飽くことのない親方
森の奥の、大きな木の根元に小さな扉が付いています。よく見なければ見つけられないくらい小さな扉です。
大きな木の中は吹き抜けの工場になっていて、小さな人たちが“妖精の羽根”を作っています。
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工場の2階で、ピノは布を織るのに疲れて、ウトウトと居眠りをしていました。
「へっくち」
しかしピノは、寒くて目を覚ましました。
外は冬です。工場の中は温かく火を焚いていますが、それでもピノのいる2階は窓からの隙間風がピノの眠りを妨げました。
目を覚ましたピノは仕事を思い出し、寝ぼけ眼をしたまま、作り終えて乾かしておいた羽根を3階へと運びました。
3階に上がると、親方が真剣な顔で羽根を春の色に染めているところでした。部屋には湯気が上がっていて、ほわんと温かい空気を頬に感じました。
「親方、羽根、ここにおいていいですか」
「お、ピノ、起きたのか。ご苦労さん」
ピノがサボって昼寝をしていたことなど、親方にはお見通しでした。
ピノは羽根を台の上に置くと、ウーンと伸びをしました。「はわわわ」とあくびまでしています。
「どうした、ピノ。疲れたか?」
「え、ううん。疲れてないですけど・・・親方って、ずっとこの仕事してるんですよね?」
ピノは真剣に色付けをしている親方のそばに行くと、淡い桜色に染まっていく羽根を見ながら聞きました。
「お?なんだ、いきなり」
「だってね、ずっとってことは、僕がまだ産まれる前からでしょ?飽きないのかなーって思ったんですよ」
「飽きないかだって?飽きないねぇ。なんだ、ピノお前、飽きたのか?」
親方はメガネの上から目をのぞかせて、ピノに向き直りました。
「僕は飽きませんよ。忙しいもん」
「まあ、お前さんは半分以上サボってるからな。その分忙しかろ」
親方はカラカラ笑うと、ほんのりと染まった羽根を作業台に置きました。
ちょうどその時、1階で扉がパタンと閉まる音がしました。
「ただいまー」
ピノの兄弟子のポンが帰ってきたのです。
「ポン、おかえりー!」
ピノは大急ぎで、1階まで降りて行きました。寒い外から帰ってきたポンに、温かいお茶を淹れてあげようとしているのです。勿論、仕事を少しの間サボるための口実ですが。
ピノが下に降りて行くと、ポンは雪を払いながら上着を脱いでいるところでした。
「ポン、おかえり・・・あ」
「ただいま。なに、どうしたの?」
ポンを迎えに降りてきて「あ」と言ったきり、ピノが口をあんぐりと開けて立ち尽くしているのを、ポンはキョトンとして眺めました。
「ぽ、ポン・・・それ、なに?」
ピノは恐る恐るポンの後ろを指さしました。
ポンは指さされた方へゆっくりと振り返りました。
ポンの肩越しに、シーツを頭からかぶった、ユーレイのような何かがユラユラと揺れていました。
「ひ!」
自分の背後にいたソレに、ポンも気付いていなかったのでしょう。
あまりにも急にそんなものが自分のそばにいたので、ポンは目を大きく開いたまま、身体が凍ったようにカチンコチンになってしまいました。
「あ・・・か・・・っ!」
声にならず、ポンが首をギシギシときしませながらなんとかピノの方を向くと、ピノは口をパクパクしていました。
すると、そのユーレイシーツから、細い白い手が伸びてきて、ポンのほっぺを撫でました。
「ひぃ!」
ポンは硬直したまま、震えていました。見開いた目しか動かせません。
その白い手は、今度はピノの方に伸びてきて、ピノの頬に触りました。
「うっひゃああああああーー!」
ピノは大声で叫ぶと、手をぶんぶんと振り回しました。
「うわ、うわ、うわ!」
言葉にならず、とにかく叫んで暴れると、ピノの振り回した手がユーレイの被っていたシーツをサッと向こうへ飛ばしました。
シーツの下から出てきたのは、ポンより少し背の高い、銀の髪の毛をした美しい少年でした。白いヒラヒラしたワンピースを着ていて、足は素足です。
「あ!」
ポンとピノはそう叫ぶと、それがユーレイではなかったことで、やっと安心しました。
「君、だれ?」
ピノが聞きました。
銀の髪の少年はにっこりして、可愛らしく顔をかしげると、また手を伸ばして、ピノの頬に触りました。
「うわ、冷たい!なに、何なの、寒いの?」
銀の髪の少年はクスクスと笑いながら、部屋の中をパタパタと走りました。
「ねぇ、ちょっと君!君、どうしたの?どこから来たの?」
少年があんまりにも冷たい手をしていて、しかも寒そうな格好なので、ポンは自分の上着を取って、彼を追いかけました。しかし、少年はパタパタと軽い音をたてて、楽しそうに家の中を走っていてとても捕まえられません。
「うわ、すばしっこいな!ね、君、まって!」
もう少しで手が届きそうなのに、少年はヒラリと身を避けて、笑いながら二人をかわして家の中をひらひら走り回りました。
ポンがもう少しで追いついて、上着をかけようとすると、少年はまたポンの頬を触りました。
「ひぃいい!」
あの手の冷たさに震えるポンを見て、ピノがゲラゲラ笑いました。
1階の大騒ぎを聞きつけて親方が降りてきました。
「なぁにやってるんだ、ひよっ子どもが!」
親方の大声で、ピノもポンも、少年までもが止まりました。そしてみんな揃って階段から下りてくる親方を見ました。
親方も銀色の髪の少年を見て、驚いています。それでも、ポンやピノのように棒立ちになるようなことはありませんでした。
親方は、出来たばかりの春の羽根を手に持ち、ノシノシと少年の方へやってきて、それを少年に渡しました。
少年は親方に渡された羽根を両手に持つと、嬉しそうに腕を伸ばしました。
羽根は光りながら少年の手の中に溶けてゆき、気が付くと少年の背中から生えて、パタパタと動いていました。
ポンとピノが驚いて目を見開いて見ていると、真っ白だった少年の皮膚はほんのり紅みを帯びたように見え、薄絹もふわりと春の香りが香るようでした。
背中で小刻みに動く羽根はキラキラと光り、光りの粒をまき散らしています。少年は工場の吹き抜けをまっすぐに登って行き、光りを弾けさせて消えました。
「あ!」
ピノが大声をあげました。
「今の、妖精!?」
「今頃なーに言っておるか!妖精くらい見たことあるだろうが。まだ、寝ぼけてるのか?」
親方はガハハと笑って、ピノの背中をたたきました。
「だって、羽根がなかったから・・・わからなかった」
ポンはまだ呆然としたまま、やっとそう言いました。
「お前さんまで、分からなかったのか。アレは妖精だ。羽根をとりに来たんじゃないか」
「へ~、そっか~!妖精が、羽根をもらいにここに来たんだ!やったー!」
ピノは嬉しそうに、妖精が消えて行った工場の3階まで走って登って行きました。
ポンとピノの正反対な様子を見て、親方は頭を何度か振り、笑いながら言いました。
「こんなに面白いガキどもがいるんじゃ、飽きるわけないだろう。お前さんたちが、立派な一人前の職人になったら、ワシもやっとこの仕事に飽きることができるかもしれんがな」
そう言って、ポンの頭をなでると、親方は妖精の残していった小さなキラキラ光る幸せの光りを目を細めて眺めるのでした。
この森に一番に春が訪れたのは、この小さな小さな工場で、ほのかに香る甘い春の香りが、小さな従業員たちを幸せで包んでいました。