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エアツェールングの宿泊帳  作者: 翡奈月あみ(旧・陽向あみ)
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面影のぬくもり

 スヴェンの旅立ちの告白から一夜空けて、まだ新月までは数日ある。街の様子を良く覚えていたいから、と、スヴェンは朝早くから街に出掛けて行った。


 なんだか今日は日差しが暖かい。欠伸が出そうになるのを、メリスはなんとか堪えた。食堂はとっくに開いているが、残念なことに席も全部空いている。図書コーナーから本を持ってきているが、それを読み終えてしまった。

 収穫祭が終われば、エアツェールングに足を伸ばす行商人や旅人も減る。街の人たちが外食に来ない限りは、宿屋は暇なものだった。3階のお客さんが昼食に来るまではこの通りかな、と、再び出そうになった欠伸を堪えていると、ドアベルが鳴り、入り口の扉が開く。慌てていらっしゃいませ、とそちらを振り向くと。


「おう」


「アーダルベルトさん」


 入ってきたのは見慣れた姿。声色に少しだけ落胆の音が混じる。それを感じ取ったのか、店内を見回したアーダルベルトは、すまねぇな、と溢す。


「客じゃなくて。まあ、収穫祭が終わりゃあどこもこんなもんだ」


「そうなんですけどね」


 少しだけ眉を下げて笑ったメリス。


「今日は、どうしたんですか?」


 昔は良くご飯を食べに来たり、差し入れを持ってきてくれたりしたが、結婚してからはここに来ることも減ったアーダルベルト。何か用事があるのだろうと、メリスは尋ねた。


「ああ、あの冒険者の野郎はもう居ねぇか?」


「ゲオルクさんですか? えぇ、もう旅に出てますけど」


「そうか、じゃ無駄足だったな」


 はー、と面倒そうに頭を掻く。


「ゲオルクさんに用だったんですか?」


「いやまぁ、あいつにって言うよりは、冒険者にな。今月の鍛冶師新聞に、鍛冶に使える新種の鉱石が出たって話があったんだ。それを採ってきて貰えるよう、依頼しようかと思ったんだがな」


「そうだったんですか」


「まあ、すでに居ないんじゃ、しょうがねぇわな。またの機会だ。もし、あいつが来たら顔出すよう伝えてくれや」


「分かりました」


 頷いたメリスを確認すると、気を取り直すように、表情を明るくする。


「さて、このまま冷やかして帰っても悪いか。コーヒーでも1杯貰うかな」


「そんな! 気を使って貰わなくても良いんですよっ?」


 ぶんぶんと両手を振るメリスに、そんなんじゃねぇよ、と笑う。


「久々に此処のコーヒー飲みてぇしな」


「それじゃあ、お金払ってもらわなくても」


「あのなぁ、商売人なら遠慮なく取るもん取れや」


 呆れ顔のアーダルベルトは、ペシ、と軽く叩くように、メリスの頭に大きな手を乗せる。でも、と食い下がるような仕草を見せたメリス。しかし、アーダルベルトは首を振る。


「せっかくの親御さん達の思い出の宿、潰さねぇようによ」


 そう言って、頭をくしゃくしゃと撫でられ、メリスはふわりと笑った。両親達の話題を出されては、弱い。


「ありがとうございます。じゃあ、座っていてください。すぐ用意しますから!」


「おう」


 ラルフに淹れてもらったコーヒーをトレイに乗せる。


「何かお菓子ある?」


「あー、アーダルベルトさんはあんまり甘くないのが良いんだよな。今ショコラケーキ焼き上がるから持ってく」


「分かった」


 お待たせしました、とメリスはアーダルベルトが座っているテーブルの横に立つ。頬杖をついて宿をぼんやりと眺めていたアーダルベルトは、メリスに視線を合わすと、なんだか幻でも見たかのように瞬きした。


