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第十二話 火の竜と水の竜と

 一人残された俺は、その場でゆっくりカウントしだした。

 そろそろ限界だが、あと十分で出られる、とわかったら、なんとなく元気が出てきた。

「それにしても、ニノンが女の子だったなんてな……」

 てっきり弟みたいなつもりでいたんだけど、これで生徒会は俺以外全員女の子ということになってしまった。

 なんというか、ちょっとだけ肩身が狭いかもしれない。

「けど、どうしてあんな勇ましい格好で登校してるんだろう?」

 より一層、それが気になった。

 なんとなくだけど、ニノンの様子を見ていると、自分が女の子だって隠しておきたかったみたいにも見えるんだけどな。

「んー……、っと、そろそろいいかな?」

 気がつけば、もうじき五百八十ぐらいまで数えるところまできていた。

 さすがにもう服を着て外に出てるだろう。あんまり、姿を消してるのも、怪しいし。

「いや、この時点でもう十分、変質者っぽいよな」

 俺は思わず苦笑する。なにせ、他はともかく、アンネリースさんもいたし、見つかったらさすがに言い訳できないレベルである。

 一度、お湯に潜ってから、岩をくぐり、元の浴場へと戻る。

「ぷはっ、あー、苦しかった……」

 顔を拭って、ゆっくり視線を上げると……、

「あっ……れ?」

 視界に、ありえないはずのものが飛びこんできた。

 床を踏み締める小さな素足……、小さな可愛らしい指の先で、美しい爪が健康的に輝いていた。

 ひょこん、と可愛らしく浮かび上がった踝、俺の手首よりもさらに細そうな足首の上、傷一つないすべすべの脛が伸びる。

 形の良い膝小僧から伸びる幼い太もも、その肌は、極上のミルクを固めて作ったかのように滑らかだ。

 胸元からは小さなタオルが垂れていた。その隙間からちらりと覗くおへそは、創造主が美しいものを作ろう、と決めて位置を決めたかのごとく、可愛らしいお腹の中でひときわ、その美しさを主張していた。

 未だくびれの見えぬ腰、綺麗にくぼんだみぞおちと、つやつやした脇の下、女神のかんざしのように美しい鎖骨まで目が行ったところで、俺の頭が真っ白になった。

 ……まずい。もし、これが他の種族の代表の女の子だったら、間違いなく、国際問題ならぬ、異世界間問題に……、

「あっは……」

 その声に……、お湯に浸かっているにも関わらず、鳥肌が立った。

まっ白だった頭の中が、じわり、と血の色へと染まっていく。

 俺はなにか……、なにかとんでもない勘違いをしていた気がする。

 そこに立っていたのがアスセナであれ、カステヘルミであれ、ニノンであれ、よしんばアンネリースさんであれ……。

 ここまで危機的状況には陥らなかっただろう、という圧倒的な危機感、そして恐怖。

 底知れぬほど深く、鋭い……殺意。

 そう、これは異世界間の外交問題とか、軋轢とか、そう言った遠い話ではなく……。

 現実的な、差し迫った命の問題だ!

 俺は急ぎ、視線を上げた。

 華奢な首筋、そこに伝う髪の色は、黒。

「あっは、珍しいところで会いますねぇ、ねえ? ツグルお兄さん?」

 日本人形のように整った顔に、とろけそうなほどの笑みを浮かべて、九瑠璃るり子が立っていた。

「るっるる、るり子、ちゃん?」

「あっは、楽しかったですか?」

 かくん、と無表情に首をかしげて、るり子ちゃんが言った。

「なっ、なな、なにが?」

「もちろん、舐めまわすようにるり子の体を眺め回すことによって、るり子を辱めることが、ですよ?」

「いっ、いや、そんなことは……」

「それともまさか……楽しくなかったんですか?」

 …………これは、詰んだ。

 ここで楽しくなかったと言えば、じゃあ、るり子の体、魅力がないってことですね?

 などと言って、たぶん、確実な死が待っている。

 かと言って、楽しかったなどと言った日には、陽菜子に報告を入れられて、社会的に抹殺された上に、その後でじわじわ殺される!

「あっは、楽しくないはずないですよね? だって、他の種族の代表の子たちもさっきまで入ってたみたいじゃないですか? もう、男の子として本懐を遂げ過ぎて、死んじゃってもいいってぐらいじゃないんですか…………今すぐに」

 底知れぬ闇を湛えた瞳で、真っ直ぐに俺を見つめてくるるり子ちゃん。

「あっ、る、るり子ちゃん……、えーっと、一言だけ、いい?」

「なんですか? お兄さん」

 なにか、言わないとまずい。ここで、なにか、起死回生の一言を!

