第21話 現れた最悪の男
暗闇の中、大量の兵士が突如として姿を消す。そんな実に不可解な現象が発生したため、辺りは当然のことだが騒然となった。争っていたハノファード伯爵、フロイデンベルク公爵の両軍とも、このような状況は想定していなかったのだろう。まぁ、そうなるのも致し方ないわな。先ほどまで一緒に戦っていた仲間が突如としていなくなったんだ。不安にならない方がおかしいよな。
「慌てるでない! まずは陣を立て直すぞ。先ほどまでいた丘に後退じゃ! 急げ!!」
そんな中、ハノファード伯爵は混乱する兵士をここで持ち直させるのは困難と判断したようだ。彼は部下たちに退却の指示を出した。レオナードもその命令に従い、崖に向かうために馬を反転させる。オレは馬を失った伯爵の様子が気になるため、レオナードの肩越しから見えるように馬上で振り返る。
「笑止、小僧よ。油断大敵じゃぞ?」
「ええ!? は、伯爵!?」
ああ、わかる。わかるわ。そりゃ、驚くよね。混乱の最中に突如として敵の大将が眼前に現れて切りかかってきたらもう驚愕の表情になるだけで他の対応なんてできないよね。案の定、小僧と呼ばれた若い兵士は剣を咄嗟に避けるので精一杯で落馬した。うん、個人的な感想を述べるなら伯爵の不意打ちの剣を避けるだけでも彼はすごい男だと思うよ。まぁ、相手が悪かったと諦めるしかないね。
「どう、どう、中々に良い馬じゃ。この落ち着きよう。うむ、小僧にはもったいない名馬じゃな! これも天の巡り合わせじゃろう。馬よ、主をファルシオールと名付けよう。さぁ、駆けるぞ!!」
「ちょ、ちょっと、勝手に名前をつけないで! って、待ってよ!! 嘘だろう!? この前、奮発して手に入れたばかりなのに…」
伯爵は奪った馬に跨り、実に嬉しそうに手綱を握り駆けていく。余程、新しい馬が気に入ったようだ。今にも口笛を吹きそうな勢いだ。それとは真逆で馬を取られた若い兵士は床にうずくまり、今にも泣きそうだ。うん、少しだけ、可哀想ではあるがこれも戦争。仕方ないよね。まぁ、多少は哀れに思うから彼の今後に幸が訪れることを祈っておいてあげよう。
伯爵が新たに手に入れた馬は凄まじい速度で駆けていく。いや、本当にありえないくらいだよ。先行していたはずのオレたちを軽々と抜いていったもんな。
「あの馬、早いな。これなら丘までのジジイの撤退は容易だな」
「そうね。一時は馬を失った伯爵をどうしようかと考えていたけど、杞憂だったわね」
オレは相乗りしているレオナードの顔を見上げながら返事をしていた。まさにそんな安心しきったそのタイミングで突如としてありえない声が前方から聞こえてきたのだ。
「逃げるのか!? ハノファード!!」
転移の魔術でも使用したのだろう。突然、フロイデンベルク公爵こと親父が目の前に現れたのである。それも、魔導兵と呼ばれた化け物どもを引き連れてだ。
「主との戦いは次回の楽しみにしておく。誠に残念じゃ! それではのう!」
伯爵はこちらが腹たつくらいに実に良い笑顔でそう宣言した後、馬を素早く方向転換して逃げようとした。そんな伯爵の進路に大量に現れた魔導兵が取り囲む。まぁ、当たり前だよな。親父はそんなに甘くないわな。伯爵をこのままタダで返すような男だったら陰謀渦巻くアルカディア帝国で長年公爵位に就いていないわな。
「邪魔をしないでもらいたいものじゃのう」
「邪魔などしていない。ゴミがいるから片付けるだけだ」
「ゴミのう。ならばそのゴミに切られて片付けられる奴はそれ以下じゃのう。まぁ、儂は優しいからそれが誰かは言わぬがな」
伯爵は腰に差した剣を抜き、臨戦体制に突入。親父は親父で魔術を詠唱し始めている。まさに一触即発の状態だ。オレはそんなことを考えていた。まさにその瞬間に辺りに突如として大きな声が響きわたった。
「フロイデンベルク公爵、今回の参戦に感謝します!! さぁ、モノども、私たちも遅れを取るわけにはいかないぞ。進め!!」
唐突に号令が聞こえたと思ったら大量の騎馬兵がこちらに向かって駆けてきた。くそ、こんな状況で誰が来たんだ。いや、誰であっても最悪には違いない。
「ハノファード、久しいな。私の名前を覚えているかな? ジーク・ヴァルデンブルクだ。アルカディア帝国公爵のな!!」
って、よりによってこのタイミングであの野郎が来やがったのか!! しかも、相変わらず自らが滅ぼした王族の名前を恥ずかしげもなく名乗っているぞ。本当にあのクソ野郎が! 奴はこちらまで来るなり、ハノファード伯爵を睨みつけてきたのであった。オレじゃなくてな。本当にムカつくやつだ。まったく…




