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はち

 ――ゼロ。


 淡々と囁くように静かな調子で紡がれていた言葉は、最後の一つで硬直していた空間を粉砕した。

 その言葉で引き伸ばされた時間の檻を己の体だけが抜け出し、同時に足は抑圧から解き放たれる。銃から放たれた光の帯の切れ端を追い掛け、帯が消えていく赤熱の中心へと吸い込まれるように、身体は進む。帯の切れ端と共に赤熱の中心へと辿り着き、己が体の持つ力の全てを叩き付ける。

 青年にとってそれは長い時だったかも知れないが、実際には瞼を閉じようとする頃にはすべて終わっていた。

 ダイナマイトの爆轟のような丹田の辺りに響く重低音を、数十倍に増幅したような破裂音のようなものと、甲高く透明度の高い小気味良い音が混じり合いながら響く。それと共に舞い上がり、降り注ぐ粉塵が上と下から覆い被さり、またしても一帯を埋め尽くす。その煙幕の中を、鈍くじんわりと赤い光を放つ黒い破片が飛び散り、空気を焼きながら地に落ち、微かな金属音を途切れ途切れに鳴らす。


「あ――」

「ぁあああ゛あ゛ぁぁぁぁ――!!」


 風鈴のような音が疎らに鳴る物静かな煙幕の中、青年の絞り出すような絶叫が響き渡る。次第に晴れ行く煙幕。その中で青年の体がどさりと鈍い音で床を打ち、衣擦れの音と共にばたばたと床をのた打ち回る。しかしすぐにその音は小さくなり、僅かな衣擦れの音のみとなる。

 粉塵が流れ去った後には体全体をきつく締め片腕で顔を覆い、もう一方の片腕で肩を軋むほど強く抱く青年が横たわっていた。先ほどの僅かな衣擦れの音は、出せる限りの力で強く握り締めたばかりに震えている、拳の隙間からだったのだろう。痛みに耐えるために割れ砕けるほどに食いしばった歯軋りの音だったのかもしれない。小さなギリギリという音がした。

 そんな青年の元へ歩み寄った少女は一瞬ピク、と動きを止めたものの、すぐにゆっくりと青年の頭の傍で膝を折り固く締められた腕を優しく解いていく。覆いを解かれた青年の顔はぐちゃぐちゃだった。

 苦痛に耐えるためにきつく絞られた赤ら顔は涙や脂汗、血で濡れてひどい有様を晒す。口からはギリギリと音がする程に食いしばった歯が並び、端からは赤黒い血の混じった唾液が流れている。力のあまり奥歯が砕けてしまったのだろう。

 それに加えて顔と腕には艶やかに光る鈍色の楕円模様の金属箔が張り付き、その周りの肉を焼き爛れさせている。少女が先ほど一瞬止まったのは、その匂いが原因だった。

 自分の着ている血濡れの上衣の袖を引き千切りギリギリと絞って湿り気を追いだして、捩れたそのままの状態で少年の口を抉じ開け、噛ませる。袖の味に青年は顔を青くして、嗚咽のようなくぐもった音で喉を鳴らす。


「これ、とびらとけたの、ついた?」


 少女はそう呟き、青年は反応を示そうと試みた様子で体の震えを大きくした。


「とらないとだめ」

「んっ!? んぬうぐ!!」


 続いた言葉で顔色がバッサリと変わった青年は、痛みに耐えながら必死に拒絶の意思を示し、具体的な想像もなく続く言葉、続く凶行を止めようとした。


「だめ、なおらなく、なる」

「んん!! んんんん!!」


 そうしなければならない。

 少女の言っていることは正しい。

 従わなければならない。

 頭の中でそう決定付けていても尚、恐怖が脳を支配して思考と制御を切り離す。

 青年は大人しく耐えようと構える。だが、少女がこれから行うであろう行動を、極めて曖昧で不定形な具体性の無いイメージ以下の物で想像してしまう。下手にそんなものを想ってしまったが故に、何をされるか分からない恐怖を際限なく増幅させて、結局は自分で「耐えよう」という毛ほどにも満たない気概を破砕し、恐怖に捉えられて敗残兵よりも惨めな心象で、一時を凌ごうとする。


「だめ、もどらなくなる」


 ほうほうの体でやり過ごそうと体を引き摺る青年を即座に引き留め、その首に己の華奢な腕を回し片腕を羽交い絞めのように脇へ差し入れ、青年をしっかりと捕まえる。そして青年の耳元に口唇を寄せ、囁く。


「いたく、ないようにする、から」

「んぇ……? っ――」


 耳元に柔らかな声を吹き付けられて、青年はその声に背筋をなぞり上げられ身体を震わせる。

 少女は青年のうなじから上に密着し、首に回した手と脇へ差し入れた腕を組み合わせ、そのまま青年の首を絞める。驚愕を顔に浮かべたのも一瞬で、全身に張っていた力が完全に抜け落ち、すべての糸が切れた様に青年はすぐに意識を暗闇に手放した。

