表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
花咲く頃に  作者: 優希
3/5

「もうここへは来るな」


雨粒が激しく地面を叩く中、私は低い声で言い放つ。

それは、仕方のないことだろう。

『時』を分かってしまったから。

『別れ』が見えてきてしまったから。

『独り』になることが怖いから。


「蛍…?どうしたの、急に」


蒼太は見開いた目で、私を見つめる。

私は蒼太の視線から逃れるように俯き、笑った。


「お前も、もう大人だ。いつまでも遊んでいるわけにもいかないだろう?」


「大人って…僕はまだ十七だよ?」


「もう遊んでいていい歳じゃない」


私は拒絶の意を示すように、社の戸を閉めた。


「蛍…?」


外から、社に近づく足音が聞こえる。


「来るな!」


私は座り込み、膝を抱えた。


「…蛍。僕のことは心配しなくていいよ」


蒼太の声色から、私を心配してくれていることが伝わってくる。

不安げなこの声も、優しい性格も、器用な指先も、名前や存在すらも…

全てが、愛しかった。

でも、その気持ちが大きい分、離れるべきだ。

早く離れないと、この気持ちがどんどん膨れ上がってしまう。

恐い…、私は恐いんだ。

蒼太を失うことが、ただ恐い。

だから今、これ以上傷が深くならない内に、離れなければいけない。


「もう…もう二度と、ここに来るな」


「蛍…」


「やめろ!私の名を呼ぶな!」


離れられなくなったら終わりだ。

今、この戸を開けてしまったら、きっと近い未来で私は深く傷つくことになる。


「誤算だった…」


こんなに、大切になってしまうなんて。


「誤算?」


聞き返す声に、まだ居たのか、と私はハッと息を呑んだ。

心を落ち着けて、嘘を吐く。


「…そうだ。お前は退屈しのぎになると思ったが…まったく面白くなかった!」


雨音に消されないように、大きな声で。


「全然楽しくなかったし、面白くなかった!一人で…」


血が出るほど強く腕を抱きしめる指。震える声。歪む視界。

痛い。でも…駄目だ、ここで突き放さないと。

言いたくない嘘を、無理やり喉から押し出して叫んだ。


「独りで居たほうが、マシだ!」


その言葉を最後に、雨の音以外、何も聞こえなくなった。

空気が重く、静まり返っている。


「…本当に、そう思ってる?」


沈黙を破った蒼太の声は普段より低く、唸るような声だった。

否定して謝るなら今しかない。でも、私は、私には…


「…あぁ…そうだ…」


そう答えるしか、出来なかった。

これで、深く傷つかなくて済む。あぁ、良かった…。

良かったはずなのに…どうして、涙は流れるんだ。


「…分かった」


蒼太の足音が遠ざかっていく。

私は口元を強く押さえた。

ここで、嗚咽を漏らしてはいけない。

泣いていることを、気づかれてはいけない。

涙の雨よ、やめ。心の慟哭よ、静まれ。




私は体調を崩した。

泣き続けた結果かもしれないし、自分を守るために蒼太を傷つけた罰かもしれない。

あの日から、蒼太は来ない。

私は冷たい板に横たわったまま、動けなくなった。

もうこのまま消えてもいい。いや、消えてしまいたい。

今日も、あの日と同じように雨が降っている。

梅雨の時期は憂鬱で、あまり好きじゃなかった。

でも、蒼太と居ると、どんな天気でも楽しかった。

蒼太…。

自分から突き放しておいて身勝手なのは分かっている。だが、私は寂しかった。

蒼太に会いたい…。

ただ、傍に居て欲しい…。

不意に足音が聞こえた。


「――、―――」


よく聞こえないが、微かに人の声がする。

また、誰かが迷い込んできたのだろうか。

蒼太のことを思い出し、涙が溢れる。

まだ、涙は枯れていないらしい。

体を動かすことも出来ない私は、その足音と声に耳を傾ける。

人の気配なんて、何日ぶりだろう。

何十年を短く感じる私が、たった数日を長く感じるなんて、おかしな話だ。


「――る、ほたる」


その声は、聞き間違いようもない愛しいものだ。

私は、無理やり体を起こした。

閉め切った戸の向こうから、足音が近づいてくる。

駄目だ、会っては駄目なんだ…!

