隻眼の冒険者
騎士と研究者が宿泊して数日が過ぎた。3階には相変わらず、音楽家と奇術師の姿もある。
今日も宿屋の主、メリスロッテは、長期滞在中の4人の朝食を用意していた。スヴェンとジークヴァルトは時間までに食堂に降りてくるが、シュトルクは起きてこないので3階まで届ける。ヴィクトルは来たり来なかったりだ。
なので、テーブルには3階の2人分を用意し、2人分はトレイに用意する。本日の2階の宿泊客は3人。その3人分も、テーブルに用意したところで、スヴェンとジークヴァルトが降りてきた。
「おはようございます、スヴェンさん、ジークヴァルトさん」
「おはよう、メリス店主」
「おはようございます、メリス様」
「私は表で洗濯してるので、何かあったら呼んでくださいね」
では、と、朝の挨拶を済ませ、メリスは洗濯の準備に取り掛かる。昨日は急な雨で洗濯ができなかったのだが、今日は朝から暑いくらいの良い天気だ。鼻歌でも歌い出しそうな陽気な様子で、洗濯かごを準備する。
それを見ていたスヴェンとジークヴァルトは、どちらともなく微笑を漏らし、朝の挨拶を交わしながら、席について朝食を取り始めた。
洗濯ものを干し終えて宿に戻ると、ラルフがテーブルの片付けをしていた。
「お疲れ。シュトルクとヴィクトルさんはまだ来てないから、部屋までよろしく」
「お疲れさまー、2階のお客さんは?」
「皆来て食べてったよ。まかないも用意できてるから、終わったら朝飯にしよう」
言いながら、器用に皿を重ねてあっというまにテーブルを片付けていくラルフに、そうだね、と頷いた。
2人分なので、片手に1枚ずつトレイを持ち、気を付けて階段を上がっていく。まずシュトルクの部屋の前に朝食を置き、簡単にだがメッセージを書いたメモを乗せる。
次に、ヴィクトル。部屋の前に立つと、中からいっそ気持ち良いくらいのいびきが聞こえてきた。メリスは小さくお疲れさまです、と呟く。こちらも同じように朝食とメモを乗せれば、任務終了。食堂へと降りてきた。
テーブルの上は綺麗に片付き、隅のテーブルにまかないが用意されていた。ラルフは飲み物を用意していたところだ。
「そろそろ買い物行かないとまずいんだけど、俺行ってきても良い?」
向かい合い、朝食を取りながら、そういえば……と話し出したのはラルフ。
「直に自分の目で調達したい食品があるんだけど」
「良いよ、食堂は開けてて大丈夫?」
「あぁ、今日の分は勿論問題ないから。一応オープンまでには戻るようにするし」
大丈夫だろ、と時計を見る。時計の針は、8時半になろうとしている。 朝食のあと洗い物をして、街のお店が開く9時頃に出たとしても、食堂のオープン、11時には間に合うだろう。
「ゆっくりしてきても大丈夫だよ? 私1人でも食堂回るだろうし」
料理長こそラルフだが、メリスも料理の腕は人並み以上に磨いている。宿屋の看板メニューは1通りこなせるのだ。
「でも泊まり客いるし、なるべく早く戻るよ」
それもそうか、という風に頷くメリス。ラルフをゆっくりさせてあげたい気持ちはあるが、お客さんに迷惑が掛かってはいけない。
朝食後、ひとときの休憩を終えて、ラルフは早々と買い出しに出掛けた。それを見送って、メリスは洗い物に取り掛かる。とはいえ、ある程度はラルフが片付けていてくれたようなので、先程下げたばかりの食器と、まかないの食器くらいだった。
手早く片付けを終えると、宿のカウンターに出て、店番がてら宿帳の確認を始める。日の光が差し込む良い時間帯。このゆっくりした時間に、使用感が出てきている宿帳を確認するのが、最近のメリスの日課だった。2階用も3階用も、各々まだ1冊目の宿帳だが、今まで泊まったお客さんの名前が並んでいる。どれも大事な歴史で、定期的に泊まりにきてくれている、常連さんの確認にもなる。
現在2階は、今日出ていくお客さんが1人と、明日までのお客さんが2人。3階の4人は未だ長期の滞在で空く予定はない。以前の失敗を教訓に、シュトルクの部屋の隣と前は、お客さんを通さないよう、キープしている。それに加えて、備考もしっかり書き出した。
「おじゃましまーす」
「あ、いらっしゃいませ!」
ページを捲りながらぼんやりしていると、お客さんがやってきた。軽装だが鎧を身に付けた男性で、長い緑のマントが動きに合わせてなびいた。
「ここが宿って聞いてきたんだけど、合ってる?」
笑顔は少し、軽薄そうな印象だ。笑った瞳は片方だけで、右目には、顔半分が覆われるくらいの黒の眼帯を着用している。
「はい、そうです。ご1泊ですか?」
「3泊でよろしく」
