噂をすれば騎士隊長
過ごしやすい夏の日。朝ごはんを終えて、宿の掃除に取り掛かっていたメリス。掃き掃除と窓拭きを終えて、1階の隅で雑巾を絞り、一息吐いた。
「よし、お掃除終わりっ、と」
「お疲れ様です」
「え?」
独り言への思いがけない反応に振り返ると、ジークヴァルトが立っていた。
「ああ、すみません、つい」
ジークヴァルトとしても、自然に口を出ただけなのか、振り返ったメリスを見て、少し目を見開いていた。
「いえ、ありがとうございます。ジークヴァルトさんは今日はお休みですか?」
時計を見ると、いつもなら出勤している時間だった。格好を見ても、いつもの騎士隊の制服は着ておらず、シャツにベストという、シンプルな服装をしていた。
ジークヴァルトはええ、と頷いた。
「と言っても、特にする事もないので、何かお手伝い出来ないかと聞きに来たのですが」
「とんでもないです! お客さんですし、いつもお忙しいんですから、ゆっくり休んでください」
何かありますか? と、思いもよらない問い掛けに、メリスは首を振って、1つに結った髪を揺らす。騎士隊の仕事や、ヴィクトルの付き添いなどなど。普段から忙しくしているジークヴァルトを見ているメリスは、心からそう思った。
そうですか? と聞いてくるジークヴァルトに、そうですよ、と大きく頷き返す。
「わかりました。では、ラルフ様の方をあたってみます」
「それじゃ意味無いですって!」
どうしても働こうとするジークヴァルトを、待ってください、と呼び止める。
「じゃあ、休憩に付き合ってください。食堂を開けるまで時間がありますから、お茶淹れようと思ってたので」
ラルフも一緒ですよ、とにっこり笑うメリスに、ジークヴァルトは少しだけ驚いたような表情を作る。しかしすぐに表情を和らげ、ありがとうございますと、律儀にも一礼した。
「気を使わせてしまいましたね。宜しければ、お茶は淹れさせてください」
それくらいなら良いかとお願いする事にして、メリスはジークヴァルトと調理場に向かった。それに何事かと驚いたのはラルフだった。
「成る程ね。ジークヴァルトさんも苦労性というかなんというか……」
「もう、ラルフ!」
食堂で休憩の席につき、事情を聞いたラルフが呟いた言葉に、メリスは声を大きくする。ジークヴァルトは気にした風もなく、少しだけ微笑んだ。
「癖の強い方に囲まれていますから。ゆっくりしていると逆に落ち着きません」
慣れた手つきで紅茶を淹れると、どうぞ、と2人の前にカップが置かれた。騎士隊の副隊長にお茶を淹れてもらうだなんて、良く考えたら凄い事なのではないだろうか。
「騎士隊のほうは分からないけど、ヴィクトルさんはタフなうえに行動が読めない人だもんなぁ。なんか神出鬼没だし」
お茶請けに用意したクッキーをつまみながら、ラルフが呟く。失礼かとも考えながら、メリスも同意する。洗濯物を干していたとき、横からまだ干したばかりの上着を取って着ていった時は、どうしたものかと思った。
「騎士隊の方って、どういう方が多いんですか?」
メリスの問い掛けに、そうですね、と僅かに考えるような仕草。見目の良いジークヴァルトは、そんな何気ない仕草も様になっていた。
「騎士隊自体はまとまりがあるかと思います。ただ、まとめるべき立場にある隊長が、なんと言うか、破天荒な部分があるので、あえて問題を複雑にし、軌道修正に時間を取られると申しますか……」
どことなくヴィクトル様に似ているというか……と、言葉を選ぶように話す姿に、ラルフは笑った。
「その軌道修正が、ジークヴァルトさんの役目なんだ」
「必然的に」
そう言ってお茶を飲むジークヴァルトは、大変そうながらもどこか満足そうにも見えた。なんだかんだありながらも、騎士隊の仕事には満足しているのだろうと窺えた。
そんなとき、ドンドンと、宿の扉がノックされた。
「たのもー!」
その声に、メリスが立ち上がる。
「はぁい!」
すぐに扉を開けると、騎士隊の制服を着た男性が立っていた。ジークヴァルトの灰色の制服とは違い、目の前の男性は、青色をメインにした制服だった。
「隊長?」
入り口に立った男性を見て、ジークヴァルトが立ち上がる。その声に、隊長と呼ばれた男性が、にかっ、と例えるに相応しい笑顔を見せた。
「やぁやぁ、ジーク。休みはエンジョイしているか?」
「はい。隊長が来るまでは」
いつも通りの涼しい表情で対応するジークヴァルト。隊長もまた、気にした様子なく笑っている。いつものやりとりというところなのだろうか。
メリスは、隊長を食堂の方へと通す。噂をすれば、とでも言うのだろうか。改めて隊長を見ると、想像していたより随分若い。ジークヴァルトより2、3歳くらい上だろうか。 肩まである紫の長髪が綺麗だった。
「自分に何か用事ですか?」
「はっはっはー、自意識過剰だぞジーク。今日は宿の主人に挨拶に来たんだ」
「左様ですか」
「部下が世話になっているのに、顔も出さずでは申し訳ないしな」
「左様ですね」
「お嬢さん、主人はお手空きかな?」
「えっ? あ、はいっ。私がそうです。メリスロッテと言います。それから双子の弟の」
「ラルフロットです」
ジークヴァルトと隊長のやりとりのテンポに呑まれていたメリスは、隊長の問い掛けの反応に遅れた。思わず挙手したメリスと、会釈をするラルフに、なんと! と目を丸くした隊長。