私は立ち上がると、ふらふらと頼りない足取りで、裏の出口から逃げた。


―――会っては駄目だ。話しては駄目だ。

顔を合わせると、声を聞いてしまうと、きっと私は蒼太から離れられなくなるだろう。

歩き疲れ、近くにあった大きな木の幹に体を預ける。

息が上がり、その場に座り込んだ。

雨に打たれているはずなのに、その感覚はない。冷たさすら感じない。

頭が痛い。吐き気がする。体の感覚がない。もはや手足も他人のもののようだ。

このまま、消えるんだろうか。

それでもいい。いっそ、それがいい気がした。


「…蛍…どこに…!」


遠くから蒼太の声がする。

あぁ、蒼太。すまない…巻き込んでしまって。

私の下らない遊びに巻き込んでしまって…本当にすまなかった。

蒼太は人間として、私のことなんか忘れて生きて欲しい…。

私は、目を閉じた。


「やっと…見つけた」


両腕が掴まれたと思ったら、いきなり引き上げられた。

驚く間もなく、温かい腕に包まれる。


「そう…た…」


声を絞り出すと、その声の弱々しさに自分で情けなくなった。

抱きしめられている、と気付いたのは、その数秒後。

―――温かい…。

何も感じなかったはずなのに、蒼太の温かみだけは感じられる。

蒼太は、強く私を抱きしめていた。

強く、強く、痛いくらいに。


「蛍」


蒼太は少し笑った。


「かくれんぼなんて、懐かしいね」


「かくれんぼ…?」


「いつか蛍を見つけられるようになるって、約束したよね」


蒼太の腕に力がこもる。


「果たせて良かった…」


懐かしい、楽しい日々が頭をよぎる。

飛ぶように過ぎてしまった、あの日々。

私も笑おうと試みたが、駄目だった。

笑えない。


「何で…来たんだ…」


明らかに蒼太を拒絶する言葉を投げつけたはずだ。

どうして…どうして戻ってきてしまうんだ。


「約束だから」


蒼太はためらうことなく答えた。


「独りにしないって、約束したから」


『これからは、君が傍に居てくれないか?少年』

『絶対…!約束するよ…っ!』

つい昨日のことのように思い出す、少年との約束。


「嫌なんだ…」


つい、本音が漏れた。


「蒼太と私は、生きる『時』が違うんだよ…。きっと、蒼太は私を置いていく…」


蒼太の肩に、顔を押し付ける。

涙を流すところを見られたくなかった。


「置いていかれたくない…蒼太が居なくなって独りになるのが…どうしても恐いんだ…」


蒼太は、どう答えるだろう。

出会った時のように泣くだろうか。それとも、面倒だと突き放すだろうか。


「…何だ、そんなことか」


蒼太は笑った。

驚いて顔を上げる。


「な、何で笑う…っ!」


蒼太は、だって、と続けた。


「嫌われたかと思って不安だったから…」


さらに強く抱きしめられて、どれほど私のことを思ってくれていたか伝わってくる。

でも、駄目なんだ。この温かさは、心地よさは、いつか消えてしまう…。

分かっているのに、温もりに触れている今は、それを離すことが出来ない。


「僕、思うんだけど」


蒼太の声に、少し顔を上げる。


「いつか別れることが恐いからって早めに離れちゃったら、もったいないよ」


「もったいない…?」


「だってさ、蛍にとっては少しだけかもしれないけど、これからも一緒に居られる時間は残っているんだよ?だからさ…」


蒼太は、声色を真剣なものにして、言ってくれた。


「あと少しでも…最期の時まで、一緒に居よう」


私は蒼太の肩に顔をうずめた。

私の目からは、涙が零れていた。


「…ありがとう、蒼太」


放そうとしていたものを、私はしっかりと掴みなおした。

もう、二度と放さないように。

いつか失ってしまう、その時まで。

私は、それを放さない。

雨はいつしか止んでいた。


「蒼太…。出来る限りでいい…傍に居てくれ」


私の言葉に、蒼太は深く頷いた。

初めて会った、あの時のように。





―――――蒼太。


―――――何?


―――――どこに居る?


―――――ここに居るよ。蛍のすぐ近く。


―――――蒼太。


―――――ん?


―――――どこにも、行かないでくれ。


―――――大丈夫。傍に居るよ。


―――――蒼太…


―――――ずっと、蛍の傍に居るよ。





「無理して雨の中を歩いたりするからだよ」


蒼太は水に浸したタオルを絞り、私の額に乗せる。


「仕方ないだろう…。あぁ、喉が痛い…」


「風邪が悪化したんだよ。水、飲む?」


小さく頷くと、濡れタオルを取って起き上がった。


「はい」


手渡されて、水を飲む。

軽く咳き込むと、蒼太は背をさすってくれた。

再び横になると、私は溜め息を吐く。


「退屈だな」


「絶対安静だよ」


「…分かってる」


私は風邪を引いていたらしい。

風邪とは人間のなる病で、私には関係ないと思っていた。

まさか、こんなに苦しいとは。

今は蒼太の看病のおかげで大分楽になった。


「今まで風邪を引いたことがないなんて…そんな人もいるんだね」


「私は人じゃないからな。多分」


「多分か」


蒼太が笑って、私も笑った。

…こんな日々は、いつまで続いてくれるんだろう。

蒼太の笑顔は、いつまで私の傍に在るんだろう。


「あ、そうだ。蛍、花を植えてもいい?」


思い出したように言う蒼太に、私は首を傾げる。


「花なんて、そこら中に咲いてるじゃないか。何でわざわざ…」


「植えたくて。そこだけでいいから」


社のすぐ目の前を指差す蒼太。


「私は構わないが、急に花なんてどうしたんだ?」


蒼太は笑顔のまま何も答えない。


「…まぁ、言いたくないならいい」


「言いたくないわけじゃないんだけど…忘れちゃって」


嘘が下手だな。

私が苦笑すると、蒼太は種を植えに行った。

戻ってきた蒼太に、私は訊ねる。


「水やりとか、私がやっておいたほうがいいか?」


「いや、自然の力に任せていいんじゃない?」


「適当だな…。そんなので本当に咲くのか?何て花を植えたんだ?」


蒼太は、またごまかすように笑った。


「ごめん。忘れちゃった」


「…じゃあ、いつか聞かせてくれ」


不審には思いながら、私は蒼太の嘘を許す。

蒼太もそれは分かっているようで、困ったように笑って言った。


「うん、いつか…思い出した時にね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