第十三話 聖剣を抜く者
「あら、ツグルさま、体調はいかがですの?」
客間に当たるであろう部屋には、生徒会の面々がくつろいでいた。
ちなみに、全員浴衣である。
「ごめんね、みんな、心配かけた。って、それはいいんだけどさ、その格好は一体……」
「うむ? ああ、ほれ、お前さんたちの学校の学長がな、前にここに来た時、こんなの着ててな、こりゃあ着心地良さそうだってんで、うちの部族でも導入したってわけよ、がはは」
などと高笑いをするドワーフ族族長。若い娘たちと話すのが楽しいのは、ドワーフ族でも同じらしく、どうやら自らホスト役を買って出たらしい。
なにやら、俺の後ろで複雑そうな顔をしているニノンがちょっとだけ面白い。
それはさておき……だ。
「ところで、ニノンのお父さん、一つお願いがあるんですが……」
「うん? なんじゃい、言うてみろい」
「はい、ここに来る途中にある、剣が立ってる丘に行ってみたいんですが……」
言った途端、初老の族長の目がすぅっと細くなる。
「つっ、ツグルさんっ!」
ニノンが抗議するように、俺のシャツを引っぱる。が、今は申し訳ないけど、引くわけにはいかない。
「ふむ、ツグルは妙な物に興味があるのじゃな。確かに、あの剣は人間界の伝承にある勇者が持つ剣に似ているような気がするが……」
カステヘルミが難しい顔をしていた。人間世界代表の俺が、伝説の聖剣の類を手に入れて、挑んでくるのを警戒しているのかもしれない。
「なるほど、だが、残念ながら、あれはそう言った類のものではない。もし、そう言う剣を望んでいるのであれば、他を当たるがよかろう」
どうやら、族長の方もそう簡単に、あれに近づかせるつもりはないらしい。
なにしろ、あれは娘のナイーブな部分に関係していることだ。父親ならば当然、慎重にもなる。
けど、これ以上、ニノンを傷つけたままにしておけないし、それ以上に、彼女の素顔を鎧に閉じ込めてしまいたくない。
なにしろ、これはとても簡単なこと。
ちょっとした誤解のはずで、だからこそ、少し視点を変えてさえやれば、ニノンの心理的負担はもっと減るはずなんだ。
だから、俺はこのちょっとしたお節介を全力でやってやろうと決めていた。
「ぜひ、お願いします」
ただそれだけ言って、俺は頭を下げた。
「ツグルさん、どうして!」
ニノンが、今度は怒ったような声で言った。
けど、ごめん。今はその怒りに応えることができない。
「お願いします、族長」
「ふむ……、まぁ、いいだろう。隠すようなものでもないしな」
「ありがとうございます。あっ、ニノンも一緒に来てね」
「えっ……でも……」
ニノンは顔をしかめて、うつむいた。無理もない、あの場所はニノンにとっての深い傷だ。
あまり近づきたくもなければ、思い出したくもない場所だろう。
……けど、
「頼むよ、ニノン」
「……わかりました、ツグルさんがそう言うんでしたら」
しぶしぶながら、ニノンは頷いた。
誓いの丘。
大仰な名前だが、それが丘の名前なのだという。
その昔、ドワーフ族の戦士がここに刺さっていた剣を抜き、魔物を倒して、姫君と結ばれたという伝承が残っているのだとか。
丘全体が一つの巨大な岩でできているようだが、幾度も、剣を刺されているからだろう、岩はところどころひび割れて、とても歩きづらい。
その丘の中心、ひときわ目立つ場所に、ぽつりと一本の剣が突き立っていた。
その姿が、堂々たるものというよりは、取り残されて寂しげにうつむいているように見えるのは、ニノンの話を聞いたからだろうか。
「見事な剣、ですね」
それは素人である俺の目から見てもわかる見事な造りの剣だった。
肉厚で、鋭く磨き上げられた刀身、ニノンの話では三年間、ここにほったらかしになっているはずだが、その刃はさびることもなければ、こぼれることもなかった。
まさに、一人の鍛冶屋が精魂かけて打った剣、大事な娘のために作り上げた想いの結晶のようだった。
「さて生徒会長殿、この後はどうするのかね? まさか、本当に、これを見にきただけ、というわけではあるまい?」
それは言下に、ニノンから聞いているのだろう? という意図を含んだ言葉だった。
俺はそれに一つだけ頷くと、
「もちろん、こうするんです!」
言って、剣の柄に手をかけた。
「ツグルさんっ!」
