第七話 カステヘルミの願い
というわけで、その日の放課後、俺は魔族の教室を訪れた。
立て続けに行われたお祭りのおかげか、ほんの少しだが、その距離は近くなった気がする。
俺を見ても、別段警戒した様子は見せないし、俺が生徒会長だと知ってむしろ会釈を返してくれることも多い。
「カステヘルミは、教室に?」
「はい、本日は公務も欠席されまして。元気があれば生徒会の方にも顔出しすると言っておられたのですが……」
アンネリースさんの言うとおり、カステヘルミは教室にいた。
机に突っ伏して、身じろぎひとつしない。
「カステヘルミ?」
「ん、む、おっ、おお、ツグルではないか」
顔を上げたカステヘルミは、俺の顔を見て弱々しい笑みを浮かべた。その顔からは出会った頃に溢れていた覇気は感じられない。
「やぁ、なんか元気がないって聞いたんだけど」
「む? ああ、アンネリース、そちが教えたのか?」
「はい、こうしたことは勇者である殿ヶ池殿にご相談するのが一番なのではないかと」
「そう、じゃな……。確かに、魔族の者が解決できぬことでも、勇者ならば、なんとかできるやもしれぬな……」
ふぅう、っとか細いため息を吐いてから、カステヘルミは顔を上げた。
「この世界に来てから、余の魔法がおかしいのじゃ」
「……えっと、どういう、こと?」
うっかり、回復魔法しか使えないことを話したら大変だから、とりあえずは聞きに回る。
「うむ、実は余の呪文が一切効かなくなってしまったのじゃ。アスセナもそうじゃったし、試しに通りがかりの人間にも使ってみたが、ダメじゃった」
「ちょっ、試しに通りがかりの人に攻撃魔法とか撃ったらダメだろ!」
「結果良ければすべてよし、じゃ。その者もどこか、体の調子が良くなったと言って喜んでおったしの」
いやいやいや、そんな結果論が全て、みたいな主張されても。
「余の軍団、第六軍団のアンデッドどもが阿鼻叫喚をもって受けた余の呪文が、この世界では全く効かないのじゃ」
ああ、まぁ、それはね。アンデッドを配置して、魔族の人たちが全力でフォローしてたしね。
いつの日にか、カステヘルミがそのことを知る日が来るのかもしれないけど、その時までは魔族の人たちの配慮を無駄にすることはないよな。
俺はカステヘルミをなだめるように、やんわり微笑んで、
「気のせいじゃないかな? ほら、みんなダメージ食らってるのに、痛いのを我慢してるとかさ……」
「テラメテオストライークっ!」
瞬間、景色が赤く燃え上がった。
降り注いだのは無数の雨。赤く燃えた石つぶての雨だ。
「うぎゃあああああああああっ!」
突如として現れた無数の隕石が、俺の体を貫いていく。
「痛い、痛い、痛い、しっ、死ぬ! 死……なない? あれ? 痛くもない?」
ド派手に俺の体を貫いていく隕石群、大きさはまちまちだが、一番大きなもので自動車ほどもある。
だというのに、全然痛くもない。ただ、貫かれた箇所が、熱をもったかのようにじんわりと熱くなるだけだ。
ああ、なんか、これ、銭湯につかってるみたいで、すごく…………気持ちいい。
隕石は五分近く俺を撃ち据えた後、音もなく消え去った。
あとに残された俺は、ほんわか、温まった体の心地よさに、思わず息を零すばかり。
ダメージは皆無。というか、むしろ、ものすごく快適だ。
「ちなみに、さ、今の魔法って、本来だったらどのぐらいの威力になるぐらいですか?」
俺の疑問にアンネリースさん、指の先で廊下に落ちていたチリをすくい取り、
「こんな風になるのではないかと」
「ちょぉおおおおいっ! いくらなんでも、手加減しなさすぎだろう!」
「ぜはー、ぜーはー」
膝に手をつき、肩を揺らすカステヘルミ。すべすべの肩が激しく揺れていた。
「超息切れてるしっ! 試しでやるんなら、そんな全精力を傾けた魔法じゃなくったっていいんだよ!」
ていうか、もしなんかの作用で普通の効果を発揮してたら、消し墨になってんじゃん!
