1.
比較的スペースの狭い、木製の質素な馬車は、煌びやかな王都をがたがたと荒っぽい音を立てながら走っている。
「ヴェネ、全ては計画通りです。…でも、本当に良かったんですか?本当の事を話せばきっとご主人も賛成してくれただろうに。」
目の前に座る質の良いダークスーツを着こなし、ヴェネツィアと同じ艶やかなストレートの銀髪が更に凛とした雰囲気を醸し出す男は、心配そうにヴェネツィアの方を向いた。
「いいのよ、アラン。だって虐めたのは事実だし。それに、そこでパティシエを目指したって失敗しても褒められるような甘やかされたパティシエになる。本物のパティシエを目指すには絶対平民から、1から努力しないといけないの。その為に頑張ってきたんだから。」
ヴェネツィアは優しい笑みを浮かべ、従者のアランと視線を合わせる。従者のアランは、ヴェネツィアと同い年で小さい頃から一緒に行動を共にしている。立場的には主人と従者だが、あくまでもそれは形だけで実際は唯一無二の大親友のようなものだ。だからヴェネツィアはアランにだけ「ヴェネ」という愛称呼ばせるようにしている。それに加わる敬語は傍から聞くと少し滑稽に思えるが、これからも続けるつもりだ。
アランも、攻略対…あの貴族達と同じくらい美しい容貌をしている。透き通るような淡い青の瞳と切れ長の目は、ヴェネツィア的に一番綺麗だと昔から思っている。従者としてもとても役に立ち、仕事は丁寧に、素早くこなす有能な人物だ。
視線を合わせると、アランは一旦下を向いて視線をそらしてから、また不安げにヴェネツィアを見た。
「…そうですが。」
「アラン。貴方にはすごく感謝してる。だって、小さい頃からこの計画に乗ってくれてさ、一番に準備して、働いてくれた。乙女ゲームとか転生とかほざいた私の言うこと、信じてくれたじゃない。なのにこれから、私のせいでアランは狭い思いをしながら生活するのよ。本当にごめんなさい。」
ヴェネツィアはアランを遮るように言い、頭を下げる。アランはそれを見て、何も言えなくなってしまったのか、開こうとした口を閉じた。
ヴェネツィアは7歳の頃、アランに前世の記憶があること、ここが乙女ゲームの世界であること、そしてパティシエを目指す為に勘当されたいということを話していた。家族にも話さず、唯一信頼していたアランに。
7歳だという若さなのに、アランはそれをヴェネの言う事だからと信じ、自分の将来を無駄にしてまでこの計画に乗ってくれたのだ。そして、色々と仕事をこなしてくれた。
この今回の馬車の手配や荷造り、これから住む家まで何から何までやってくれたのだ。アランという協力者がいなければヴェネツィアはこんなことなど出来なかっただろう。
車内が重いずーんとした雰囲気になってしまい、居心地が悪くなったヴェネツィアは、ぱん、と両手を合わせて笑顔になった。
「…ねえ、やっぱりこういう雰囲気やめよう?性に合わないし?ね?それより、これから修行させてもらえる店を探すんでしょ?」
笑顔のヴェネツィアを見て、アランも笑顔になった。
「そうですね!住む家というより部屋ですね。最低限の荷物は既に送っています。大分ロイヤル家の屋敷とは広さも見た目も違いますが…。あ、今向かっているのは王都から離れたアンジェという商業が盛んな小さな街です。お菓子関係は特に有名で、知る人ぞ知るお菓子の街なんです。ケーキなどは勿論、東の国発祥の和菓子などの美味しい店が立ち並ぶ[ヴォワ・ドゥ・ガトー]という商店街が凄いんですよ!一度下見に行きましたがどの店もお洒落でとても美味しかったです。あ、和菓子って前世にもあったんでしたっけ?」
いかにも嬉しそうな表情をして、喋るアランを微笑ましく思いながらうんうんとヴェネツィアは相槌を打った。
+ + +
馬車に揺られること5時間。時々吐き気を催したアランは、馬車を止めて、外へ出ていた。多分キラキラをぶちまけていたのだろう。ヴェネツィアに関しては、こういうのに強いのか知らないがまったく吐き気を催すことも気持ち悪くなることもなかった。
馬車が荒々しく止まる。車内が少し揺れた後、着きましたよという声が聞こえた。
外の景色を見ると、すっかり日は暮れていた。
煌びやかな雰囲気の王都とは違う、自然と共存しているような落ち着いた雰囲気の街が少し遠くに見える。といっても、夜なので良く分からないが。山や海などの風景を見ることができ、あまり自然を見てこなかったヴェネツィアとアランにとっては新鮮な景色だ。
といっても、田舎という雰囲気はなく、大人で落ち着いたお洒落な住宅街が見える。
「あれがアンジェですよ、ヴェネ。」
「いいところね!流石アラン。」
「それが俺の仕事ですから。それより行きましょう。運転手が軽くこっちを睨んでます。」
前方の窓を見ると、確かに運転手が早く行けよとでも言いたげにこちらを軽く睨みながら見ていた。
アランと顔を見合わせて軽く笑ってから、二人はそれぞれ大きなトランクを持って、馬車を降りた。
+ + +
