第27話 仕掛けられた罠
━━━様々な花で彩られた庭園の中心で泥に眠るように死んでいる少年を抱きかかえた若き日のフロイデンベルク公爵は大粒の涙を流していた。その泣き叫ぶ声は彼の悲しみを表しているのだろうか辺りに響き渡るほどであった。そんな若き日の公爵に、
「あなたは悪くありません。ええ、悪くなんて全くありません」
と言って慈愛に満ちた微笑みをたたえて僕に語りかけてきたのであった。うん? 僕だって? この声は父さまだろうか? いったいどこから聞こえてきたんだ。
━━━もともとフロイデンベルク家は魔力の強さによって成り上がってきた一族だった。そのため、今でも魔力が強い女性を見つけては孕ませ、その子供を母親から無理やり引き取り、英才教育を施すなどの風習がある。
いや、私自身が彼の記憶を取り込んでいるのだ。だから、当時の彼の声が語りかけてくるのだろう。ならば、彼の言葉に耳を傾けた方がいいのだろう。いや、傾けるべきだろうな。父の最後の伝言になるのだから…
━━━当然のことだが、おかしな風習の所為で僕は母親の顔すら知らない。そんな僕が悲嘆にくれなかったのは偏に彼女がいたからだ。優しい彼女は母のいない私にとっては良き姉であり、憧れの人でもあった。
「ご兄弟が亡くなれて悲しいでしょう。今はどれだけ泣いてもいいんですよ」
静寂が支配する庭園の中心で、彼女はそう言って涙を流しながら僕を抱きしめる。寂然たる庭園に僕の嗚咽が辺りに響き渡る。
「でも、僕は弟のアレンを殺してしまったんだぞ! 襲われたと言ってもこの手で殺したんだよ!」
ガキの様に泣き叫ぶ僕。いや、わかっている。この時の僕はまだガキだった。そうどうしようもないほどにね。だから、その時の僕は彼女に抱きしめられて大粒の涙を流すだけだったのさ。
「兄たちとは違って自らの墓穴で死んだんじゃないんだ! この僕が殺したんだ!!」
「何も言わなくていいわ。だからね」
そう言った後、彼女はただ無言で僕を抱きしめてきた。僕は憧れの女性の優しい言葉を貰った後に抱きしめられたことで、惚けるほどの至福のときを迎えたんだ。そう、弟を殺した罪悪感すら飛んでしまうくらいに…
ああ、もう堪りません。この素敵なニオイ。抱きしめてきた彼女から香る女性特有の甘いニオイ。そんな状況だったからさ。僕は簡単に現実を放棄してしまったんだ。そうして、僕はガキ特有の妄想の世界へと羽ばたいてしまったんだ。いや、あの時は本当にガキだったんだ。もう、本当にバカみたいにね。
もちろん、そんな時間は長く続かないのが世の常でさ。
「バカみたいな三文芝居の様な声が聞こえてきたと思ったら、何をやっているのだ?」
僕の至福の時は、急に聞こえてきた低くドスのきいた声によって終わりを向かえるのであった。
「父上!? いったい、いつからそこにいたのですか!?」
その声に驚き、直ぐに彼女から離れる。そして、僕は彼女にすぐ近くで待機してもらうようにお願いをした後、突然に現れたこの男の罵声に戸惑いながらも父に問いかけた。
「なんだ。まさか、ガキみたいに泣いていて、わしの存在にきがつかなかったか?」
がなりたてるように話すこの男はアレンの亡骸に見向きもしない。いや、そもそもこの男は自分の子供に興味などないのだ。だから、息子が死のうが生きようが気にしないのだろう。
「ふふふ、なんだ。その目は? わしに反抗したいと言っておるような目をしておるな」
「そのようなことはございませんよ。閣下に対してそのようなことはありえません。所でフロイデンベルク公爵閣下はこのような庭園にどのようなご用で?」
「どんな用だと? ハハハ、すべての兄弟を殺し、儂の後を継ぐ人物を見極めに来ただけだ。おっ、険しい目つきになったぞ」
くそが人に兄弟同士で殺しあわせておいて何を楽しげにそんなことを言ってやがるんだ。
「わしを睨んでも現実は変わらないぞ。そう、貴様は己の兄弟、姉妹を全て殺したのだ。そして、その力を取り込んだ。お前が全て殺したのだ!!」
「違う。違うんだよ! 僕は、僕は殺したくなかった。僕は悪くない! そう僕は悪くないんだ!!」
「何を愚かなことを言っているのだ? 全ての兄弟を殺したおまえ以外に誰が悪いと言うのだ?」
パニックの様に慌てて反論する僕の意見をそう言って一掃した父。その彼に対して、僕は咄嗟に反論することができなかった。
もちろん、普通に考えると兄弟同士で争わせる公爵家が一番悪いことはわかる。だけど、残念なことにその時の僕は兄弟を殺した罪悪感で、ただ沈黙することしかできなかったんだ。
「まぁ、良い。さて、本題に入ろうか。家督を継げる者はこれで貴様だけになったな」
無言で頷く僕を真剣な目で見る父。そんな彼は、
「儂の後継者としてこれからも日々精進することだ」
と言い残して唐突に踵を返し、去っていく。そんなことを伝えられたオレが呆然と父を見送っていると、
「…なんて言うと思ったか? ふふふ、その顔は何を驚いているのだ」
と歩き出して、しばらくしてすぐに立ち止まり、ニヤケ面でそう言ってこちらを見てきた。
「お前は先代の公爵のことを知っているか? 後継者が決まった後にどうなっていたか」
そういえば執事をしている爺に聞いたことがあったな。先代の公爵はこの男に敗れて爵位を奪われたのだと! いや、思い出せばその前もその前の前も爵位は子供達に簒奪されていなかったか?
