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(序)

題材として手描き友禅の世界を使っていますが、あくまでもフィクションであり、実際の仕事ととして工程等がすべて正しいとは限らないことをご了承ください。


 目の前に広げられた振袖の地色を見て、川村(かわむら)利市(りいち)は息を飲んだ。

 喩えるなら、冬陽が沈み、夕闇から夜に変わる一瞬の空の色。紫と表現するにはあまりにも複雑な色合いのそれは、紛れも無く『冬川紫(とうせんむらさき)』と称された、手描き友禅師・乃木(のぎ)冬川(とうせん)のものだった。

「どうですやろ? 冬川先生の作やと思われますか?」

 乃木冬川の七回忌に、その振袖は現れた。冬川が生前懇意にしていた京都の呉服商・業平屋が持ち込んだのだ。何でも店の贔屓筋が某オークションで競り落とし、冬川の手によるものかどうかを調べて欲しいと依頼してきたのだと言う。冬川作品を見定める目に自信を持つ業平屋であったが、その彼をもってしても真偽がわからず、冬川最後の弟子である利市に託された。

 師の図案はすべて頭に入っている。菊花の絵柄は冬川の最も得意とするもので、構図も筆致も彼の特徴を表していたが、利市の記憶の中には存在しない。それに葉に虫食いの跡は描いても、花枯れは表現しなかった。特有の上品さで咲き誇る菊の一輪に、先が薄茶に色づけされ、落ちる瞬間の花弁が一枚――あり得ない。

 業平屋も当然、そのことには気づいていた。

「そやけどこの紫は、見れば見るほど冬川紫としか。それに広げた時の印象が」

「ええ…」

 やっとのことで利市は言葉を吐いた。

 冬川は水元(余分な糊や染料を洗い流す)以外の工程を、すべて自分で行う友禅師だった。納得の行く仕事のために、製作するペースを崩さなかった。故に作品数は少なく、市場価値が高い。贋作は毎年のように出てくるが、これほどに出来の良いものを利市は見たことがなかった。

 何よりもその色。冬川紫は唯一人、後継として『冬』の字を名乗ることを許された利市でさえ、出せないでいる色合いだった。冬川が没して六年、その間に弟子の誰も再現することが出来ずにいる幻の色なのだ。今までこの色の贋作は出ていない。 

 その色が目の前にある。

「実はこれ一枚やないんです。あと二枚、別々の古着市でも出とったらしいんですわ。冬川紫が出たら仲間内で評判になりますよって」

「乃木冬川の銘で出品されてたんですか?」

「そないに聞いとります。さすがに同じ時期に三枚も出るんはおかしい言うことになって、破格は破格らしいんですけど」

「出品者は?」

 利市に心当たりがないわけではなかった。乃木冬川には、家を出て行った手描き友禅師の息子がいた。



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