第十一話 ドワーフ温泉
異なる世界、異なる時空が繋がるということ。
それがどういった原因で起こり、実際になにが起きているのか、詳しいことは未だになにも判明していない。
ただどうやら、世界が繋がってしまうというのは、ここから先が異世界ですと明確な線引きができるものではない、ということは判明している。
どちらかと言えば、それは繋がったというよりは、重なったという方が近いものらしいのだ。
それはさながらグラデーションのように、近づくとどんどん異世界が濃くなっていき、最後にはそちらの世界に移動しているという、そのようなイメージが最も合うのだという。
しかも、異世界に向かうということは、方向に縛られるものではないのだということもわかってきている。
つまり、西に大火山が見えたからと言って、単純に西に向かえばそちらに行けるわけではない。「大火山に向かおう」と思って移動しない限り、そちら側の世界には行けないのだ。
それはもしかすると、霧で迷い、気づいたら異世界に足を踏み入れてしまっていた、という類のおとぎ話に近いのかもしれない。
そんな感じなので、異世界に迷いこむ人が結構いるかと危惧されていたけれど、実際にはほとんど、そんな人はいなかった。
まぁ、野次馬根性を総動員したとしても、異世界に行こうという気にはなかなかならないんじゃないかな。
なにしろ帰ってこれなくなる可能性も皆無というわけではない。好き好んでリスクを冒す人間はいないということだ。
近づくにつれ、学園から見た時には蜃気楼のように見えていた大火山は、徐々に存在感を増していった。
「異世界に行くのははじめてだけど、なんか、緊張するな」
「心配せずとも、わたくしがついておりましてよ、ツグルさま」
アスセナがどん、と平らな胸を叩く。と、自分が鎧を着込んでいたことを忘れていたのか、痛そうに手をぷらぷらさせている。
「ふむ、少し暑くなってきたかの?」
「硫黄の香りも強くなってきた気がいたしますね」
アンネリースさんがあたりを見回しながら、そっと口元を押さえた。
言われてみれば確かに、温泉街特有の匂いがあたりに立ち込め始めていた。
「ところで、ツグルさま、ニノンさんのお家はわかっておりますの?」
「一応、ドワーフ族の人に連絡しといてもらったんだけど……っと、あれかな?」
小走りにこちらに来たのは、ドワーフ族の少女だった。
ニノンと違って、普通の服を着ている。
ドワーフ族のお祭りの時に気づいたことなんだけど、いかにドワーフ族とはいえ、フルプレートアーマーを着込んでいる者は珍しい。
むしろ彼らは鎧や手甲などをファッションの一部としてつけていることが多いようだ。
じゃあ、ニノンはなんであんな格好を? と思うのだが、未だに聞けていない。
まぁ、人それぞれいろいろな事情があるわけだしね。
「こんにちは、四葉学園生徒会のみなさんですね。ようこそ、ドワーフの世界、大火山へ」
にこやかな顔でそう言うと、少女はララン、と名乗った。
それぞれの自己紹介もほどほどに、彼女は歩きはじめた。
歩くこと数分、俺たちの前に巨大な門が現れた。門の両側には大きな竜の彫像が置かれている。もしかすると、ニノンが言っていた火の竜と水の竜の象ったものなのだろうか?