混乱した頭で考えに考えに考えて、必死に必死に必死をかけて絞りだした言葉は……、

「そっ、その格好でシャイニングウィザードとかやると大変なことになるよ? ほら、いろいろと、タオルとか小さいし、ね?」

 割と最低の言葉だったと我ながら思う。

 るり子ちゃんは、自分の格好を見て、それから、小さく肩をすくめてから、にこり、と笑みを浮かべて……。

 唐突に、持っていたタオルをぽとり、と落として見せた。

「ちょおおおいっ! るり子ちゃんっ!?」

 一糸まとわぬ美しい肢体が、目に焼き付く。神々しく輝きすら放っていそうな、完璧な裸体は、油絵にでもしたら、さぞや絵になるだろう。

「あっは、これで同じことでしょう? お兄さん。大丈夫ですよ、るり子、今からリミットを外します……。ちゃーんと吹き飛ばしてあげますから、安心してください」

 そっ、それはあれかっ! もしかして、後で殺すからまずいことを知られても何の問題もないという、完全無欠な悪党の理論っ!

 ゆらぁりと一歩こちらににじり寄るるり子ちゃん。さらりとこぼれた黒髪が、頬を滑り、なんだか、怪談に出てくる幽霊みたいな顔になっている。

「いやいやいやいや、ダメだからっ! えーっと、そ、そう、もし俺がるり子ちゃんのシャイニングウィザードの姿にときめいちゃったりしたら、そのときめきは心臓に記憶されるわけだから、たとえ頭を吹き飛ばされようと……」

「大丈夫ですよ? 上半身粉々ですから」

 ぜんぜん大丈夫じゃねぇっ!

 ゆら、ゆら、っと近づいてくるるり子ちゃん。その迫力に負けて、俺は踵を返そうとした……、ところで、

「しゃーいにーんぐぅ、ウィザードっ!」

 俺の意識は途絶えた。


「うっ……む?」

「ツグルさんっ! 目が覚めたんですね!」

 目を開けると、間近にニノンの顔があった。

 燃えるような赤い髪、湯上りでほんのり火照った頬をゆるめて、安堵の息を吐く。

「あれ? 俺……は?」

「湯船を出てすぐのところで、倒れていたそうです。あの後、父との会談を終えて温泉に行かれた九瑠璃学長が見つけられました。きっと湯あたりしたんでしょう」

 そっか、長く浸かってたから……。

 それにしても、るり子ちゃんが来てた?

 全く記憶にない……、いや? なんか、思い出そうとすると、頭が痛く……、

「ツグルさん、頭が痛みますか? すみません、ボクがあんな隠れ場所を提案しなければ」

 ニノンが心配そうに顔を近づけてくる。息を呑むほど可愛い女の子に息がかかるほど顔を近づけられては、さすがにちょっと緊張してしまう。

「いや、ニノン、あの時は本当に助かったよ。ありがとう」

 顔を横にして、視線をそらそうとしたところで、ふと気づく。

 頬に当たるすべすべとした感触、ほんのりと温かいそれは、ニノンに太ももだった。

 どうやら、膝枕をしてもらっていたらしい。うるおいのある肌からは、ほんのりと花の香りが漂っていた。

「ああ、ごめん。俺……」

「いえ、そのままで。今、ちょうど枕を変えていたところだったので」

 ニノンはそのまま、新しい枕を置いた。

「へぇ、それってもしかして、氷が入ってる枕かい?」

「いえ、氷の魔力を持った石を詰めたものです。体調を崩して、熱などが出た時に使います。あとは、鍛冶仕事で体が熱を持った時にも……」

 なるほど、ドワーフならばありそうだ。

 と、そこで、ふいにニノンが寂しげな顔をして、

「ダメですね、ボク……、こんなことしか、できないなんて……」

 紅く可愛らしい唇から、ぽろりと言葉がこぼれ落ちる。

 言ってる意味がわからずに、俺は彼女を見上げた。

見つめられたら、石になってしまいそうなぐらいに美しい瞳が、うっすら潤んでいるように見えた。

「ここに来る途中の丘に剣が立っているのを、ご覧になりましたか?」

 急な話の展開に、首を傾げつつも、俺はそっと頷く。

「ドワーフ族には、女の子が生まれた時に父親が娘のために一振りの剣を作るという風習があります」

 なるほど、日本にも子どもが生まれたら木を植えるみたいな習慣があるけど、剣を打つというのは、実にドワーフらしい風習である。

「その剣は、娘が八歳の誕生日を迎えた年、年始めの祭りの時にあの丘に立てられ、そして、同じ年の男子によって引き抜かれます。男子はその剣の持ち主の女子を自らの妻にする、そういう古いしきたりがあるんです」

