気難しい音楽家
「どういうつもりだ! 店主!」
少し小雨が降っている朝の時間帯。メリスが、今日は洗濯できないなぁと、回収した洗濯物を保管しておこうとかごを持ち上げた時だった。怒鳴り声と共に、後ろから、肩を掴まれた。びっくりして振り返った先に立っていたのは、1ヶ月前から『301』に滞在している、音楽家のシュトルクという青年だった。形の良い眉をつり上げ、少々機嫌が良くないようだ。
「わ、シュトルクさん。どうかしましたか?」
「どうもこうもないだろう! 僕は宿泊するとき、なるべく隣に人をいれるなと言わなかったか!」
「あ」
言われてみれば、宿泊帳を記入してもらった時に、そんなことを了承していた。にも関わらず、昨日新しく入居したスヴェンを、シュトルクの隣の部屋に案内してしまったのだ。しばらく長期宿泊者がいなかったので、うっかり部屋番号の順番に通してしまったが、お客様の希望に背くとは、接客業にあるまじき失態だった。
「も、申し訳ありません!」
慌てて謝罪するが、シュトルクは腕を組んだまま、フン、と鼻を鳴らす。
メリスは、内心で焦っていた。シュトルクというお客様は、失礼ながら少し神経質というか、気難しい雰囲気の人だった。この方の接客は、気をつけないとなぁと思っていたのに、やってしまった。いや、どなたが相手でも、接客は気をつけないといけないのだが。
「どうかしたのか?」
「ラルフ!」
朝食の片付けをしていたらしいラルフが、エプロン姿のまま出てくる。メリスは簡単に事情を説明すると、どうしよう? と目で問いかける。事情を察すると、困ったような、なにやってんだよ、というような雰囲気が滲み出る。
「それは、申し訳ありませんでした」
そう言うと、頭を下げる。メリスも一緒に再度頭を下げた。シュトルクはこちらを見ようともしない。その様子を見て、ラルフはこっそり耳打ちする。
「別の部屋に移ってもらえば?」
それしかないよね、と口を開こうとした時だった。
「おはようございます」
階段からスヴェンが降りてきた。昨日の正装とは違い、シャツ姿の少しラフな格好だ。集まっていた3人の様子に、怪訝そうに声を掛ける。
「どうかしましたか?」
「あ、いえ、あの」
「お前が僕の部屋の隣人か。僕は、宿泊するときに、隣はなるべく空けてほしいと頼んだんだ」
「そうなの?」
「すみません、こちらのミスでした」
スヴェンに対しても高圧的な態度をとるシュトルクに、あわあわとしながら、メリスが謝罪する。スヴェンはシュトルクの態度を特に気にした様子もなく、そうなんだ、と納得した。その後で、思い出したように口を開く。
「それって、ヴァイオリンの音が漏れるから、とか?」
「は?」
スヴェンが、予想外の言葉を発した。不機嫌な表情を崩さなかったシュトルクが、驚いたような、呆れたような表情を作る。
「昨日、夕方くらいかな? 隣の部屋から本当に小さくだけど、ヴァイオリンの音が聴こえたんだ。綺麗な曲だったから、しばらく聴いていたんだけど、君だったんだね。聴いたことない曲だったけど、作曲とかする人?」
「あ、あぁ。作曲中に物音がしたりすると気が散るんだ」
にこにこと話すスヴェンに、毒気を抜かれたのか、シュトルクの様子が変わる。彼はメリスが知る限り、ここ1ヶ月、いつも不機嫌な顔つきをしていたが、今の彼はそうでもない。声にもトゲがなく、淡々と受け答えしている。
「ああ、だからなるべく隣を空けてほしいって事なんだ」
「まあ……そうだけど」
「そんなに、うるさくはしてないつもりだったけど、気になったかな? 悪かったね」
「いや、うるさくはなかった。だが、隣に人がいると思うと気になる」
満室だというならまぁ仕方ないが……と、会話を続けていくシュトルクを、メリスとラルフはポカンとして見守る。彼がこんな風に人と喋っているのを初めて見たのだ。話し掛けてもいつも高圧的で、用件が済むと会話が終わってしまうのに。
「それじゃあ、僕が部屋を移るよ。なるべく邪魔しないように気をつけるから」
「ああ、そうしてくれ。聞いたか、店主」
「あ、はいっ」
「次からは頼んだからな」
「はい、すみませんでした!」
フン、とメリスに対してはやはり不機嫌な様子のまま部屋へと戻ってしまったが、どうやら、納得してもらえたらしい。シュトルクの姿を見送ると、一息吐いた。
「ありがとうございました、スヴェンさん。お部屋まで移ってもらって……お荷物は私が運びますので」
「本当に、姉の不始末を助けてもらってありがとうございました」
「もうっ、お客様の前でそんなこと言わなくても良いじゃない!」