「なんだ、母親に似てきたな」


「え? そうですか?」


 カップを置きながら、きょとんとする。そんなこと、今まで誰にも言われた事はない。


「ああ、普段はそんなに思ってなかったが、一瞬錯覚しちまった。この宿の雰囲気のせいだろうな。コーヒーの香りも変わらねぇ。昔に戻ったみてぇだ」


 ブラックのコーヒーに口をつけると、懐かしいな、と目を細めた。


「実は、あんまり、覚えてないんです。お父さんと、お母さんの事。顔も、思い出せないくらい」


 トレイを胸に抱きながら、メリスは俯く。

 ただ、今までそれがあまり寂しいとも思わなかったのは、街の皆が両親の事を話して聞かせてくれたからだろう。


「無理もねぇさ。まだ5歳になるかならないかくらいのチビだったんだ」


「あの、アーダルベルトさんから見て、どんな人だったんですか? 両親は」


 アーダルベルトは、うん、と頷いて、そうだな、と懐かしむように話し始めた。


「お袋さんはとにかく優しい人でな、容姿もそれをよく表してた。少し……いや、かなりドジな所もあって、いつも何かやらかしてたなぁ」


 言われて、メリスはふと思い出す。あらまぁ、ごめんねぇ? と言うおっとりした母の声。ふわり、と笑っていたような気がする顔は、やはり思い出せない。


「親父さんもまた、優しい人だったなぁ。つーか、器が大きい人だった。感情が安定してるって言うのか、いつも笑ってたな。何が起きても、どっしり構えて、受け入れて、導けるっつーか」


 それで思い出すのは、うんと小さい頃、ラルフと喧嘩した事。まだ泣き虫だったラルフは、すぐに泣き出して、母があやしていた。先に泣かれてしまって、行き場の無くなった感情をどうして良いかも分からず、泣くのを我慢していると、父の手のひらが頭に乗った。


『ごめんなさいって、謝った方が強いんだ。メリスは少しだけお姉ちゃんだから、きっとできる』


 納得がいかないながらも、父には逆らえなくて、ごめんなさい、とラルフに謝った。そうすると、きょとんとした顔で一瞬泣き止んだラルフは、お姉ちゃん、ごめんなさい、とまた泣き出した。そして、2人で母に抱き締められた。母にふんわり撫でられて、自分が正しいことをしたんだと思った。そして、それを教えてくれた父を振り返ると。


『メリスがそうしてお手本を見せていれば、ラルフもいつか強い子になるよ』


 そうだった。メリスは、その父との約束を、ずっと守っていた。ラルフが泣いているときは、メリスはお姉ちゃんだから、と我慢した。それを見たラルフも、いつの間にか泣き止んで、じっと我慢した。いつの頃からか、ラルフがしっかり者になってきて、お姉ちゃん、と呼ぶのをやめた。それと同じくらいに、メリスのお姉ちゃんだから、という口癖も減った。


 きっかけがあればそうやって思い出す2人の記憶。あやふやで、ふわふわしているそれは、本物か偽物かもわからない。ただ、母の柔らかい声と、父の頭を撫でてくれた手だけは良く覚えている。ピアノを弾いていた指も、横で手を叩いて歌っていた母の声、乗っていた父の膝の感覚も思い出せる。なのに、思い出せない2人の姿。それがもどかしくて、記憶が本物なのか偽物なのかが怖くて、いつしか思い出そうとする事をやめていた。こんなに、暖かい記憶があるのに。


「泣けば?」


「ラルフ?」


 いつの間にか、ケーキの乗ったトレイを持ったラルフが後ろにいた。メリスは自分の目が熱い事に気付く。アーダルベルトを見ると、少し困ったようにこちらを見ていた。


「ご、ごめんなさい、私ってば!」


 メリスが慌ててそう言うと、アーダルベルトはいや、とゆっくりと首を振り、別に、とラルフがトレイをテーブルに置きながら言う。


「我慢しなくて良いんじゃない。俺、もう先に泣かないし」


 その言葉に、静まりかけていた感情がまたざわつき始めた。さっきまで思い出していた記憶がラルフにもあるんだと、メリスは安堵する。それと同時に、涙が溢れた。悲しさとか、嬉しさとかではなく、昔の記憶と、今が繋がったような安心感からの涙。メリスには思い出を共有できる人がいる。本物か偽物かなんて怖がらずに、もっと両親の思い出を話せばいいのだ。