「それは……、大変だね、そんなに早く許嫁とか決まっちゃうのか」

「もちろん、古いしきたりです。今ではほとんど形骸化していますし、結婚はもっと当人同士の気持ちを大切にするようになっています。むしろ、あの剣は次代へと一族を守る意志を継承する、というような意味合いの方が強くなっています」

 まぁ、それはそうだろうな。第一、そんなやり方では、年の違う者が結婚することができなくなってしまう。

 と、そんなことを考えていたところで、ふと疑問に思う。

 あれ? だけど、じゃあ、あの剣は……、

「あれは、ボクの剣なんです」

 自嘲するように笑って、ニノンが言った。

「族長である父が、ボクのために丹精こめて作った、一本。ドワーフ族の男ならば誰でも欲しくなるような、素晴らしい業物です。でも、誰も手にとろうとはしなかったんです。せっかく、父が作ってくれたのに……」

「そんな……、どうして?」

 ニノンは自分の手の平を見つめると、そっと俺の額にそれを当てた。ひんやりとした感触が、なんとも気持ちいい。けど……、

「ニノン?」

「火の竜よ、その力を示せ」

 次の瞬間、彼女の手の平が温かくなった。

「前に言いましたよね、ドワーフ族は火の竜の力と水の竜の力を与えられた種族なんだって」

「ああ、言ってたね」

「普通、ドワーフ族では火の竜の祝福を男が、水の竜の祝福を女が受けるものと考えられています。そして、鍛冶場で熱くなった夫の体を妻が水の竜の力で癒すというのは、ドワーフ族の女性にとって当たり前の勤めです」

 ニノンはそっと自分の手の平を見つめて、悲しげに笑った。

「それができないボクを妻に迎えようなんて言う男の子、いるわけないんです。間違ってあの剣を抜いてしまって、それを理由に無理やりボクのお婿さんにさせられたらたまらないって、みんなそう思ってるんです」

 俺は思わず、その時のことを想像してしまった。

 自分の剣が抜かれるのを今か今かと待ち望む少女。ちょっぴり不安で、でもすごく楽しみで、その瞬間をずっとずっと待ち望んで……、だけど、誰も彼女の剣に手を伸ばさない。

 それは……、なんて。

 なんて、残酷なことなんだろう……。

 同年代の女の子の中で、ただ一人、剣を抜いてもらえずに、自分を選んでもらえずに、ただそれを見守らなければならないことは。

 誰かが手にとってくれるかもしれない。誰でもいい、自分の剣を手にとって欲しい。自分という存在を認めて、受け入れてほしい。

 その微かな期待を踏みにじられて、ただ一本だけ残された丘の剣を見て……。

それは、どれだけ、彼女の心を傷付けたことだろうか?

ニノンは、あの丘を、いつもどんな気持ちで見つめていたんだろうか?

「それじゃあ、鎧に身を包んで、性別を隠してたのは……」

「火の竜の祝福を受けてしまった以上、ボクは鍛冶の仕事をして生きていくしかありません。だから、ボクは、こうやって男の子として生きていくしかないんです……。仕方ないことですから……」

違う、それは、たぶんそんな単純な話じゃない。

 火の竜の祝福を受けていたって、鍛冶の仕事をしなければならないからって、男として振る舞わなければならない理由はない。

 けど、ニノンは、こんなにも可愛いから。

 もしかしたら、ニノンに惚れて求婚してくる男はいるかもしれない。

しかし、彼女は火の竜の力しか使えないから……、もしそのことが知られてしまったら、きっとその男は離れていく。

そのたびに、彼女は傷つくんだ。

少しでも期待したら、その分、傷は大きくなる。

 だから、はじめから、彼女はその可能性を断とうとしたんだ。

 男として振る舞い、その美しい顔を鎧の中に封じ込めて……。

 ニノンは、そこで、そっと微笑んだ。

 寂しさを含んだ、けれど、それを必死に隠そうとする切ない笑みだった。

「昨日、神社でボクの力を褒めてくれたじゃないですか? それが、なんだかとっても嬉しくって。はじめて褒められて、そばに居たいって言ってもらえて、頭がボーっとしちゃうぐらい嬉しくって」

 それで、なのか? ニノンが風邪をひいたのも。

 あの時、ただそれだけのことが嬉しくって、それで力が使えなくって、雨で体が冷えてしまった。

 ただそれだけ、ほんの少し褒めてもらっただけのことが、それほど嬉しかったのだろうか?

「だから、ツグルさんが湯あたりして、それを水の竜の力で癒せないことが少しだけ口惜しかった。それで、つい話してしまいました。すみません、変な話をしてしまって。どうか忘れてください。明日からは、また、男の子として、扱ってくださいね」

 だけど、その寂しげな笑みは切なくて、どうにも可愛くって……。

 鎧の中に封じ込めてしまうには、あまりにも、あまりにも……。

 もったいなさすぎるよな、やっぱりさ。


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