「ほれ見よ! 最高レベルの魔法じゃって、これじゃ。余の魔法は、どこかおかしい! ダメージを受けないどころか、むしろ相手の体調を回復させてしまうんじゃっ! 攻撃するつもりなのに、回復させてどうするっ!」
ばんばんばん、と地団太を踏んで、カステヘルミは言った。ホットパンツから覗くほっそりとした太もも、幼いきめ細やかな肌には傷一つ見られない。
やっぱり、大事にされてんだなぁ。
「どうすればいいんじゃ……、このまま治らなければ、余の夢がかなえられなくなってしまう」
「夢?」
「そうじゃ。来るべき決戦の時、余と余の第六軍団とは血気盛んに敵陣に乗り込み……」
ああ、さっきアンネリースさんが言ってたやつか。
「五臓六腑にしみわたる活躍を」
「八面六臂の活躍、かな?」
五臓六腑にしみわたるようなしぶーい活躍というのも見てみたい気はするが……。
「んっ、んんっ、ともかく、じゃ。そう言った活躍をしてみたいんじゃ」
「なるほど。でも、そうだな、そんな最終決戦的なものが想定されてるんだったら、やっぱり攻撃魔法が使えないと危ないか」
なんだかんだ言って安全な日本とは違い、戦乱渦巻く魔界にいれば、護身術的に、それなりに魔法が使えないと危ないのかもしれない。
正直、俺としては攻撃魔法とやらは、あんまり好きじゃないんだが、それをカステヘルミに押し付けようとは思わない。
「ちなみに、ツグルさま……。ここ三千年ほど、魔界では戦らしい戦はございません」
「攻撃魔法とか必要ないじゃーん!」
アンネリースさんのツッコミに思わず俺はズッコける。
――いやいやいや、三千年って!
「じゃあ、なんでそんな軍隊があるの!?」
「式典などの業務で行進したりとか、ですね。 なので、一番大事なのは見栄えです。ああ、それと、害獣退治も重要な仕事の一つです」
先日もでっかいイノシシを倒してきたところですっと、ほんのちょっとだけ誇らしげな顔をするアンネリースさん。
衝撃の事実だよ! 魔界に比べたら、こっちの世界の方がよっぽど危ない!
「平和とか、そうじゃないとか関係ないのじゃ。魔王は力で民を統べる。それが本質じゃ。なのに、この体たらくでは誰も余についてきてはくれぬ……」
それから、しょんぼりと肩を落とす。うつむいたその顔は、今にも泣き出しそうだった。
「これは人間界の空気が何かしら悪影響を与えていると考えるべきか……。やはり、魔界からは出ない方が賢明なのかもしれん」
ぽつり、とカステヘルミがつぶやく。
「えっ? いや、ちょっと……」
「だってそうじゃろう? 魔界にいたころは何の問題もなかったのじゃ。これはやはりこちらの世界に来たことに原因があると考えるべきではないか?」
実に理にかなった考え方ではある。が、そんなことをされると、ちょっとまずい。
代表者が帰ってしまうというのは、学園の存続に深刻な影響を与える。
それだけじゃない、もしカステヘルミが自分の秘密に気づいた状態で魔界に帰ったりしたら……。
最悪、魔王の逆鱗に触れて人間VS魔族の全面戦争が勃発するかもしれない。
「え、えーっとさ、ほら、カステヘルミ、そう早まることもないんじゃないかな? なにか、魔法の調子を直す方法が見つかるかもしれないし……」
っと、いかん。これは口から出まかせの類だな。
俺は心の中で首を振った。
どうやら、カステヘルミのこれは体質的な原因のようだし、そう簡単に解決されるものでもないと思う。
それよりはむしろ……、
「それにさ、ほら、既存の魔王観にとらわれないで、カステヘルミらしい魔王っていうのをこの学校で一緒に見つけていくのもいいんじゃないか?」
これもいささか詭弁に類することだとは思うけど、それでも、可能性がないわけではないだろう。時間さえかければ……、ちゃんと解決の道が……。
「ほう、それは具体的にはどのようなものじゃ?」
「へっ……?」
カステヘルミは美しい瞳で俺を見つめた。血のように紅い瞳はが放つ視線は、よく磨がれた刃のように鋭い。
「なるほど、そちの言うことの理はよくわかる。確かに、無限に広がる未来、起こり得ないことなどあるまい。じゃが、それを言うならば可能性を論ずること自体が無意味なこととなりはせぬか?」
実に痛いところを突かれてしまった。
そう、将来的に解決策が見つかればいいといった類の理屈は『絶対に見つからない』と言いきれないことを逆手に取ったものだ。
それはただゼロパーセントではないと言っているだけのことであって、実際に選ぶには、あまり頭の良い選択とは言えない。
「事は余の夢に関わること。少しでも確率の高い方を選びたくなることも理解できるであろ?」
極めてまっとうな理論である。反論の余地がまるでない。
前々から思っていたが、カステヘルミの言うことは割と正鵠を射ていることが多い。