「かしこまりました」
では、と宿帳のページに名前と職業の記入を促す。
『ゲオルク 冒険者』
冒険者と書かれた職業で目を止める。旅人の利用は多かったが、先程見返した宿帳の中でも珍しい。回りに目立つ何かがないエアツェールングには、冒険者は立ち寄りはしても、あまり滞在しない。
「何か間違った?」
宿帳に見入っていたメリスに、不思議そうに首を傾げる。
「あ、すみません! 冒険者さんのお泊まりは珍しいので」
「そうなんだ? 俺で良ければ色々お話しするよ? 可愛いお嬢さん相手なら喜んで」
軽薄そうな印象に違わず、明るくそう言ってくるゲオルクに、メリスは曖昧な笑いを返した。
冒険者には、荒っぽいイメージを抱きがちだが、このゲオルクという青年は、動きにどこか品があった。そのためか、軽い台詞にもそこまで嫌な印象を受けない。
「ところで、お嬢さん名前は?」
「あ、申し遅れまして。メリスロッテです。メリスで構いませんよ」
何度かお客さんに対応しているが、未だに自分が名乗るタイミングを掴めずにいるメリスは、慌てて名乗る。どうも様にならない。
「メリス嬢、か。可愛い名前だねー。短い間だけど、これからよろしく。お世話になる宿の主が、可愛いお嬢さんで嬉しいよ」
「あはは……」
メリスは、再び曖昧に笑う。短時間で普段言われ慣れない事を言われ、どう返したものかと戸惑っていた。そのとき。
「ゲオルク……?」
少し遠慮がちに掛けられた声。その声がしたほうを見ると、騎士隊の制服に身を包んだジークヴァルトが立っていた。幽霊でも見たかのような様子で、視線をゲオルクに向けている。
「え、嘘。もしかして、ジークかよ?」
対するゲオルクも、片目を見開く。
「お知り合いですか?」
「知り合いと言うか……」
ジークヴァルトは、何となく困ったような、呆れたような表情を浮かべる。その視線を受けて、ゲオルクが続きを引き継いだ。
「俺、元騎士。ジークとは入隊時の同期」
「そうなんですか?」
メリスは、改めてゲオルクを見る。先程感じた品のある印象はそれ故だろうか。
「騎士を辞めて、ふらりと王都を出て何をしていたかと思えば……冒険者ですか。らしいと言うか何と言うか」
「ほっとけ。合わなかったんだよ、隊の規律とか精神とか」
お前は様になってたけどなー? とむくれて見せる。
「しかし何年ぶりだろうな? 俺が王都を出てからだから、10年くらいか?」
懐かしそうに話すゲオルクとは対照的に、ジークヴァルトはそうですね、と淡白に返す。
「それぐらいにはなりますか。では、仕事があるので失礼しますよ」
「あぁ、じゃあな」
「あ、いってらっしゃいませ」
では、と出ていくジークヴァルトを見送って、メリスはゲオルクに尋ねる。
「じゃあ、お部屋に案内しましょうか?」
「うん、あ、あと街の案内も頼めるかな? 夜に時間潰せたり、情報集まりそうな場所とかあれば嬉しいんだけど」
「酒場通りなら夜も賑わってますよ」
そう言うと、ゲオルクは明るい笑顔を見せた。
「それは助かる。仕事上がりだったらメリス嬢も一緒にどう?」
「え? あはは、どうでしょう」
距離を詰めてくるゲオルクから、宿の入り口を背にして少し後ずさると何かにぶつかる。慌てて振り返ると、両手に買い物袋を抱えたラルフが呆れ顔で立っていた。
「宿を探してるっつーから紹介したら……人の姉に何してんだよ」
「ラルフの紹介だったんだ?」
買い物袋を受け取りながら、少しホッとしたように笑顔を見せる。ラルフはゲオルクとメリスの間に立つ。
「雑貨屋の通りで会って、うちが宿だって紹介したんだ。なんか雰囲気軽いなーとは思ってたけど……。メリス、このお客さんは俺が案内するから」
「えー? メリス嬢が良いなー」
不満そうに抗議するゲオルクだが、ラルフは再び街に出る支度をする。するとメリスは、すかさずゲオルクの荷物を指さした。
「じゃあ、その間にお荷物お部屋に運んでおきますね!」
「と言うことなので」
「ちぇー。じゃあまた後でね、メリス嬢」
落ち込む素振りを見せながらも、すぐに笑顔を見せて手を振りながら、歩き出す。ラルフは、やっぱりオープンには間に合わないかもなと言い残し、メリスに後を頼んで案内に出掛けていった。
さてと、と仕切り直すと、まずはラルフから受け取った買い物袋を片付けに掛かる。とりあえず肉類、ミルクやチーズなどを氷室に入れると、残りはテーブルに置き、ゲオルクから預かった荷物を部屋に運ぶ。
何やら、軽薄そうな冒険者の滞在で、宿屋は少しの間、賑やかになりそうだった。
『隻眼の冒険者』end