目を見開き、俺を見上げるニノンの目の前で、俺はその剣を勢いよく引き抜いた。
「……なんじゃ、あっさり抜けてしもうたの」
「そう……、ですわね。わたくしの読んだ本でも、何人か失敗した後に満を持して、という形でしたが、こんなに簡単に抜けてしまうとは、少々拍子抜けですわ」
事情がわからないカステヘルミとアスセナが首を傾げていた。
が、当のドワーフ族の面々にとっては、そうはいかない。
「なっ……、なんという、ことを……貴様! この剣のこと、聞いておらんかったのかっ!」
怒声に髭を震わせるドワーフ族長。その威容はさすが、一つの世界の支配者たる種族の長と言えた。
だが、ここで引くわけには当然行かない。
「その剣を抜くことがどういう意味を持つのか、貴様、知らなかったとは言わせんぞ!」
「もちろん、知っています。ニノンから聞きましたから」
「ほう、なるほど。ということは、貴様が我が娘、ニノンを嫁にむかえ入れようと、そう言っているのだな?」
「けど、そのしきたりは、すでに形骸化していると聞いていますが……」
「ツグルさん……」
ニノンが呆然とした顔で、俺を見つめた。その顔は、まるで捨てられた子犬のようだった。
けど、それもすぐに消えた。後に残ったのは自嘲の笑み。
少しでも期待してしまった自分を恥じるかのような笑みだった。
「貴様っ! それで済むわけがなかろう! ニノンのこと、聞いていなかったわけではないのであろう! にもかかわらず、その剣を抜き、挙句に形骸化しているから関係ないだと? 貴様、それではもしや、目ざわりだから抜いたとでも言うのか!」
目ざわりだった。もちろん、それはある。
この剣を見るたび、ニノンの心は沈む。忘れようとしても、目をそむけようとしても、ここに立っていれば否が応でも思い出してしまう。
儀式の日、自分の剣だけが誰からも見向きもされなかったことを。
「愚か者めが! それでニノンがどれだけ傷つくか、考えなかったというのかっ! ぬか喜びさせておいて、なかったことに、など通るはずがないではないかっ!」
族長の激昂ぶりは十分に理解できる。だから、俺はひとまず誤解を解いておくことにする。
「もちろん、それはわかっています。責任は取ります。もしニノンが、あと五年もして、まだ一人の恋人もできず、結婚を誓いあう者ができていなかったのなら、責任を持って俺が結婚しましょう。ただし、言っておきたいのは、このことでニノンを縛りたくないということです」
ニノンが『殿ヶ池告と結婚することが儀式で決まってしまったから』などという理由で好きな人との恋を諦めるというようなことにはしたくない。
「意味がわからぬ。聞いておらんかったのか? ニノンは……」
「火の竜の力を持ってしまった、ですよね?」
そう、ドワーフ族の男女の間ではそれは大問題だ。夫が火の力、妻が水の力、なるほど、一つの種族としては確かにバランスが取れているし、夫婦ともに火の力ではバランスが悪いだろう。火山で過ごすのならば、水の力で火照った体を癒してもらうのも、確かに重要なこと、なのかもしれない。
だが、それもしょせんはドワーフ族に限定された話である。
「カステヘルミ、ちょっと聞きたいんだけど、魔族には水の魔法を使う男っていうのはいるのかい?」
「なんじゃ、藪から棒に。そんなのいるに決まっておろう?」
あっさり答えるカステヘルミ。
「というか、四大元素魔法など魔法の基礎じゃしな。九割方どっちの魔法でも使えるのではないかの?」
「なるほど、エルフ族はどうだい? アスセナ」
「契約した精霊次第ですけれど、基本的に魔法の属性に男女の別はございませんわね」
アスセナも保証してくれる。これで、もうほとんどわかったと思うけど……、
「そして、人間は言うまでもないけど、そういう魔法は一切使えない」
ここまで言われて、ようやくニノンも俺が言いたいことに気が付いたのだろう。あっ、と小さく口を開いて、俺の方を見つめてきた。
「つまりね、ニノン、ドワーフ族以外の種族にとっては、水の竜の力を使えようが使えまいが、女の子の魅力にはまったく関係ない」
そう、それは実に簡単な、それだけの話なのだ。
もしも、将来、結婚したいと思えるような相手とめぐり会ったとして、しかし、その相手が水の竜の力を使えなかったら、どう思うだろうか?
火の竜の力しか使えない奥さんだったら?
