冬空に、光
「ねー、オトコとオンナの間に、友情は成立するっておもう?」
愛美が聞いた。
僕の隣で、桜色のネイルチップをいじりながら。
僕らは中庭のベンチに腰かけていた。
広場を取り巻く桜の樹は、まだ冬の眠りの最中だろう。
この春から、愛美は勤め人になる。
学生時代の名残を惜しむように、彼女は長い髪を赤く染め、まつげを何倍にも厚くして、網タイツを履いている。
「するんじゃねえの」
そっけなく答えた。
僕も、内定を決めた。
この春、僕らは離れ離れになる。学生時代の思い出を、胸にしまいこんで。
僕も内定はかなり前にもらったのだが、小ざっぱりと切った髪は、黒いままだ。
大人になることに、憧れを抱いていた。愛美とは違う。
早く大人になりたい、そう考えるようになったのは、三回生の冬のことだった。
僕は、今の恋人の佳菜さんと知り合った。
サークルのOBの先輩の紹介で、年上だった。
ーーおまえら、音楽の趣味が合うんじゃね?
初めは、LINE。それから、メール。会って、話して。それから。
彼女は社会人だ。一人暮らしして、自分で給料を稼いで、家賃も生活費もまかなっている。
貯金もしているそうだ。将来、家庭を築くときのために。
まだ、そんな予定はないんだけどねーーライブ帰りに立ち寄った公園のベンチで、彼女はそう言った。
けれど、彼女の部屋に、無料の結婚情報誌があったことを、僕は知っている。
電灯に照らされる彼女の横顔は、どこか、疲れてみえた。
抱きしめたい。そう思った。
けれど、できなかった。
僕が楽をさせてあげる。幸せにしてあげる。一緒に家庭を築いていこう。
言いたかった言葉を、全部呑み込んだ。
早く、早く、大人になりたい。彼女の隣に並びたい。
「ねー、そしたらさ。……あたし達、ずっと友達でいられるかな」
愛美が言う。彼女はサークルの同じバンドで、キーボードを担当していた。たまにボーカルもやったが、お世辞にかろうじて上手いといえる程度の、技量だった。
僕はまだ芽の硬い、桜の枝を見上げながら言った。
「さあ。今だって友達だろ? やめない限り、そうなんじゃねえの」
不意に、背中に衝撃を感じた。
僕の身体がベンチから浮いた。
愛美が、僕に抱きついていた。
おい、どうした、と声を掛けようとした。
すぐに、出来なくなった。
愛美は、静かにすすり泣いていた。気づかれまいとするように。
「……やめないで、ね」
その涙の意味も。
わけも。
僕は知らなかったのだ。
愛美と過ごした四年間、ずっと。
なんで、今になって気づくんだろう。
いや、気づいていたはずだ、僕は。
彼女が、誰よりも僕を気づかってくれたこと。
忘れ物をしたら、自分のを貸してくれた。
平気だから、と笑って。
練習で帰りが遅くなっても、いつも最後まで付き合って残ってくれた。
恋人の話もした。相談にのってくれた。どこか寂しそうな、笑顔を浮かべて。
友情、だと信じていた。
慣れて、頼って、信じきっていた。
さながら、相棒ーーのようだと。
僕が、前ばかり向いて歩いてきた一年間。
彼女は、ずっと僕の背中を見ていたんだろうか。
「ごめん」
なにも、返してあげられないんだな。
僕には恋人がいる。彼女は、今の僕の、すべてだと思っていた。彼女に追いつく、それだけが望みだった。
そのことだけを、考えつづけていた。
僕は身をよじって、振り返る。
置き去りにしてしまわないように。
確かに、僕らの歩いてきた時間を。
「ーーずっと、友達な」
僕は残酷かもしれない。
僕は愛美のものにはならない。
なのに、友達でいろ、と言うなんて。
愛美は鼻水をすすりながら、顔を上げた。
寒さのせいだろうか、鼻の頭が赤かった。
「うん、約束ね」
あどけない顔に笑って、そのまま、枝を見上げる。
小鳥の群れが、続けざまに舞いおりてくる。渡りの途中で、羽を休めるのだろうか。
僕らは同じ道を歩いてきたのだろう。同じ講義を受けて、サークルで走り回って、何気ない時間を過ごして。
その道は、ここから二つに分かれていく。
二度と交わることがないとしても、
きっと、会いにゆくことはできるだろう。
どちらかが心細いとき、励ましにゆくことは、できるだろう。
僕は、そう信じて、先へ進む。
「ーーあ、見て」
風が吹いて、鳥たちがざあっと飛び立っていく。
薄青い冬空に、解き放たれていく。
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夜薙歌茅(ヤナギカガヤ)と申します。
かってに短編強化週間、4作品めです。毎朝7〜8時ごろ、掲載予定。