竜の額にはそれぞれ赤と青の宝石がはめ込まれている。
「町は地下にございます。ここからはトロッコによる移動になりますね」
トロッコに揺られること、さらに数分。
俺たちの目の前に巨大な地下都市が姿を現した。
「これは……、すごいな」
岩盤をくりぬいて作ったその町は、さながら、超古代に栄えた謎の文明、といった雰囲気をたたえていた。
天井の高さはおよそ……、えー、何メートルぐらいだ? とりあえず、高層ビルが入ってしまいそうなぐらいには高い。
広さはそれこそ、うちの町に匹敵する広さだ。
「ここは族長のいる集落ですので、人口も十万を数えます」
案内の少女、ラランの説明によれば、ここ以外にも集落は存在しているらしい。
「ふむ、魔石を組みこんでおるようじゃな。家から魔力を感じるぞ」
「ええ、そうですね。特に風の魔石は町を火山の熱から守るのに必須のものですから」
そうだ、そう言えば、先ほどから暑さがまったく変わっていない。
地下に行けば行くほど温度が上がるはずだと思うけど、どうやら、魔石の力で押さえているらしい。
「なるほどの。魔族の場合は魔力を溜めておける魔石を使うが、ドワーフ族はもとから魔力を秘めた魔石を使うようじゃな」
「そうですね、私たちドワーフは火の竜・水の竜の力しか使うことができませんから」
「いや、その力を持って魔力を持った鉱石の加工ができるというならば、立派なものじゃ。魔族にとっても、ドワーフ族との交流は有益なものとなるであろう」
あごに手を当てて、うなるカステヘルミ。こうしていると、確かに、魔族の次世代を担うお姫様って感じがする。
アスセナとじゃれ合っていた時とは大違いだ。
「ん? あれは、なんですか?」
その時、俺は町外れの丘に奇妙な物を見つけた。
「えっ? どれですか?」
「いや、あれです。あの剣……」
丘の上にぽつん、と一本剣が突き立っていた。それは、まるで、聖剣と勇者を巡る物語のワンシーンのようだった。
この剣を抜いた者に特別な力が与えられて、とか、抜いた者が王になる、とか、そう言った類の。
「あれって、なんなんですか?」
尋ねると、なぜだろう、ラランは気まずげに目をそらした。
「私の口からはちょっと……。ただ、我々の伝統にまつわるものであるとだけ……」
「へぇ……」
ドワーフの伝統か。気にはなるけど、なんか話しづらそうだし、無理に聞き出す必要もないかな。
ドワーフ族長の家、つまりはニノンの家は町のほぼ中央にあった。
一際巨大な岩をくりぬいて作ったそれは、案内のラランいわく、温泉付きの超豪邸らしい。
「よくぞ来られた。四葉学園生徒会一同。我が子ニノンが世話になっているな、がはがはは!」
ドワーフ族の族長は豊かな口髭を撫でながら、豪快な笑みを浮かべた。
こう言っては失礼かもしれないけど、実にドワーフらしいおじさんである。
「どうも、ご無沙汰しています。実はニノンが体調を崩したって聞いたのでお見舞いに来たんですけど」
「ん? ああ、わざわざすまんなぁ。どうも、雨に当たりすぎたらしくてな、すっかり風邪をこじらせてしまったらしい」
えっ、雨? でも、昨日は確か……。
「なぁに、そんなに心配することはないぞ。今はドワーフ族自慢の温泉に入っているところだからな、風邪など一日で治ってしまうわ。がはは」
「風邪なのに、温泉ですか?」
いや、確かに熱いお風呂に入ってよく寝れば治るってのは、民間療法的には聞くけど。
「おうともさ。我らドワーフ族が火の竜と水の竜との加護を受け取ることは聞いているか?」
「ああ、それらしい話はニノンから」
「ふむ、火と水の力、その合わさった物こそが、つまりは温泉だろう? 恩恵の相乗効果で、簡単な病など吹きとぶぞい」
がはがはは、と豪快な笑い声を上げる族長。
いや、まぁ、確かにそう言えなくもないけどさ、なんとも単純……、いや、他の世界の文明をバカにするのはよくない。
火と水の祝福=温泉、これはドワーフの常識だと考えて、尊重すべきだ。
「すまないが、ワシはこの後、客人との約束があるが、せっかくだ、お主らも入って行くがよい。ララン、すまないが、彼らを温泉まで案内してやってくれ」
部屋の外では先ほど、案内してくれた少女、ラランが待っていてくれた。
なんか、申しわけありません、と言ったら、バイトですから、とニコやかに返されてしまった。
俺たちの案内すると、ルビーの大きなやつをもらえるとか……。
俺も、ここでバイトしてみたくなったけど、ダメかな?