「もっとも、余としても代表者の任を途中で投げ出すような真似は本当はしたくないのじゃが、こうも魔法の状態がおかしいとの……、その原因がわかるまでは魔界から出たくはないと考えても不思議ではあるまい?」
「まぁ、そうだろうなぁ」
「無論、そちの言うことも一理あるのは事実。じゃから、ほんの一片でも、そちの言うことの可能性を見せてもらえれば、余としても少しは考慮の余地があるのじゃが、いかに?」
きょと、っと首を傾げるカステヘルミだった。
あまりにも正論過ぎて、俺としてはぐうの音も出ない。
だが、ここで黙っているわけにもいかない。なにせ、自分で言い出したことなのだ。責任をとらないわけにもいかない。
「わかった。さすがに今すぐに、とはいかないけど、ちょっと考えてみるよ」
「ほう、じゃが、あまり時間は与えられぬぞ? まぁ、一週間程度ならば猶予をやってもよい」
一週間、か……。さて、なにができるものやら……。
と、その時、
「あのー、すみません」
おずおずと、教室に入ってくる子がいた。おかっぱ頭の、大人しそうな女の子だ。
「おお、恋歌ではないか?」
「恋歌?」
「あっ、生徒会長の殿ヶ池くんですよね? はじめまして、わたし、二年、編入組の音無恋歌です」
「えっと、はじめまして。殿ヶ池告です。よろしくお願いします」
二年編入組……か。
四葉学園は今年創立された学校だ。だから、二年生というのは、全員、別の学校からの編入ということになる。
三年生はさすがにほとんどいないけど、二年生はそれなりの数がいる。
まぁ、異世界人の通う学校として、かなり注目されてたからなぁ。
「えっと、それで二人はどういう……?」
「うむ、先ほど言ったであろう? 魔法の実験台になってもらった人間が、この者の祖母じゃ。祭りに来ておったのでな」
「うぉいっ! お年寄りになにやってんだっ!」
「別におかしくはあるまい? 残りの人生の長さ的にリスクが少ないであろうし」
「そう言う問題じゃないからっ! っていうか、二度とそういうことやっちゃだめっ!」
ショックで何かあったらどうすんだっ!
「むぅ……、わかっておる。それを話したら、父上に怒られたのじゃ。父上、いつもは優しいくせに、怒るとすっごい怖いんじゃぞ!」
涙目になり、カステヘルミは言った。
「それで、恋歌、何か用かの?」
「ああ、うん、えっと、今日、これから桃源郷に来れないかな? おばあちゃんたち、また会いたがっててね」
「ふむ、アンネリース、今日の予定はどうなっておるか?」
「はい、本日は軍団の査察もキャンセルいたしましたので、特に予定がございません」
「では、ツグル、生徒会の方はどうじゃ?」
「ああ、生徒会も特に予定ないけど……、桃源郷って?」
カステヘルミに変わって、恋歌さんが説明してくれる。
「老人ホームだよ。うちのおばあちゃん、そこでお世話になっててね」
老人ホーム? それとカステヘルミと一体何の関係があるんだろう?
「カステヘルミさん、ホームのみんなからすっごい人気なんだよ?」
恋歌さんは、まるで自分のことのように自慢げに言った。
「ふむ、まぁ、窮状を訴える者に答えるのも統治者の勤めじゃろうからな」
「ホームのみんなを魔法で治しちゃったんだ。みんな、温泉に入ったみたいって、大喜びだったんだから」
「へぇ、いいところ、あるじゃないか、って、まさか、実験がてら、ってことじゃ?」
「たわけ! そち、余をなんだと思っておる?」
カステヘルミはムッとした顔で言った。まぁ、考えてみたら、それはあたりまえの話。自分の善意をそんな風に捉えられてしまうのは不本意だろう。
俺は少しばかり神妙な気持ちになって、謝ろうと……、
「そんなもの、一人二人試せば、すぐにわかるわ! 余を馬鹿にするでない!」
「あっ、そっち? いいことしたのに疑われたから、怒ってるんじゃないの?」
「いいこと? なんのことじゃ? 余の魔法で幾分、体が楽になるならやらぬ道理はあるまい? 大した手間でもないんじゃし」
「やっ、やめろっ! そんな純粋そのものの目で俺を見るなっ!」
きょとーん、と実に不思議そうな目で俺を見つめるカステヘルミ。下手に疑ってしまった俺としては居心地が悪いったらない。
「まぁ良い。それよりツグルや、そちも暇じゃろう?」
「えっ? まぁ暇だけど……」
「ならば、ちょうどいい。そちも余とともに来るが良い。先日行った時に、男手があった方が良いように感じたでの」
腕組みしながら、うむうむ、と頷くカステヘルミ。
「あっ、それはそうかも、来てくれたら助かるな」
恋歌さんも期待に満ちた瞳でこちらを見つめてくる。
「ああ、うん、そういうことなら……」
別に悪いことをしに行くわけではないし、なにより、カステヘルミが老人ホームでどんなことをやっているのか気になるしな。