……答えは簡単。そんなことはまったく、何の問題もない。
むしろ、俺としては夏にひんやりするのもいいが、冬に温めてもらえるのだって、十分に魅力的に感じるのだ。
「だからもう、君を縛る残酷な世界はもう終わったんだよ、ニノン」
そう、世界は変わった。
四つの世界の邂逅は確かに世界のありようを変えてしまった。
ドワーフだけの世界であれば、ニノンの恋は生涯、実ることはなかったかもしれない。
けれど、今は違う。もし、ドワーフの男に見向きもされなかったら、魔族の男の中からとっておきのやつを選んでやればいい。
あるいは、エルフか。アスセナにお願いすればきっと、俺なんかとは比べ物にならないぐらい、いい男を紹介してもらえるに違いない。
あるいは、人間の男に結婚相手をもとめるのもいいかもしれない。
確かに、各種族、各世界の文化はできる限り尊重すべきだし、自分たちの常識を他種族に押しつけるべきではないとは思う。
だけど、こういう場合は別だ。
だって、ニノンは傷ついてるじゃないか。
こうすべきだ、というしきたりや風習、あるいは思いこみは、それに当てはまらない人を容赦なく傷つける。
妻は夫を“水の竜の力”で癒すことが当たり前の世界では、火の竜の力を持ってしまった個性的な女の子は肩身が狭い思いをして、傷つくのだ。
けれど、今、世界が……、そして常識が変わるチャンスの時に、そんなくだらない価値観を残す必要はまるでない。四つの世界の存在は俺たちの価値観を広げ、視野を大きく広げてくれるはずで、それは確かに、ニノンという一人の女の子を救う助けとなるはずなんだ。
「だからニノン、君を選ばないドワーフの男なんか、君の方から投げ捨ててやれ。君はもっともっと素敵なパートナーをほかの種族から見つけ出せばいい」
それはそう、つまりはそれだけの話なのだから。
「というわけなんですが、族長さん、納得してもらえましたか?」
「ふむ……、なるほど。つまりは、それがぬしの描く未来像、というわけじゃな?」
「そんな大仰なものじゃないです。でも、これはちょっとだけ視点を変えるだけで解決する問題ですから」
この世界にはどうにも解決しがたい問題がある。けれど、少なくともこれはそうじゃない。
すでに、人間の研究機関により、他種族間でも生殖が可能ということが判明している。
四つの世界の種族同士で婚儀を結び、子をなしていくことは十分に可能。無論、そのためのルール作りは必要になるだろうし、軋轢なども生まれるだろうが、それで救われる人が一人でもいるならば、努力する価値は十分にある。
「ふむ、なるほどの。して、その剣はどうするのじゃ?」
「んー、そこまでは考えてなかったのですが、そうですね、俺がお預かりしてもいいですし、必要とあらばお返ししますよ」
というか、むしろ、こんな剣をもって日本の町を歩くと、割と早い段階で捕まるんじゃないか、という気がしないではないんで、できればドワーフ族の方で預かってもらいたくもあるんだが。
「まぁ、少なくとも将来、ニノンに大切な人ができたら喜んでお渡ししますよ」
「あのっ!」
と、そこで、ようやく正気を取り戻したのか、ニノンが声を上げた。
「あの……その……」
「んっ? なんだい、ニノン、どうかした?」
小さな両手をギュッと握りしめて、ニノンは俺の顔を見上げた。
その必死の表情に、何事か、と少しばかり心配になるけど……、
「あの、その結婚相手、ですけど……、それってつまり、ボクが選んでもいい、ってこと、なんでしょうか?」
「いいもなにも、ニノンみたいに可愛くっていい子、どんな男だってオーケーするんじゃないかな?」
そうか。あの風習に従っていれば、ドワーフ族では女の子の方で相手を選ぶことはできないということになる。まぁ、実際には形骸化しているとはいえ、依然としてそう言う意識が残っていたとしてもおかしくはない。
ニノンは小さな口をパクパクさせて、ほんの少しだけ息を喘がせてから、
「……じゃあ、ボク、ツグルさんがいいです」
「…………はい?」
ニノンは今しがた温泉から出てきました、とばかりに顔を真っ赤に染めて、微かに潤んだ瞳で、俺を見上げる。
「ボク、ツグルさんと結婚したいです!」
もう一度、決意のこもった声で言った。
「なっ、なんですってっ!」
悲鳴のような声を上げたのはアスセナだった。先ほどまでは、ニノンの慰め役に回っていたのに、今はその視線に刃のような鋭さが混じっていた。
「おおっと、これはこれは、強力なライバル出現、であるな」
さらに大気の精霊、シルフがいらん事を言って、火に油を注ぐ。
「てめぇっ! 大気精霊! 余計なこと言うとアスセナが本気にするだろうが。っていうか、ニノン、そんなに焦って決めなくてもさ……」
「……やっぱりボクじゃ……、ダメ、なんでしょうか?」
しゅん、と悲しげに肩を落としてしまうニノン。と同時に、その後ろに立つニノンのお父さんから、濃密な殺気が……。
「……い、いやいやいや、別にダメってこともなくって。そう! 法! 人間世界の法律的にね、今すぐはニノンと結婚とかいうのはどちらにしろムリだから! だからさ、ニノン、せめてあと五年間ぐらいかけて、ゆっくり相手を決めること! いいね?」
「……わかりました。あまり自信はないですが……、頑張ってみます」
「そうそう、ニノンは可愛いんだから、彼氏なんてすぐできるさ。自信持っていいよ」
「いえ、ツグルさん以外の人を選ぶ自信がまったくないですけど、でも、頑張ってみます」
そう言って、はにかむニノンは、やっぱり、とても可愛かった。
……こうして、俺は十一歳のドワーフの女の子から、その父親の見てる目の前で告白を受けるはめになってしまったわけなんだが。
本当、るり子ちゃんがこの場にいなくってよかったと思うよ。後で陽菜子になに言われるかわかったもんじゃないしな。
そうそう、るり子ちゃんと言えば、なんとなーく忘れちゃいけないものを忘れてしまった気がするわけなんだけど……。
まぁ、気のせいかな? 覚えてないってことは、きっと大して大事なことでもなかった、ってことだろう。
うん、きっとそうだ。