「あっ、そうそう、族長のお家って岩盤浴も有名なんですよ。そちらも使っていいって言われてますけど、どうします?」
「ほほう! 岩盤浴とな。さすがは火山帯じゃな。魔王城にもあるにはあるが、いかんせん人工の偽物じゃからな。一度、本物をと所望しておったが、ここで入れるならばちょうど良い」
ノリノリのカステヘルミ。背中の翼がうきうき、わさわさ弾んでいた。
対して、
「なんですの? ガンバンヨクって」
アスセナの方は知らないらしい。というか、そもそもエルフにはお風呂という概念がないらしい。
彼女たちは湖での水浴びが主で、お湯につかるという発想がそもそもなかったとか。
そんなアスセナを見て、カステヘルミはふふん、と鼻を鳴らした。
「なんじゃ、田舎エルフはそのようなことも知らんのか? 岩盤浴というのはな……」
と、そこで一度言葉を切ってから、カステヘルミはにんまりいたずらっぽい笑みを浮かべた。
「岩盤浴、それは、修行の一つじゃ」
「しゅっ、修行……ですの?」
ごくり、と喉を鳴らすアスセナに、カステヘルミは無言で頷き返す。
「熱く熱した岩の上に寝転んでの、汗をガンガンにかくのじゃ」
「あっ、熱く熱した岩の上に? そのようなことして、平気ですの?」
「平気であるわけがあるまい! じゃが、熱くてたまらん、と思っても、たとえ泣き叫ぼうとも、時間になるまでは決してそこから動けないのじゃ」
アスセナは心なしか青ざめた顔で、カステヘルミの話を聞いていた。
「その修業が終わるころには、全身汗まみれ、体力の大半を失っているという、極めて恐ろしい修行じゃ」
「そっ、そのような恐ろしいものがございますの?」
「魔界にはある。人間界にはあるのかの?」
「えっ、ああ、まぁ、あるにはあるけど……」
一応ことわっておくけど、岩盤浴はそう言う修行とかの類じゃない。
あくまでも健康のためのものだし、第一、やっていて気持ちいいもののはずだ。
「せっかくの機会じゃ。アスセナもともにやっていくがよい」
「あっ、いえ、その、わたくしは、えーっと、できればどちらもやらずに、お部屋の方で待たせていただき……」
「ほほーう、つまり、それはあれじゃな? ドワーフ族の族長自らがすすめてくださったご厚意を反故にする、というわけじゃな?」
「え? いえ、決してそのようなことは」
「つまり、エルフ族はドワーフ族にケンカを売ろうというわけじゃなー? どうなんじゃ? エルフ族代表、ア・ス・セ・ナ・殿?」
くすぐられたお返し、とばかりに、アスセナを攻め立てるカステヘルミ。
アスセナは早くも涙目になってしまっている。
「でっ、ですけど、ですけれど……、ぐず」
「どうするんじゃー? ええ?」
あーあ、さっきやりすぎたから。まぁ、実際に行ってみれば大したことないってわかるだろうけど。
「あー、あっちは時間かかりそうだから、先に、俺の方は温泉に行ってもいいですか?」
そう尋ねると、ラランはなぜか、びっくりした顔でこちらを見つめた。
「え? ですが、その、今はニノン様が入られていますから」
「ああ、それならちょうど良かった。いろいろ生徒会の議事とか話すこともあるので、じゃあ、ニノンのところに案内してください」
そう言うと、さらにびっくりした顔をして、それから、急に顔を赤らめてしまう。
あれ? なんか変なこと言ったかな?
連れてこられたのは、スーパー銭湯とかより、さらに広い脱衣所だった。
「男湯とか女湯とかないんですね?」
「これだけ広くっても、一応、個人宅のお風呂ですからね」
なるほど、確かに。ということは、他の生徒会の面々が来るまでに出てしまわないとダメってことか。
「じゃあ、急いで入らないと。ああ、あと、ニノンにもそのこと言っておかないとな」
ラランは再び、顔を赤くして、一礼だけ残して走って行ってしまった。
んー、やっぱり、なんか変なこと言ったかな?
首を傾げつつも、俺は服を脱ぎ捨てる。
あまり、時間はないし、てっとり早く温泉浴びて、出ないと。
「うわぁ……、すごい広さだな」
浴場は文字通り、大浴場だった。二、三十人が一斉に来ても十分に入りきれそうな感じだ。
ところどころに大きな岩がむき出しになっていて、実に風情がある感じだ。
お湯は日本でもお馴染み、白い濁り湯だった。どんな成分なのか、後で聞いてみようかなぁ、なんてことを考えていると……、
「誰ですかっ!?」
凛とした鋭い声が響いた。
ああ、どうでもいいけど、ニノンの顔見るのって、これで初めてだったっけ……、とか、なんか、裸の付き合いってますます弟っぽく感じてしまうなぁ……、などと、のんきなことを考えていたわけだが……。
一瞬、固まった。
目の前の光景がまるで理解できずに、かちんこちんに固まってしまう。
はじめに見えたのは健康的な肌色だった。張りのある肌の上、玉になった水が宝石のようにキラキラ輝いていた。
一呼吸。
そうして、ようやく、それが幼い二の腕であることに気づく。細く華奢に見えて、けれど、どこかしなやかさを持った腕は機能的な美しさと芸術的な美しさとが絶妙のバランスを保っていた。
柔らかな女の子らしい曲線を描く肩、華奢な鎖骨から首筋にかけて張りついていたのは、燃えるような赤い髪だった。
未だあどけなさを残した顔に、驚きの色を浮かべて“少女”は口を開いた。
「ツグル……さん、どうして、ここに?」
なぜ、ここに女の子がいるのか? その疑問の答えが出せないうちに、その声が誰のものなのかに、俺は気づいた。
「……もしかして、ニノンか?」
いや、でも……、まさか。
俺は改めて、目の前の女の子を見た。
端整な顔をした、実に可愛らしい女の子だった。
エメラルドグリーンに輝く瞳、小さな鼻先とふっくらと柔らかそうな幼い唇、お湯の中にいるからだろう、その頬はほんのり桜色に染まっていた。
右の腕で隠された胸元、未だ膨らみを帯びていない胸の下には、微かにあばら骨が浮かび上がっていた。
ちょこんと小さなおへそと、ほんのりくびれた腰……、とそこまで見た時、
「きゃあっ!」
ニノンが悲鳴を上げて、お湯の中にしゃがみこんだ。
「みっ、見ないで……見ないでください……」
弱々しく、言う。
……このどっからどう見ても乙女な反応って、もしかして……。
「えーっと? んー……」
考えろ。この事態に対する合理的な解釈を、つまり、これはっ!
