いから時雨君をだ、抱きしめたら暖かくなるかもって………」

「で、でも僕、冷え性だから…………」

「あ、そ、そうだったよね………」

 霜崎亜美は確かにそういったのだが一向に離れる気配はなかった。それどころか、体を時雨に引っ付けてくる。完璧に二の腕には霜崎亜美の胸が押し付けられている。

 はじめてのことで驚愕していた時雨の頭にだんだんと冷静さが戻ってきていた。しかし、腕に押し付けられている平均より大きい霜崎亜美の胸は彼の思考を半分以上ひきつけている。

 よって、時雨の否定的言葉ははっきりとすることなく口から出された。

「ぼ、僕、冷え性だから……」

「それなら私が暖めてあげる」

 彼女にも冷静さが戻ってきたのか、言葉がはっきりしていた。しかし、時雨とは対照的に彼女には離れたいという意思が伝わってこなかった。これでもかというほど時雨に引っ付き始める。

 両足に霜崎亜美は自分の足を絡め、路地に時雨と一緒にそのまま倒れる。スカートから伸びている長い足はちょっとだけ血が出ていた。

「ちょ、ちょっと…………怪我してる」

「構わない………から、その…」

 徐々に時雨の体の上に乗り、時雨の胸の上に綺麗な手をのせる。上気している顔を近づけ、霜崎亜美は目をつぶった。

「…………」

 時雨は完璧に彼女がこれから何をしようとしているのか悟った。いや、既に妄想でまさかな〜と軽く考えていたことだったのだがどうやら本当だったようだ。

 もう目の前まで迫っていた霜崎亜美の顔を凝視していた時雨だったが、彼の顔が一気に緊張した顔へと変わる。

「きゃっ!!」

 時雨は亜美を突き飛ばし、彼女の上に乗った。そして、急いで立ち上がって彼女の手を掴むといきなり走り出す。

「ちょ、ちょっとどうしたの、時雨君!」

「………………はなれないで!僕の隣にきちんといて!いや、隣にいてくれなくていいからこの手を絶対に離さないでね!」

 それだけ言うと時雨は黙って走り出した。後方から物凄い音が聞こえ、それを聞くと時雨は住宅街の影に亜美を連れ込み押し倒して覆いかぶさった。

 どん!っと鈍い音が聞こえてきて地面が揺れる。時雨と亜美の目には自転車が転がっていくのが見えた。

「…………まさか、こうなるとはね…………」

「え?」

 押し倒した亜美を立たせ、時雨は手を引いて路地のほうへと歩き出した。

 先ほどまで二人がいた場所はクレーターを形成していた。時雨が元いた場所には棒のようなものが突き刺さっている。

「あれは?」

「逃げよう、ここにいちゃ、危ない」

 冷たい、事実だけを告げる言葉。霜崎亜美は黙って頷いて不安から時雨に体を預ける。しかし、時雨は亜美を押しやった。

「…………霜崎さん、ここからまっすぐ走れるよね?」

「う、うん」

「じゃ、行って」

 時雨に背中を押されると、霜崎亜美は否定も出来ずに走り出した。

 ふと、空が視界に入る。霜崎亜美には空が歪んでいるように見えた。いや、見た目はまったく変わらない。直感的にそう思っただけなのかもしれない。だが、それは確実に歪んでいる。

 五十メートルぐらい、走っただろうか?気がつけば霜崎亜美は住宅街にいた。いや、夕焼けはまだ沈んではいなかった。

「時雨君?」

 後ろを振り返ってみるが、そこには誰もいない路地がただ、続いているだけだった。

――――――

 霜崎亜美を送り出した時雨はクレーターのほうを見ていた。

「…………まさか、こんなところで来るなんてね」

 まったく予期していなかったことを示すことに今の時雨が身を守るために使う武器は右手、左手だけだということだ。もっとも、これ以上に予期していなかったことは霜崎亜美のあの行動なのだが…………

 携帯がなり、時雨はそれに出る。相手はもう確認している。

「…………うん、うん………なるほど」

 一方的に言われる情報だけを聞き取り、電話を切る。自分がするべき行動はもう決まった。

 まだ夕日が沈むのには早い時間帯だとここではまったく役に立たない時計を見ながら呟く。時計は午前七時を指している。

 走り出し、目標へと向かう。まだ姿を現していないが、襲撃者は確実に自分を狙っているようだ。

「ちっ!!」

 右手で爆発、制服が少々破れるが関係なく走ることが出来る。問題はない。もう襲撃者を攻撃しても遅い。

「…………あれか」

 左目を金色に光らせ、時雨は空き地に不自然に置かれているオルゴールを見つける。それに向かって思い切り拳を叩きつける。

――――――

「終わったかな」

 時雨は屋上に自分がいることに気がつき、そう呟く。夕日はやはりまだ沈んでおらず、電波時計は午後五時三十二分を指していた。一陣の風が吹き、校庭の隅っこに植えられている桜の緑の葉っぱが静かに揺れる。

 霜崎亜美のことが思い出され、彼女のほうに被害がなかったかどうかたずねる必要があるだろう。

 時雨は屋上から急いで出ると、霜崎亜美と鉢合わせした。彼女はどうやら走ってきたようで今にも死にそうな顔をしていた。

「………はぁ…………はぁ………だ、大丈夫だったの?」

「え、ま、まぁ………それより、霜崎さんも大丈夫だった?」

「………うん」

 時雨は少し困った顔をした。目の前の少女の顔を見ることでさっきまでのことを思い出す。柔らかい体を思い出し、押し当てられた胸のことで頭がいっぱいになりそうになって…………やるべきことを思い出した。

「霜崎さん、悪いけど携帯電話の番号、教えてくれないかな?」

「え?」

「駄目ならいいんだけど、連絡を取りたいときに取れないと困るから」

「も、勿論いいよ!」

 携帯を取り出すと手際よく時雨にデータを送信する。まるで練習でもしたかのように…………

「ん、ありがと……僕のも一応教えておくから何かあったら電話して」

「う、うん」

 携帯電話の番号を交換すると、霜崎亜美はそのまま走り去ってしまった。

「まぁ、あんなことがあった後だからな」

 勝手に解釈し、頷く時雨だった。


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