旅行会社と団体さま(下)
メリスは、食堂のディナータイムの営業を開始する。すると、丁度カスパルがやって来た。
「やあ、メリスロッテさん。演奏も、料理の香りも素晴らしいね。今日はよろしくお願いします」
「カスパルさん、お待ちしていました」
カスパルにお辞儀をすると、中に招き、3人が余興を引き受けてくれた事を話す。
「こちらが、本日余興をお願いした、奇術師のスヴェンさん、道化師のハインツさん、あちらで演奏してくださってるのが音楽家のシュトルクさんです」
スヴェンとハインツが、紹介と同時に頭を下げる。カスパルは驚いた、と目を瞬いた。
「まさか3人も演者さんをご用意して頂けるとは……いや、今日はよろしくお願いします!」
カスパルは、簡単に3人と内容の確認を済ませると、お客様には外でお待ち頂いてるので、今お連れします、と一旦宿を出る。メリスは、よし、と気合いを入れた。
そして、扉が開く。団体さまのおもてなしと、ディナータイムの始まりだ。
「いらっしゃいませ!」
「お世話になります」
最初に入ってきた老夫婦が丁寧に頭を下げた。発した言葉に、違う土地の訛りを感じた。手を繋いでいる女の子はお孫さんだろうか。用意していた席に案内して、全員の着席を確認すると、飲み物を聞いて回る。それを出し終えたところで、厨房に用意してある料理を運ぶ準備を整えた。
カスパルが、団体さまに先程打ち合わせた本日の余興を説明する。どうなるかわからなかったためスケジュールには入れなかったそうで、サプライズとして発表し、盛り上げていた。さすがだなぁと少し感心してその様子を見る。
発表が終わったタイミングでラルフと料理を運んでいくと、まずシュトルクの演奏が始まった。思わず聴き入ってしまいそうになるが、新たなお客様の来店で意識を切り替える。一旦ラルフに料理提供を任せ、出迎えに向かうと、そこには見知った顔があった。あ、と口を動かしかけて、慌てていらっしゃいませ、と迎える。
「こんばんは」
「こんばんは、来て下さったんですね」
この間のパン屋の2人組だった。
「ええ、お店を閉めてすぐ来ちゃいました」
向こうのパン屋なんですけど、とにこやかに言う女性とは対照的に、男性は無表情に腕を組んでいる。無口な人なのか、そういえば前もお話したのは女の人だけだったかな、と考える。まだお席空いてますよ、とステージが見える席に案内して2人のオーダーを取ると、また見知った顔が来店した。
「ライナーさん、ドーラさんっ」
「まずはいらっしゃいませ、でしょう?」
「あ、すみませんっ、いらっしゃいませ!」
慌ててお辞儀するメリスを見て、ライナーは吹き出すように笑った。
「あはは、すみません。気にしてませんよ」
「こんばんは、メリスさん」
「こんばんは、ドーラさん。ライナーさん、お店は?」
「本日、宿屋の食堂が面白そうだと聞いて、休みにして来てしまいました。個人営業の強みですね」
内緒ですよ? と唇に人差し指を当てた。いつのまに広まっていたのだろうか。不思議そうにしていると、ドーラが微笑む。
「道化師の彼が宣伝していたのを聞いたんですよ」
なるほど、と笑い返す。さすがハインツだった。
シュトルクの奏でる曲調が変わる。それを聴いて、へぇ、とライナーが感心したように声をこぼす。空いている席にライナーとドーラを案内して、オーダーを取る。
団体さまの方はラルフがてきぱきと料理提供を進めていて、大体の料理は提供を終えたようだ。料理は好評のようで、家庭料理という選択はカスパルにも、リクエストもしていないのに流石ですね、と誉めてもらえた。
メリスは、ラルフを厨房に入れると、ホールの仕事をさばき始める。飲み物のおかわりや追加オーダーに対応し、新たにやってくるお客様のご案内。他の宿泊客も、夕飯を食べに来る時間になる。そうなってくるともうてんてこ舞いで、とてもじゃないが、メリスに余興を楽しむ余裕はない。ゆったりしたピアノ演奏とは裏腹、ホールを忙しなく動き回っていた。
「お待たせ致しました。それでは、お客様方を魔法の世界にご案内致します」
団体さまがある程度食事を進めたのを見計らい、スヴェンが前に出てくる。食事をしながらでも見られるような、簡単な奇術から披露を始め、パッと花を出現させる。先程の女の子が、わぁ、と歓声を上げた。それを見たスヴェンは、女の子に近づいて花をプレゼントした。女の子と老夫婦の笑顔が優しくて、こちらも嬉しくなる。
かろうじてメリスが見られたのはそこまでで、カードや消失トリックなどの頃は、再び食堂の端から端までを動き回っていた。
「ありがとうございました!」
「ごちそうさま、今日も、とても楽しかったです」
食事を終えたパン屋の2人を見送ると、少し余裕が出て、ステージの方を見る。いつの間にかハインツが、無言劇というものを披露していた。その間にシュトルクは休憩しているようだ。そういえばピアノの演奏が止んでいた。
そろそろ食器を下げはじめて良いかもしれない。そう考えたメリスは、食器を下げるカートを用意して、団体さまの席から空いた食器を回収し、他の空いた席を片付けた。ステージを見るお客さんが笑顔なのが嬉しい。団体さまのおもてなしは、どうやら大成功のようだった。