 少女はだらりとした青年を静かに優しく膝の上に寝かせ、二度、三度と青年の頭を撫でる。その後、鈍色の金属箔を、背筋をなぞり上げるような、耳元で物を口に入れて咀嚼しているのを聞かされているような、そんな類の身震いを伴う不快感を持った、ミチリという水音を発しながら次から次へ、ペッペッと引き剥していく。

 その度に、粘り気のある水音と軽快な金属音の二種類の音が交互に響き、その音に合わせて青年の体がビクリ、ビクリ、と小さな反応を示す。

 幾らか経った後少女は両の手を、それぞれ青年の肩甲骨から脇の下へ滑らせるように動かし、脇に手を入れて上体をグイ、と持ち上げ、青年を長座の状態にする。

 無論気を失っているので、手を離すとふらふらと倒れかねない。だから抑えたままで立ち上がり、次に身体を青年の背から側面へ移動しながら、青年の背中と青年の胸を挟むような構図で手を添えて支える。

 その状態で上体をやや前傾に偏らせ、胸側だけで支えるようにして背中側の手を放す。そしてその手を自分の真横に伸ばし、そのまま青年の背中へ振り抜き強打する。身体の内側へと衝撃を浸透させ響かせるボン、という鈍い音が鳴る。


「――っばあっは! がっ……はっ……はっ」


 同時に青年の状態が膨らみ、顎を若干上へと上げた後、つかえが外れたかのように突き出し、大きく咳き込み激しい呼吸を始めた。一通りの反応を起こした後、青年はでろでろと体液に塗れた顔で自分の腕を見る。先程まで青年の記憶に在ったのは、己の腕に融解した金属が張り付いて、肌色の腕に鈍色の斑模様が出来ていたことだ。今青年の目に映っているのは、鈍色の斑模様が一片残らず消え去り、その代わりに血が赤黒く滲み湿って、ぬらぬらと嫌味な光を返している肉だった。


「っ? ぐううぅ……」


 他人の手の様な気持ちでぼんやりと見つめていたが、視覚情報が脳に処理されて行くにつれ、腕がじわりじわりと滲むように痛みを訴え始め、ぼんやりしていた頭をとうとう覚醒させた。


「そのうちなおる、がまん」

「――分かっ……た、オーケー……大丈夫……大丈夫」


 痛みに慣れ始めたところで青年は、歯の隙間から大きく息を吐きながら肩の力を抜く。

 相も変わらずじんじんと脈打つように痛みの波や熱が寄せて来るが、それらはどうしようもないと見切りを付け、一々反応しそうになる事を耐える様に終始していた。


「扉は? 破壊できた?」

「だめ、とけたのをとばしただけ」

「そんな……こんな目に遭ったのに」


 少女の口から結果を聞いても『もしかしたら』という、希望と逃避の混合した眼差しを持って、青年は改めて自分の眼で結果を確かめなければ気が済まなかった。

 少女が嘘を吐いている、などの思いは微塵も無い。しかし、『それでも』と、自分の体の有様を見て、大きな代償を払ったのに『意味は在りませんでした』という結果は、認められ無かった。余りにも無慈悲で報われない結果を認めたく無かった。少女が見落しているかも知れない一ミリでも一ミクロンでも、向こう側を知る事が出来る隙間が無いか。そんな僅かな期待を抱いて、無意味な確認作業へ向かう。

 体当たりの衝撃で赤熱した部分が吹き飛び、すり鉢状のクレーターが形成されている。その縁には衝突の直後押し出されたものの、瞬時に冷却された金属が針の様に突き出ている。そのクレーターの深さは、指先から手首程だった。普通であれば相当なものになるだろうが、この扉に関して言えばそこまで深いものでは無いだろう。


「あぁ。開いて無い……確かに無い、微塵も」

「あいてない。すこしも」


 そう言いながらも青年は扉へ吸い寄せられていく。

クレーターの底部に手を突いて撫で擦り、ささくれ立った面に何かを求め、探すように無軌道を描かせる。

 次いで縁の方へ視線を持っていく。放射に突き出た金属を所在なさげにふらふら眺めながら、ささくれが重なって卸し金の様になった表面を指先でなぞり、かさり、かさりと音を立てながら擦れる指の感覚を、呆けた顔の蕩けた脳で見送り何処かへ垂れ流している。

 その場には、頭が見えなくなるほど丸めた背と、乾ききった小さな擦過音だけが残る。


「それはよくない」

「あ゛ぅ」


 少女は傍で跳び、呆ける青年の額辺りに手を掛け、そのまま後ろ向きに引き倒す。

 受け身を取らず背中から落ちた青年は、肺から押し出された空気のままのしわがれた様な声を出す。

 大の字になったまま軽く咳き込むが、起き上らず仰向けで脱力したまま、視線を彷徨わせている。


「あ? ……あった」

「ん?」

「あそこ、行けそうだ」

「いくの?」

「行く。行きたい」


青年が指差した先、扉の上のさらに上。そこには換気用と思われるダクトと、その末端に配された枠にはめ込まれた鉄格子があった。

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