きゅう
真っ暗な空間である。一筋の光も無い真っ黒な空間。光が無ければ反射することも無い。ただただ真っ黒に塗りつぶされた視界である。そのうちに何故だかよく分からない紋様が見えてくる気になる。
そんな空間に突如極小の十字が現れる。眼を刺し貫くほどに強烈なそれはその形を歪め、朧な扇状へと変化して空間に広がる。その先で自由に伸び行くことを阻害され、楕円形となって壁に張り付く光がある。その楕円は、ゆらゆらと振り子のように揺れていた。
「いやぁしかし、ちょっと狭いなぁ……暗いし」
ガンゴン、ガツッと頭やら肘やらをぶつけ、段差に脛を抉る様に擦られ、その度に涙を滲ませながらぶつけた部分を摩り、青年はぼやく。
ここは、ダクトの中である。しかし、その役割は大昔に停止しているようで、風の通りは無く、足踏みをすれば靴底がザリ、と音を鳴らし、ペンライトの円の中へ靄を作り出す。ペタピタ、ザリゾリ、と二つの足音とガンゴン、とぶつける音がダクト内の四角い空間に反響する。
「がまん」
「だね」
少女はペンライトを握り、振り向くことなく言い放つ。その時、少女の踏み出した足元からボゴン、と異音が聞こえる。少女は歩みを止め、その踏み出した足を上下させる。その度にべッゴンボッゴン、と音が響く。
「あっ」
「これは」
音が変わった。それが意味していることは一つ。ダクトの向こうには空間が広がっている、という事。
「やぁ、もうすぐだね」
「ん」
「さて、この部屋への出口を探そう」
また、ベゴン、ボゴン、ガンゴン、と音を響かせながら出口となるダクトの末端、底に嵌る鉄格子を探す。
それはその場からすぐ近く、角を曲がってしばらく先のダクトの底面に在った。
その先の未踏破であろう区画は当たり前だが真っ暗で、その中で稼働しているものは何も無い様で、とても静かでひんやりとしている。ペンライトを鉄格子の隙間から差し入れてみると床に当たり、光を返す。しかし、年月とは凄まじいもので、床には堆積した塵が山の様になっている為、もわもわとした綿埃が広がって具体的な物の形を判別することが全く出来ない。
「やった! やっぱり、未踏破区域だ!!」
興奮した声音で喜ぶ青年は、腕を振りながら体を反らしたことで身体を強打し、すぐに静かになった。
「――いたい……」
「どうする」
「どうするって、そりゃあ行くさ」
少女の問いに、何を今更といった様子で首を傾げる青年。それに対して少女は鉄格子を破壊し、その破片を部屋の中に落とす事で答えた。落ちた時の衝撃によりその地点から、膨張する様に登ってくる塵が鉄格子の枠からダクト内に叩き込まれ高密度の粉塵に呑まれる。粉塵に包まれ咳き込むことを繰り返す。
「……これでも?」
「……考えよう、あれの始末を」
一足早く解放された少女が問えば、先程の問いの意味を身を以って知った青年は嘔吐きながらも答えを出し、その答えが意に沿うものだったようで、少女は鼻を鳴らして再び下を覗き込む。やや時間を使って考えると、背に回していた銃を掴んで手繰る。胸の前に抱え、何らかの操作をすると僅かな駆動音が鳴り、照準器に書かれていた『F』という文字が『S』に切り替わり、確認した後その銃先を下へ向け、構える。
「いき、とめて」
「撃つのね」
大きく息を吸い込んで、鉄格子の枠から二人そろって顔を離す。その後少女がトリガーを引くと、銃先からの熱線は朧気でその代わり、銃先から扇状に広がって掃き清めるように、塵を燃やし炎を広げていく。
ほんの僅かな照射であった。
しかし覗き込んでみれば、部屋の中に分厚く堆積していたであろう粉塵は、焼き尽くされて僅かに明かりを灯し、残った熱と光で顔を薄く炙るだけだった。