食事と余興の観覧を終えた団体さまをお部屋に案内して、バスタブとシャワーの利用の仕方を教える。こじんまりした部屋もさほど問題なく受け入れてもらえて、メリスとカスパルは2人でこっそりと胸を撫で下ろす。
食堂の営業の終了まで40分程。どうやら、忙しさは止んだようだ。
「ラルフお疲れさまー、お客様の流れ、止まったみたいだよ」
「お疲れ、しかし団体さんの料理はある程度準備してて正解だったな。じゃなきゃ、通常のお客さんさばけなかったかも」
そうだね、と厨房を改めて良く見る。様々な料理を次々と提供していたため、普段は使わない予備の調理器具なども使わざるを得なかったのだろう。フライパンが3つ、ボウルが4つ、無造作に洗い場に積み重なっていた。その他食器も、洗い物に入る余裕がなかったので、洗い場がそれは凄惨な光景になっている。
予定外の状態や大量注文に、的確な判断で調理を進めていくラルフが、改めて頼もしいと思えた。
「あ、カスパルさんがご飯にするって。あと、スヴェンさん達もご飯まだだから、一緒にできそうかな?」
注文はまかせるって、と告げる。
「皆同じので良いならすぐ出せる。あと、注文入ってたやつ今上がる」
そう言うと、時計を確認しながら、調理していたものを器に盛り始める。
「あ、ライナーさんが誉めてたよ、腕を上げましたねって」
「うーん……嬉しいけど、まだそうやって誉められる立場だって事だよな。いや、嬉しいんだけどさ」
悔しいことに、と複雑な表情を浮かべた。メリスは素直に受け取ったのだが、料理人としての心境はなんだか複雑らしい。
出来上がった料理をお客さんに提供すると、カスパルとスヴェン、ハインツとシュトルクの4人に、今から料理を出すことを伝えて、座っていてもらう。
「良かったら、メリス店主達も一緒にどう?」
「えぇ?」
「結構前に、他のお客さんとご飯食べてたでしょ? ちょっと良いなぁなんて思ったんだよね」
スヴェンがにっこり笑った。イゾルデが来ていた時の事だろうか。すかさずハインツが、何それ? と会話に加わる。
「前に泊まった時はそんな事なかったよね? 良いなぁ、それ。俺も一緒に話したいな」
「良ければ私もご一緒して良いかな? こんなに素敵な場を用意して頂いた皆さんに、改めてお礼を言いたいし、お話にも興味があるね」
カスパルも賛成する。メリスは、どうかな? と尋ねてくるスヴェンを見上げる。
「ですけど……良いんでしょうか?」
「もうずいぶん長い間一緒に居させてもらってるし、気を使わなくて大丈夫だよ」
スヴェンの言葉を受けて、ハインツがそうそう、と大きく頷く。
「今日は皆、同じお客さんをおもてなしした者同士、食事を楽しんでも良いんじゃないかなー?」
スヴェンはメリスから視線を外し、きみはどう思う? と、黙っているシュトルクを見る。楽譜を眺めていた顔を上げて、興味がなさそうにため息を吐く。
「どう思うも何も、好きにしたら良いんじゃないか」
「この通り、彼もご一緒したいって言ってるし」
「おい。誰もそんな事言ってないだろ」
そんなシュトルクの返しは聞こえないふりで、スヴェンは立ち上がって、片付いていないテーブルの食器を持つ。
「そうと決まれば、ささっと片付けちゃおうか」
「わわ、流石にそれは大丈夫ですよ、スヴェンさんっ」
「それじゃあ、食事だけ。一緒にできそう?」
にっこりと微笑むスヴェン。自然な流れで会話の主導権を握られて、意外と強引ですね、と笑みを返す。
「わかりました。他のお客さんがお帰りになってからで良ければ、是非ご一緒させてください」
「うん、ラルフ料理長にもよろしく」
はい、とスヴェンから食器を受け取り、厨房に向かう。ラルフに事の成り行きを話すと、え? と少し驚いたように目を見開く。しかし、すぐに笑みを作る。
「この間も同じような事あったよな」
「それを見て、良いなぁって思ってくれたみたいだよ」
「なんて言うか、物好きばっかりだよな、ここの客。店員と飯食いたいとか」
それは、ラルフなりの誉め言葉であり、照れ隠しである事はメリスにはお見通しなので、そうだねぇと相槌を打つ。
「嬉しいよね」
まあ、ありがたいよな、と言いながらラルフが、料理をの準備を進めていく。メリスは、今のうちに出来るだけの洗い物を終わらせようと、腕捲りをした。営業終了まであと間もなく。
ある程度洗い物を進めて、表の様子を伺うと、最後の一組だった街からのお客さんが丁度立ち上がった。
「ありがとうございましたっ」
団体さまにも喜んでもらえたし、宿泊中の他のお客さんも皆喜んでくれて、街から来た皆も楽しんでくれたようだし、笑顔で帰ってくれた。
思いがけず素敵な経験をさせてくれたカスパルと、盛り上げてくれた3人に、改めて感謝する。
お客さんのお帰りを見計らい、ラルフが料理を持って出てきた。今だけは、お客さんや店員という事は特に考えず、皆お互いにお疲れさま、と声を掛けながら料理を行き渡らせ、飲み物を注ぐ。
まだまだ沢山ある洗い物と、明日の朝食の事を考えると気は抜けないが、今はまず、素敵な時間を共有したメンバーと、目の前の美味しい料理を食べる事を楽しもう。
「いただきますっ」
明日もきっと、楽しい日になる。そんな予感がした。
春風の導き亭、夏も終盤の頃の記憶。
『旅行会社と団体さま(下)』end