「ごめんね、ラルフ」


「あんまり無理すんなよ」


 姉ちゃん、と。顔を逸らしながら呟くような言葉はメリスには届かず、それが聞こえたアーダルベルトは満足そうにコーヒーを口に運ぶ。


「お前らは良くやってるよ」


 昔飲んだものと変わらない味のコーヒーを飲みながら、宿に昔の面影を見る。すると、階段の方から人の気配がして、ん? とアーダルベルトはそちらを見た。


「おーい、腹が減ったぞ店主殿」


「明らかに取り込み中なのに良く行けるな、あんた」


 階段から降りてきたのは、いつも通りのヴィクトルと、なんだか居心地悪そうなシュトルク。


「わ、すみません。もう昼食の時間ですね?」


 お客さんである2人の出現に、メリスは慌てて涙を拭う。


「少しは空気読めよな」


 言いながらも、エプロンを締め直すラルフは、厨房に行く態勢だ。


「僕は引き返そうとしたんだ。それを」


 シュトルクに睨まれながらも、けろっとした雰囲気のヴィクトルは仕方あるまい? と席に着いた。


「空気を読んだところで腹の虫は泣き止まんのだ。今日のランチを貰おうか」


 手を上げたヴィクトルに頷き返すと、立ったままのシュトルクに目線を移す。


「シュトルクさんは?」


 目があったシュトルクはぎょっとして、少し決まり悪そうに視線を外す。


「同じのと、紅茶。あと、洗面所、行った方がいいんじゃないか」


「え」


「ああ、涙で目が赤いな。冷やした方が良いぞ」


「だから何でストレートに言うんだよ」


「ん?」


 2人のやり取りに、自然と笑みが溢れる。気遣うように遠回しで不器用な優しさを見せてくれたシュトルクも、いつも通りに接してくれるヴィクトルも、メリスにとっては、どちらも有り難い。


「メリス、俺やっとくから行ってきて良いよ」


「ありがと、そうする」


 少し目尻を拭って、メリスは洗面所に向かう。辿り着いた先で少し赤い顔と目が映って、お客さんの前なのにやっちゃったなぁ、と顔を洗う。ぱんっ、と頬を打ち、気合いを入れて食堂に戻る。


「おう、ラルフ、このケーキ美味いぞ。甘すぎなくて」


 戻った先で、アーダルベルトがケーキを大きく切って食べていた。大男であるアーダルベルトがそうやっている姿は、なんだか可愛らしい。 


「だろ? 甘いの苦手な人の為に作ってみた。アーダルベルトさんがそう言うなら成功かな。実は、ヒルデ姉さんにレシピ聞いて、アレンジしてある」


「じゃあ美味いわけだな」


 ふふん、と笑ったアーダルベルトに、言ってろよ、とラルフ。


「弟殿弟殿、ランチができるまで私も食べてみてやっても良いが?」


 挙手をするヴィクトルに、ああ、とラルフが反応を返す。


「ヴィクトルさんもあんまり甘くないのが良いんだっけ?」


「そうとも」


「シュトルクは?」


「食事前だし、遠慮する」


 あっそ、とラルフが厨房に向かう。 メリスは、それを追いかけた。


「ごめんね、お待たせ」


「もう平気?」


 シュトルクの紅茶を用意しながら、ラルフがメリスの顔を見る。


「大丈夫だよ、ちょっと、懐かしいのと嬉しかったのと、なんかね、ぶわっと」


「たまには良いんじゃない」


「わ、ラルフが優しいなんて怖い」


「なんだと」


 しかめっ面を作るラルフに、嘘だよ、と笑い返す。


「ありがとね」


「別に」


 照れたようにしたのも一瞬で、ほら、お客さんを待たせない! とシュトルクの紅茶と、ヴィクトルのケーキを寄越す。


 メリスがずっと教えを守っていた事、ラルフが泣き虫じゃなくなった事、そんな小さな成長を近くで一緒に喜んでくれる筈の人達は、いなくなってしまったけれど。彼らが残したものに抱かれて、成長してきた。


 春風の導き亭の時は、まだまだ刻まれる。



『面影のぬくもり』end


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