「あっ! もしかして、最近流行りの男の娘!?」
「れっきとした女の子ですっ!」
ですよねー!
頬をぷっくり膨らませるニノン。薄っすら涙のたまった瞳で、じとーっとこちらを睨みつけてくる。
なるほど、確かに、その顔は頭に超をつけてもいいぐらいに可愛くって、彼女が女の子なんだ、って思うには十分すぎて……。
「えっ、ってことは……、まさか……」
と、そこへ……、
「あー、気持ちよかったですわ。岩盤浴最高ですわねー」
「ふん、とっとと怖気づいて逃げれば良いものを。まったく、田舎エルフにはもったいないぐらいじゃったな」
「なんですって! どういうことですの! というか、あんまり気持ちよすぎて忘れてましたが、よくもこのわたくしを騙してくださいましたわね! 過酷な修行だなどと!」
「まあまあ、アスセナ、そう声を荒げずに」
「って! シルフ、どうしてこんなところに来ますの! ここはお風呂ですのよ! 殿方が入ってよろしいところではございませんわ!」
「おお、これはしつれ……ぬぁおう!」
ずごぉん、とものすごい音とともに、温泉の表面に波紋が走った。
「ふふん、魔法生物ごときが、余の肌を見ようなどとは、百年早いわ」
どうやら、シルフがなにがしかの魔法で消し飛ばされたらしい……。
……やばい。ここにいたら、俺も消し飛ばされるかもしれない。
「どっどどど、どうする? どうすれば……」
「ツグルさん」
凛とした声、ふと見ると、ニノンが覚悟を決めたような顔でこちらを見つめていた。
胸に当てた腕から垂れた水が、すぅっと可愛らしいおへそへと流れていくのが見えて、そこから……、
「……どっ、どこ見てるんですか?」
ニノンがものすごい勢いで体の向きを変えて……、あろうことか、おへそを隠した。
「いや、誤解だよ? というか、そもそも俺が女の子のおへそが大好きだということ自体が大変な誤解だ。まったく根も葉もない、完全無欠の誤解だな……。って、なんか、こんなにムキになって否定するとますます疑われそうな気がしてきた……いや、まぁ、それはいい」
「そうですね、今はそんなこと言ってる場合じゃありませんでした」
ニノンは気持ちを入れ替えるように首を振ると、
「どうぞ、温泉に入ってください」
「えっ? いや、悪いけど、今はそんなことしてる場合じゃ……」
「わかっています。ボクに考えがありますから」
「……もしかして、助けてくれるのかい?」
普通、お風呂に入っているところを覗かれたりしたら、悲鳴を上げるなり、訴えるなりするところだけど……。
「どうせ、温泉に入るように勧めたのは父、ですよね? ならば、ボクたちドワーフ族の責任ですから。人間とエルフ、魔族の関係悪化を誘うわけにはいきません。どうぞ、こっちです」
生真面目に言って、ニノンは俺を温泉の中へと誘った。
「ところで、ツグルさんは何十分、息を止めていられますか?」
「何十分?」
「ええ、もし、女の子がお風呂に入り終わるぐらい潜っていられるのであれば、ここのお湯は濁り湯ですから、十分に隠れられますけど……」
いやいや、無茶を言わないでくれ、無茶を。
「せいぜい、二分がいいとこじゃないかな」
死ぬ気で三分。それ以上はどう考えても無理だ……。
「やっぱり、そうですか……」
ニノンは、んー、とうなってから、
「では、やはり、そこの岩の影に息をひそめて隠れていたいただくしかありませんね……」
ニノンが指示したのは、大きな岩が三つほど重なり合った場所だった。
「そこの岩は三つの岩のちょうど間が小さな空洞になっていて、かろうじて顔を出せるようになっているんです。だから、息ができます」
なるほど、よく見れば確かに三つの岩の間には空洞ができているようだった。しかも、どうやら潜らないと中に入れないらしい。
「あとは、ボクがそこの前にいれば、たぶん見えないはずです」