「これは失礼。若い方だとは聞いていたんだが。俺は、ジークヴァルトの上司にあたる。王立派遣騎士隊第7部隊隊長の、イェンスと言う。部下が世話になって、すまないな」
「いえいえ。お客さんとして来ていただいてますから。当然の事ですよ」
「そう言って貰えると助かるよ」
そう微笑んだ瞳は優しくて、どことなく、彼の人格の、奥深さが窺えた。
「本当の用はそれではないんじゃないですか?」
イェンスの分のお茶を淹れながら、ジークヴァルトが言う。まあな、と笑ったイェンスは席につき、お茶を受け取る。
「ゲオが来てるって聞いたからな。出発する前に会っておこうかと」
「ああ、ゲオルクさんですか?」
そう言えば、彼は元騎士だと言っていた。
「皆さんは、どういう繋がりになるんです?」
メリスから話を聞いていたラルフも、改めて本人達に質問をぶつけてみる。
「自分の入隊当時、自分とゲオルクは同期で、隊長は3期ほど先輩に当たります」
「生意気な後輩でなー、手を焼いたよ」
「それなりに若かったですしね」
ご迷惑をお掛けしました、とジークヴァルトが言えば、これだもんなぁとイェンスは頬杖をついた。
「今は落ち着きすぎてつまらない」
「隊長の落ち着きが足りなさすぎます」
テンポ良くやりとりを続ける2人には、なんだか安定の信頼感みたいなものが見て取れた。
それじゃあ、とラルフが立ち上がる。
「ゲオルクさん呼んでくるよ。今日まだ降りてきてないから、寝てるかもだけど」
「自分が行きましょうか?」
「良いって。イェンスさんが来てるって言えば通じる?」
「多分な、忘れてるようならとにかく来いと行ってくれ」
了解、と言ってラルフが階段を上っていく。
「業務の方は問題ありませんか」
「ああ、俺が街をフラフラしてるのはいつものことだし、皆いつも通りだ」
問題ない、とお茶を飲むイェンスに、ジークヴァルトは呆れたような顔を向ける。
「形式上でも人前ではパトロールとでも言っていただけませんか」
威厳も何もありません、と腕を組んだ。
「まあ、街が平和な証拠だな。なあ?」
「え? あの……」
急に話を振られたメリスは、返答に困ってジークヴァルトに視線を移す。
「まあ、こういう方なんです」
軽く息を吐いたジークヴァルトに対し、イェンスは眉を寄せた。
「あ、今なんか馬鹿にしただろう? 上官に対してどうなんだそれは」
「でしたら上官らしい態度を取ってください」
間髪入れずにそう言われて言葉に詰まり、イェンスは少し拗ねたように頬杖をついた。メリスは2人のやりとりに、つい微笑する。それを見たジークヴァルトは咳払いをする。
「一応、騎士隊の名誉のために補足しますが、隊長はこれでも筆記、実技共に王立騎士の中でもトップクラスになります。有事の時の判断力や統率力もありますし」
「何だ、急に誉めて。照れるじゃないか」
「騎士隊の、名誉のためです。貴方がトップで騎士隊の実力が疑われては困ります」
イェンスは再び言葉に詰まり、無言でお茶をすすった。
何となくだが、メリスはこうやって言い合いができる2人の関係に、安心感を覚えた。なんだかんだ言いつつもジークヴァルトがイェンスを信頼しているのも分かるし、イェンスの振る舞いもきっと、ジークヴァルトが居てこそだろう。
この2人に管理されているなら、エアツェールングは穏やかで平和な街を維持できそうに思う。先程イェンスも言ったが、こうしてのんびりできるのは、平和な証拠だ。
そうこうしていると、ラルフがゲオルクを連れて降りてきた。
「げぇ。本当にイェンス先輩だー」
イェンスを見るなりげんなりとして目を細めるゲオルク。対するイェンスは晴れやかな笑顔だ。
「お、久しぶりだなゲオ。片目以外は相変わらずそうだな。どうしたんだ、その目は?」
「冒険者始めたばかりの頃にヘマしちゃって。先輩も相変わらず無駄にお元気そうでー」
「それはもう。無駄な元気有り余って隊長になった」
「マジで? 先輩が隊長とか隊機能すんの? ああ、だからしっかり者のジークが副隊長?」
成る程ねー、と言いながら席についた。ラルフはそのままお茶を淹れに行く。
メリスも時計を確認する。そろそろ良い時間だ。
「じゃあ、私は仕事に戻りますけど、皆さんはゆっくりしてくださいね」
「ああ、すみませんメリス様。せっかくの休憩を、すっかり騒がしくしてしまいました」
「いえ、色々お話できて楽しかったです」
そう言って立ち上がると、ゲオルクが不満そうな目を向けてきた。
「えー? メリス嬢行っちゃうの? 俺ともお話しよーよ」
「安心しろ、俺がたっぷり付き合ってやるから」
「先輩は仕事しましょーよ」
「全くですね」
「何だよ何だよ、2人して。折角来てるんだからもっと構ってくれよ」
またしても拗ねたように文句を言うイェンスに、顔を見合わせつつ、はいはいと返事をする2人。メリスは、ではごゆっくり、と会釈して離れる。
お茶を運んできたラルフに、休憩終わるね、と声を掛けると、俺も戻る、と返ってきた。
食堂からは、3人の声が響いてくる。長く付き合える関係に羨ましさも感じながら、この宿が、そういった出会いの場であり、そんな人達の集まる場であれたら良いなと、また新たな目標を見つけた。
これも、そんな1場面。この街を守ってくれている、騎士隊の隊長との出会いでした。
『噂をすれば騎士隊長』end