陽は沈み、街は薄暗く闇が立ち込めている。人通りはほぼなく、時たま人がこちらを不可解な目で見ながら通り過ぎていくだけ。冷たく吹く風と、その静けさにヴェネツィアは身震いした。
といっても街は洒落た街頭が規則正しく至る所に立ち並んでいて、明かりもついているし、所々明かりがついている建物もある。
(王都は今の時間帯でももっと明るかったから、慣れてないわ。)
今の時間をアランに聞けば、もう午後8時半だと言っている。
「とにかく、部屋へ行きましょう。もう買い取ってあるので家賃など必要ありません。俺らの自由です。ささ、こっちです。」
慣れた様子でアランは進んでいく。ヴェネツィアは寒さに凍えながら着いていく。そして入り組んだ住宅が立ち並ぶ路地を10分ほど北に歩いて、アランは立ち止まった。目の前にはレンガ造りの西洋建築の建物が建っている。
茶色が貴重の、この街に合った雰囲気の2階建ての建物で、レリーフ模様などの洒落た装飾が施されている。ヴェネツィアはアランはいいところを選んだ、と感じた。
「俺らの部屋は2階の角部屋なんで少し広いですよ。同棲になっちゃいますがそこは勘弁してください。あ、明日隣人の方や大家さんにも挨拶に行きましょう。」
木製の大きなドアを静かに開くと、天井の高いエントランスが目に入った。シャンデリアや床が大理石というわけではないが、明かりを灯すシンプルなランプや深い赤の絨毯など、とにかく大人、というイメージが強い好印象の建物だ。
そのまま階段を上がり、奥の部屋まで歩く。どうやらここは1、2階合わせて8部屋あるらしい。
奥の部屋の扉も、深い茶色の木製のドアだ。金属の丸い取っ手をゆっくり回し、中に入る。
「…わぁあ!綺麗ね!」
「我ながらいいところを選んだと思いますよ。」
入って廊下を渡ると、ゆったりとした広めのリビングがある。照明をつけると、ほのかに部屋が照らされ、さらにゆったりとした雰囲気になった。ソファやダイニングテーブルなどの家具は、ほとんどが部屋の雰囲気に合わせたシンプルな木製のつくりになっていた。部屋全体が茶色を基調としている。
トイレやバスルーム、クローゼットの他に小さな部屋が二部屋、あるので2人でそれぞれ使うことにした。
決して高級というわけではないが、お洒落な雰囲気で丁度良い部屋だ。二人とも気に入った。
それぞれトランクを開け、荷物を解いていく。といっても、そこまで荷物は持ってきていないが。
+ + +
夕食はアランに作ってもらい、ダイニングテーブルで食べた。そしてお風呂に入っていき、部屋着に着替えた。
見窄らしい生活を想像したが、案外やっていけそうで一安心だ。
「そういや、アランお金ってどうしたの?私は小さい頃からひらすら貯めていたお小遣いだけで足りた?」
ソファに座って、髪をバスタオルでわしゃわしゃと拭いているアランは顔だけこちらを向いた。
「俺もご主人からときどき貰ったお小遣いとか、働いたお金とかで準備してましたがヴェネのお金が充分過ぎて全然大丈夫でした。だから予定より少し良い部屋を買ったんですよ。今もまだ結構お金余ってるので、しばらくは働かなくても生活できます。」
「あら、そうだったの。」
そんなにお小遣い多かったかしら、というヴェネツィアの言葉にアランは流石公爵家令嬢、と苦笑した。
「あ、そういや俺もききたかったんですけど。何故修行する店決めなかったんですか?もしかしたら受け入れてくれないかもしれないのに。」
アランの質問を聞いたヴェネツィアは待ってましたとでも言うようにふふんと鼻を慣らし、自慢気に答えた。
「こういうのは一からやるのが大事なのよ。最初からやらないと意味がないからね!」
腕を腰にあてるヴェネツィアにまたもやアランは苦笑を漏らし、そうですかと言った。
「…そういや、私ケーキとかの知識0なんだけど。今まで学業とか悪役とかで手一杯で全然ケーキとか作ってなかったわ…。不器用と言うわけではないけど…大丈夫かな?」
ヴェネツィアはさっきとは打って変わって不安げな表情になる。
公爵令嬢というのは忙しく、今までケーキを作ったことは一回もない。というか作らせてもらえなかったのだ。幸いヴェネツィアは基本やればできるのだが、パティシエは甘くないので修行をさせてもらえるかが怪しい。相当怪しい。
「…マジですか!?といっても、俺も作ったこと50回ぐらいしかないです。」
「結構あるじゃない。」
「予習ですよ。」
今度はアランが自慢気に答える。
その答えにヴェネツィアは驚いた。
「…え?アランもパティシエ修行するの?」
「…え?そんなの、ヴェネがするなら俺もしますよ。色々と心配だし、いくら平民の前世があると言っても今世では元公爵令嬢ですからね。ボロがでそうです。」
そんなの当たり前だろという風に微笑むアランに、ヴェネツィアは放心状態に陥ってしまった。
まさか将来の職まで影響させてしまうなんて。ここでいい職を見つけてくれるだろうと結構身勝手なことを考えていたヴェネツィアは、まさかアランがパティシエを一緒に目指すなんて思わなかったのだ。
(早速ライバル現れたし…!)