2人の様子に、スヴェンはくすくすと笑い声を漏らす。
「揉め事とかそんな雰囲気が苦手でね、つい口を出しちゃっただけだよ」
そう言ってくれる彼に再度感謝の意を示すと、ラルフが、感心したように頷いてスヴェンに問いかける。
「凄いな、会話術。お客さんにこう言うのもなんだけど、俺、あの人苦手なんだよな。文句だけで会話にならないし」
出した料理にも何かと細かいこと言ってくるし……と、ラルフはすっかり丁寧語が崩れた口調だ。スヴェンは気を悪くした様子も見せずに、そうでもないよ、と返した。
「奇術なんかやってると、失敗もするし。そういうときにお客さんを納得させるような話術は必要だから。人と喋るのは結構得意かな」
それに……と少し悪戯っ子みたいな笑みを作る。
「実は彼みたいな高圧的なタイプが1番扱いやすいかな。誉めると良いんだ。あ、彼には内緒だよ?」
ウインクして、唇に指をあてる。メリスはまあ、と笑った。
「それに彼の演奏や曲が素晴らしかったのも事実だし。音楽家として名前を聞かないのが不思議なくらいだよ」
スヴェンは心からの感想を述べる。そう言えば、音楽家で様々な楽器を持ち込み、作曲もしているのは知っていたけど、演奏を聴いたことはなかったなと思い至る。音楽には詳しくないが、そこまで絶賛されるなら聴いてみたいなと思えた。
騒ぎも一段落して、ラルフは調理場に戻り、メリスも洗濯物を片付けに行く。スヴェンは飲み物を頼みにきたようで、ラルフに何か頼み、食堂の席につく。その隙に、スヴェンの部屋を移すため、メリスは3階に上がった。
荷解きを後回しにしていたから、というスヴェンの言葉通り、荷物は殆ど1ヶ所にまとまっていた。それを1部屋奥の『303』に移すと、また戻ってきてシーツを取り替えて、掃除を済ませる。洗濯物溜まっちゃったなぁと、少しだけため息をつく。
「おい」
「うひゃあっ!」
掃除を済ませてシーツを手に部屋を出ると、廊下にシュトルクが立っていた。急に掛けられた声に大袈裟に驚くと、それに驚いたらしいシュトルクが、目を見開いていた。
「な、なんだよ」
「す、すみません。びっくりしちゃって。何かご用ですか?」
「いや……その」
いつもの高圧的な態度と違い、シュトルクは少し言い難そうに視線をさ迷わす。口を開きかけては止め、何事か悩んでいる。正直に言えば、持っているシーツを早くなんとかしてしまいたいメリスは、促すように、でも失礼にはならないように問いかける。
「シュトルクさん?」
「さっきは悪かった」
しかしタイミングが悪く、若干シュトルクの言葉と重なるような形になってしまった。
「え? あれ?」
「な……っんで黙って待てないんだよ! もう言わないからな!」
シュトルクの顔がみるみるうちにいつもの不機嫌な顔になっていく。メリスは内心でやってしまった、と思いつつも、少しだけ聞こえた言葉を心の中で繰り返す。
『悪かった』
そう言わなかっただろうか? 確かめようにも、目の前の相手は、とても質問できるような状態じゃないくらい不機嫌だ。今にも振り返ってどこかへ行ってしまいそうなシュトルクを前に、どうしたものかと考えを巡らせる。
『彼みたいなタイプが扱いやすいかな』
そう言っていたスヴェンの言葉を思い出す。こちらが怯んでしまうのは簡単だが、怯まなければ、スヴェンのように、会話が続けられるのではないだろうか。
メリスは少し考えてから、にっこりと微笑んだ。
「気を使って頂いて、ありがとうございます。でも、悪いのは私だった訳ですから、シュトルクさんは悪くないですよ」
すると、予想した反応と違ったのだろう、何か言いかけていた口を閉じ、シュトルクは目をそらした。
「……キツい所があるのは自覚している」
「え?」
無意識の呟きだったのだろうか、ハッとしたように素早く顔を前へ向けた。
「なんでもないっ、部屋に戻る!」
「あ、シュトルクさん!」
くるりと背を向け、部屋に入ろうとするシュトルクを呼び止める。こちらを振り向かないながらも、足を止めてくれた彼に、言葉を掛ける。
「また、お話ししてくださいね」
「……気が向いたらな」
少しの間をおき、冷たく感じる1言を最後に、バタンと、扉が閉じられてしまった。ちょっと前のメリスなら、今の1言にめげただろう。でも、今のメリスには、あれがシュトルクなりの返事なのだろうと思えた。今度は演奏も聴かせてもらえたら良いな、と、明るい気持ちで階段を降りて行く。
小雨が降るある日の事。どうやら気難しい音楽家は、そんなに悪い人でもないらしい。
『気難しい音楽家』end