ありがたい。こんな時までかばってくれるニノンに感謝の気持ちを伝えようとしたところで、
「来ました。急いでください」
その声に押されるようにして、俺はお湯の中に潜った。手探りで岩の下の方の亀裂を見つけると一気にそこに潜りこむ。
そっと音を立てないようにして問題の場所に到着。なるほど、かろうじて頭の半分ぐらいが出せるみたいだ。
どうやら、これで呼吸の心配はなさそうだ。
岩の向こうにはニノンの背中が見えていた。
すっと背中の真ん中を通る背骨、ぷっくり綺麗に浮かび上がった肩甲骨と華奢な首筋が見える。
俺が見つからないように、とそこにいてくれることに改めて感謝しつつ、俺は温泉の入口に視線を移した。
直後、勢いよく扉が開く音。と同時に、ぺたぺたと床を踏み締める音が聞こえた。
「んむ? なんじゃ、先客がいたのか……」
一番、先頭はカステヘルミだった。
いつもはツインテールにしている青髪を無造作に垂らしたその姿は、神々しいばかりに美しかった。
細く華奢な手足、幼い太ももはまるで真珠のように艶めき、輝くばかりの白さを誇っていた。
……が、一糸まとわぬ姿で堂々と立ちつくすその姿は、どちらかというと、やんちゃな男の子のようだった。
「む? もしや、そちがニノンか?」
ぽむ、と手を打って、カステヘルミが言う。
「はい、この姿では初めまして、ですね。ドワーフ族代表、族長が一人子、ニノンです。お見知り置きを」
「なるほどの、鎧の中はそのような顔をしておったのか」
さして驚いた様子のない彼女に、ニノンは不思議そうに尋ねた。
「あの、驚かないんですか?」
「ふむ、まぁ、驚くほどの美しさと言えなくもないが、それを自らの口で指摘するとは、そち、鎧を着ていないと自信家になるタイプか?」
「あっ、いえ、そういうわけではなく、ボクが女の子だってわかったのに、驚かないのかな、って」
「そんなの、見てればわかりますわよ? 仕草からして、明らかに女の子でしたし……」
ぽちゃり、とお湯が揺れる音がする。
そちらに目をやると、すべすべの膝小僧が視界に飛び込んできた。ふっくら柔らかげな幼いふくらはぎ、強く握ったら折れてしまいそうな足首ときれいに浮き上がった踝。
可愛らしい脚をきゅっと曲げ、湯加減を調べているのはアスセナだった。
その姿はさながら、泉に住むという伝説の妖精のようだった。
「っていうか、カステヘルミさん、あなたの方こそ、もう少し慎み深くされたらどうですの? 男の子のふりをしていたニノンさんの方がよほど女の子らしいですわよ?」
左手で持った小さなタオルで体の前面を隠し、アスセナはあからさまにため息を吐いた。髪の手入れに気を使うエルフ族だからだろう。その髪は頭の上に綺麗にまとめられていて、そんな姿も実に女の子らしかった。
アスセナは、ほっそりとした脚を伸ばし、そのつま先、小さな足の指の先をお湯につけて……、
「あっつっ!」
ちゃぷん、とお湯を波立てて、慌てて引き抜く。
水浴び主体の生活の彼女にとって、どうやらこのお湯は熱すぎるらしい。
幾度かの逡巡の後、アスセナは苦労して、ゆっくりとお湯の中に体を沈めていった。
「まったく、そんな品のない態度で王族の一員とは、とても信じられませ……きゃあっ!」
カステヘルミがアスセナにお湯をかけた。
「なっ、なな、なにするんですのっ!」
「ふふーん、そち、どうやら熱さに弱いようではないか?」
鼻歌まじりに、カステヘルミが言った。まるで、楽しいオモチャを見つけた子どものような顔をしている。
「なっ、なんですの? そのお顔は……、きゃあ、う、動かないでっ! 動くと波が当たって熱いですわ!」
ずんずんと近づいてくるカステヘルミに、アスセナは体を丸めて必死に抗議の声を上げた。
「ほーう、そうかそうか。なるほどのぅ、ところで、アスセナ思い出さぬか? 確か、この余の翼をくすぐってくれた無礼者がいたなぁ、誰であったかなぁ? のう、アスセナ、そち、おぼえておらぬか?」