「その顔はどうやら、思い出したか。さぁ、その集めた魔力を儂に見せてもらおうか」
そうか、必ず魔力を一つに集めるために兄弟同士の殺し合いをさせていたのか。
「魂の連鎖よ! 我が前に具現化せよ!!」
「ッチ、風の精霊よ。襲い来る災厄を防ぎたまえ!」
なんて魔力だ。さすがは性根は腐っていても魔力で上り詰めた一族の頂点に立つ男だ。僕の魔術は奴の放った魔術ですぐに霧散してしまった。くそっと思っている間に僕に魔術が襲いかかってきた。
「ぐぁ!? ある程度は相殺しているはずなのにこの威力…」
全身が痛い。くそ、額から血が流れて来やがった。
「その程度か。がっかりしたぞ。また、次の後継者候補を大量に仕込まないといけないな」
「な、何を言っているんだ!?」
流れる血をぬぐいながら、オレは理不尽な奴の言葉に唖然としていた。
「わからないのか? もう貴様は用済みということだ。いや、むしろ、貴様の魔力は儂が取り込み有効活用してやろうと言っておるのだ!!」
奴はとても中年とは思えない機敏な動きで僕を蹴り飛ばすと腰から剣を引き抜く。
「アランと戦ったばかりで疲れている僕と戦うことが帝国が誇る公爵のすることなのか! くそがこんなところで死んでたまるか!!」
ちくしょう。どう考えても体力を消耗しているオレに勝ち目がないじゃないか。なんとかして、ここを一時的にでも、離れて再起をはからないと死ぬ。死んでしまう。兄弟をこの手にかけてまで生き残った僕が!
「誇り? そんなくだらないものはゴミ箱にでも入れておけ!」
そう言ってあの男は花壇から土を掴みオレの顔面に投げる。あまりの出来事に呆然としてしまったが咄嗟にしゃがみ回避することができた。
「この卑怯者が!」
僕は奴の汚い行為に罵声を浴びせた。当然だろうのことだろう? 奴の行いは多くの領民を従える公爵の取るべき行動では断じてないからな。
「卑怯? この儂が? 面白いことを言うな。フフフ、ならば貴様に本当の卑怯というものを教えてやろう。そう、卑怯とはこういうことを言うのだ!!」
そんな奴は僕の憤り見た後、侮蔑したように嘲笑し、
「リリーよ。奴を捕まえろ!!」
と言って近くで待機しているはずだった僕の最も敬愛する女性と同じ名前の人物に命令をした。いや、僕はそう思いたかったのだ。だが、
「はい、公爵閣下」
あの男が命令を下したと思ったらすぐに後ろから声が聞こえたと思ったら羽交い締めにされていた。しかも、嫌なことにすぐに僕にはわかってしまった。僕を羽交い締めにしている人物が誰かを…
「う、嘘だ! 嘘だろう!? ありえない!!」
先ほどまで抱きしめられていた人と同じ臭いが鼻腔を刺激する。僕はもう何が何だかわからない。いや、わかりたくないのだ。彼女がこんなことするなんて…
「卑怯、卑劣は弱者の戯言よ。ありえない? 何を言っているのかわからないが勝者こそが歴史を刻む。そうだろう? リリーよ」
「はい、公爵閣下の言う通りでございます」
そう返事をする声はやはり僕の良く知っている人物だった。僕は目の前の現実を受け入れないようにただ唇を強く噛み締めるのであった。