「おお……」
感嘆の声が漏れる。塵に覆われていた物達が、炎で覆いを剥ぎ取られ、残り火に照らされ、そろって顔を出す。
比較的大きな空間だった。粉塵に覆われていた時とは違い、今はすべてがはっきりと見える。積み上げられたコンテナ、それを運搬するための物であろう重機、巨大な工具類の並ぶラック、おそらくそれらを監督するための指揮所。
「これでいい」
「壊れてないよね」
「せいしゃもーど、もえたの、うえだけ」
「ならいいけど」
「いこう」
「行くの……?」
鉄格子の枠に手を掛ける少女に対して、しり込みする青年。無理も無い。何故ならば綿の様な粉塵の層は輪郭を曖昧にさせ、それによって距離感を狂わせていたからだ。壁が見えていればまた変わっていただろうが、生憎彼らの位置からは見えなかった。
その高さはおそらく二〇mは在るのではという所だった。自分の力を扱いなれている少女は平気なのだろうが、青年はつい最近まで一般人であり、その高さからの飛び降りなど経験していない。
「だいじょぶ、いける」
「そりゃあ……まあ、そうだろ――」
衣擦れの音がして少女の姿が消える。枠からの視界には、風によって象牙色の滑らかな絹糸が広がる様が映され、それ越しに真っ白な手足が伸ばされる。その四点で少女は着地する。
「あれ……衝撃殺してないよな……」
明らかに重くて硬い音がした。それでも少女は平然と立ち上がりこちらを待っている。
恐る恐るで鉄格子の枠の縁に指を掛けて体を降ろす。指先以外は完全にダクトの外に出る。作り変えられた身体は自重を難無く支え、足の裏に何も圧力が掛からないのはとても不愉快ではあるが、と一先ずは安堵する。
「たっかぁ……」
改めて下を見てみれば全く距離感の変わらない薄ら赤い地面があり、先ほどと変わらない少女がいる。
「あしついたら、ひざまげる。おしりついて、せなかつく、ころがる」
見兼ねたらしい少女がアドバイスらしき言葉を発し、軽く五mほど跳び上がり手本として言葉をなぞった行動をする。その行動はまずい。非常にまずい。彼女は取り敢えずの仮の物としてあの血濡れ上衣を着ている。
それだけを着ている。その下には何もない。ただ歩くだけならば問題は無い。
だが後転はいけない。何の為に保留にしてまで血濡れを着せていると思っているのだ。
そんな思いと共に青年はバチン、と音がする速度で両手で目を覆う。寸での所で見えてはいない。
それに安堵する。
「あっ……」
が、同時に不覚を悟った。
浮遊感の直後から落下していく感覚。下からの風が強くなって、無機質な床が迫る。
「おっ……おお……」
悲鳴すら上げられず、奇妙な呻きを上げるだけで身体も動かせない。体も妙に脱力したような状態で手足を放り出している。
しかし、それが偶然良かったのだろう。足先から地面に当たると綺麗に膝が折り畳まれ、そのまま力を後ろへ受け流して、勢いよく後転する。奇しくも少女の言った通りの対応となった。
「おお……い、生きてる」
後転後の大の字状態から、むくりと復帰した青年は体中を擦り、ダメージの小ささに改めて驚いている。
「そう、これがわたしたち」
「これが、ねぇ」
「ん?」
「いや、特に」
「そう」
ゆっくりと立ち上がり、肩を回したり腕を伸ばしたりと身体を解してから一息つくと。気持ちを切り替えた様子で声を上げる。
「よし! それじゃあ探し物と行きますか」
「ん」
「まずは、あの部屋」
「ん」
雑多な空間を進み、指揮所か何かと思われる部屋に向かう。
まずはこの空間の役割や存在している物品のリストなどの情報収集。次に必要な物の回収、その後で遺物の回収。
そういった段取りを組み立てながら二人は歩いていく。