「なっ、わっ……、わたくしに、近づかないでくださいましっ! きゃっ、あっつ!」
「ふふん、良いではないか? 先ほどはあんなに仲良くじゃれ合った仲ではないか? んん?」
逃げようとしたアスセナの後ろから、カステヘルミが抱きついた。細い腕を巻きつけて、アスセナが逃げられないようにがっちり押さえつけて、お湯の中に引きずりこむ。
「きゃあっ! はっ、はなして、はなしてくださいましっ! あっ、なんとかしてくださいませ、アンネリースさん!」
手足をばたばたさせて、懸命に助けを求めるアスセナ。けれど、その声に答える者はなく……。
「まったく……、仕方がありませんね。姫さま、お友だちと遊ぶのもよろしいですが、あまりお湯の中で暴れないようにしてください」
我、関せず、とばかりに冷静に注意するのはアンネリースさんだった。こちらは、すでに、ニノンの横で、肩まで浸かって、温泉を満喫中だ。
雪のように白い肌はお湯の温かさに、ほんのり赤くなっている。
「まぁ、話は戻しますが、いろいろと種族の中でのご事情があるのでしょうから、口にはしませんでしたが、ニノンさんのことはみなさま気付いていたと思いますが?」
「そう……なんですか?」
ちらっと一瞬だけ肩越しにこちらを見るニノン。
すみません、全然、わかってませんでした。
「あっ、ところで、ツグルさまはいらっしゃらなかったんですの?」
やっとのことで、カステヘルミから逃げ出したアスセナは、湯船に腰かけながら聞いた。
膝から下をお湯につけて、ぽちゃぽちゃ、と小さな足の甲でお湯を蹴っている。
弾けたお湯はさながら、彼女の美しい肌を飾る宝石のように、キラキラ輝いていた。
「えっ、あー、はい。ボクが入ってるってわかって、出て行かれました。みなさんが出られるのを待ってるんじゃないかと思います」
「そうですの? ここに来るまでにもお会いしませんでしたし、どこに行かれたのかしら?」
「まぁ、良いではないか? 女は風呂が長いというのは、どうせどこの種族でも同じことじゃろ? 待たせておけば良い、のう、アンネリース?」
「そうですね、ここは少しばかり甘えてしまってもよろしいかと……」
どうやら、アンネリースさんもカステヘルミと同意見らしい。
……ってことは、少なくとも、あと三十分以上はここに隠れてるのか。それは結構、しんどいかも……。
息はできるものの、熱気と湿気がこもっていて、なんとも息苦しい。
って、いかんいかん、気持ちを強く持たないと。
俺は息苦しさを吹き飛ばすべく、大きく息を吐いた。
「きゃっ!」
次の瞬間、ニノンが変な声を上げてとび上がった。どうやら、息がうなじのあたりをくすぐってしまったらしい。
「なんじゃ、どうかしたのか? ニノン」
「えっ、あ、いえ、なんでもないです。ちょっと天井から水が垂れてきただけで。あはは、そっ、それより、そろそろ出ませんか? お話もしたいですし……」
「賛成ですわ。早く出て、シルフの冷たい風に当たりたいですわ」
「そうか? せっかく、温泉に来たんじゃから、もう少しゆっくりしたいところなのじゃが……」
「ホストがそう言われるのでしたら、仕方ありますまい。姫さま、私たちも出るのが礼儀かと」
ニノンにつられて他の面々も出て行ってくれるらしい。
ふぅ、よかった……、これで一安心だ。
最後に立ちあがったニノンに、俺は囁きかける。
「ごめん、ニノン。ありがとう」
ニノンは一度、こちらを見てから、
「お礼にはおよびません。十分ぐらいしたら出てきてください。鉢合わせしたら意味ないですから」
それだけ言って出て行ってしまった。
実は女の子でしたー、とか、ドワーフは火山に住んでるから温泉だろー、とか、お約束をたくさん詰め込んで作った話ですね。
うん、やっぱりお約束って楽しいですよねw




