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花咲く頃に  作者: 優希
4/5

終わり

『時』は容赦なく過ぎる。

一日が早すぎて、一か月が早すぎて、一年が早すぎて…季節はまた過ぎ去ろうとしている。


「蛍」


声が聞こえて振り返る。


「蒼太。体調はもう良いのか?」


「うん。心配かけてごめんね」


無邪気な笑顔は昔から変わってないが、確実に変化している蒼太。


「もう冬になる。寒いのだから、無理をするな」


隣に腰かけた蒼太の皺だらけの手をさする。


「大丈夫。周りの人より衰えは来てないみたいだし」


「この山道も、もう応えるだろう。頼むから、無理はしないでくれ」


「無理なんかしてないよ」


蒼太は笑うが、私は笑えない。

蒼太の寿命が近づいてくる。

私と蒼太の重なった『時』が、過ぎ去ろうとしている。


「…蒼太」


私は、『時』を恨みながらも、なるべく長く一緒に居られるように声をかける。


「夕方は、いつもより早く帰れ。夜は冷えるから」


「あぁ。蛍は気が利くね」


皺の刻まれた顔で微笑まれて、私も微笑み返した。



満月を眺めながら、考える。

蒼太との明日は、あるのだろうか。

そんな不吉なことを感じてしまうほど、蒼太の老いというものが恐かった。

ひ弱で小さかった蒼太。いつの間にか私より大きくなった蒼太。老いていく蒼太。

いつまで、蒼太を見ていられるだろう…。

その時、突然強い風が吹き抜けた。


「蛍」


背後からの愛しい声に、私は応える。


「こんな時間にどうした?」


珍しいな、と振り返った。

そこには、青年姿の蒼太がいた。


「少し、外を歩こうよ」


微笑みを浮かべた蒼太に誘われ、私は蒼太の隣に並んだ。


「懐かしいな。その姿」


「でしょう?僕もそう思ったよ」


軽く周囲を歩く。

蒼太がここに迷い込んできた道。よく隠れていた大きな木。

突然、蒼太が立ち止まった。

社から、ちょうど正面に当たる位置だ。


「ねぇ、蛍」


蒼太は決心したように口を開いた。


「好きな相手に花言葉を教えると、その花は毎年咲くんだって」


昔、蒼太と読んだ本にそんな言葉が書いてあったな。

思い出していると、蒼太は不安げな顔で続けた。


「女々しいって分かってるよ。でも…いいかな?」


不安げな顔に懐かしさを覚えつつ、私は笑って答える。


「お前はいつも女々しいだろう?今さら許可なんていらない」


「酷いなぁ」


笑った蒼太は、ある花を指差した。

薄紫色の、綺麗な花。


「これは…」


「そう。あの時に植えた花だよ」


「そうか…。こんなに綺麗な花を咲かせていたのか。気付かなかったよ」


私は、その小さな花びらにそっと触れた。


「花の名前、思い出したよ」


蒼太は、薄紫色の花を見つめて微笑みながら教えてくれた。


「紫苑…っていうんだ」


「シオン…」


呟いて、その花をじっと見つめる。

儚い紫色が、月明かりで輝いている。


「花言葉はね…」


蒼太が大切なことを言おうとしている。

それが伝わってきて、私は振り返って蒼太を見つめた。

月明かりに照らされた蒼太は、いつもよりどこか寂しげな笑顔で告げた。


「『君を忘れない』」


分厚い雲が月を隠す。

一気に闇が濃くなり、蒼太の表情が見えなくなる。


「…私たちにぴったりかもしれないな」


「そうだよね。僕もそう思って」


表情の見えない蒼太は続けた。


「これで…僕が居なくても寂しくないでしょ?」


「ははっ」


私は、笑った。


「阿呆か、お前は」


そして、涙を零した。


「寂しくないわけ、ないだろう…っ!」


蒼太が居なくなる。

そんなこと、想像しただけで嫌だ。

覚悟はしていた。雨の中で抱きしめられた、あの日から、ずっと。

でも、やっぱり短すぎる。

蒼太の時間は、私には早すぎる。

きっと、私はこれから気が遠くなるほどの『時』を過ごすのだ。


「お別れ、なんだろう?」


私はポツリと呟いた。

分かっていた。そんなことは。

蒼太と出会った時から、別れがあることは分かっていたんだ。

それが恐くて、逃げ出したこともあった。

でも、少しでも一緒に居よう、と言われて、寄り添った。

ついに…ついに来たのか、この時が。

蒼太と終わりを迎えなければいけない時が。


「…うん、今はお別れだよ。でも、きっと…また逢える」


蒼太は少しためらってから、「ねぇ、蛍」と私を呼んだ。


「僕はね、蛍のことが…」


「言うな」


私は蒼太の唇に、自分の人差し指を押し当てた。


「言わなくても、分かっている」


分かっているが…蒼太の口からその言葉を聞くと、きっと別れることが出来なくなる。

私たちは分かり合ってきた。

私は一瞬ほどの短い時間で。蒼太は一生ほどの長い時間で。

今も、通じ合っているはずだ。

蒼太は私の手を握り、口元から離した。


「…そうだね」


私の手を握る蒼太の手は、最初に会った時のようにふわふわでも小さくもない。

でも、どちらの手も好きだった。

蒼太が、好き、だった。

この大きな手に縋りついて泣けたら、どれほど楽だろう。


「蒼太…っ」


名前を呼ぶだけで、温かい気持ちになった。

長く存在してきて、そんなことは初めてだったんだ。


「蛍は僕より泣き虫だよね」


蒼太の声で呼ばれる名前は、特別だった。

適当につけた記号のような名前を『素敵だ』と言ってくれた時から、きっと私は蒼太を大切に思っていた。


「蒼太…っ行くな…!」


願いを零すと、蒼太の手が私の頭に乗った。


「…ごめんね」


謝らせたいわけじゃない。

ただ、傍に居て欲しい。

それすら、叶わないのか。

蒼太の手の温もりが薄くなっていく。


「…かくれんぼをしよう」


私の言葉に、蒼太は「うん」と優しい声で応えた。


「蒼太が探す役だ」


「必ず、見つけるから」


「遅すぎたら、お前みたいに泣くからな」


「それは困るなぁ。なるべく早く見つけなきゃ」


一筋、月明かりが雲の合間から差し込んだ。

その光で見えた蒼太の顔は、笑顔だった。

目の端に涙が滲んでいたが、確かに、笑顔だった。

手が離れる。

追いそうになった自分の手を制した。


「隠れずに待っててね」


「私は、ここに居るから。早く見つけてくれよ、蒼太」


「任せてよ、蛍」


笑った蒼太。つられて笑った私。

蒼太の姿が、消え去る。

一瞬で、まるで、元から何もなかったように。

月明かりも消え、分厚い雲から雨が降り始めた。

痛いほど、優しい雨が。

いっそ、激しく降ってくれ。

私を、叩きつけるように。

悲しみを打ち消すくらいに。

私は、その場に崩れ落ちた。


「うっ…うああああああああっ!」


頬を伝っているのは、雨か涙か。

分からなくなるほど、もっと、激しく雨が降ればいい。


「うあああああああああん…っ」


私が泣いているのは、何故だろう。

愛する人がこの世界から居なくなった悲しみか。

独りで取り残された寂しさか。

これからも存在し続けることに対する絶望か。


「うっ…くっ…うああああああああっ!」


―――私は、慟哭をやめなかった。

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