第19話 ソフィアの思い
真っ赤な炎が夜空を朱に染め、龍のように荒れ狂う火柱が公爵軍の兵士を一瞬にして消し炭に変えていった。そして、彼はひたすら鞭を打ち、馬を駆り立て大地を疾走する。
「儂が道を切り開く! モノども儂の後に続け!!」
そう言って馬を走らせる伯爵。そんな彼を恐れもしないで、果敢に挑んでくる騎馬兵たち。伯爵はそれらを一瞥し、口元に笑みを作る。
「中々、骨がある兵士どもではないか! 余程、主人に鍛えられているに違いない。だが、時間がないのじゃ。儂の邪魔をするならば消えよ!!」
そう言って伯爵が詠唱をするために口を動かしていたら、
「そこまでにして頂きます。私たちの領民を悪戯に殺さないでください!!」
と突如として女性の声が響いてきた。伯爵は詠唱をやめ、声がした方に振り向いた。オレも彼の視線を追って声がした方角を見る。するとそこには見覚えのある長髪の女性の姿があった。
「おぬしはフロイデンベルグ公爵の奥方であったかのう?」
彼の返事に母ソフィアは肯定と首肯し、伯爵を睨みつける。
「私はあなたを止めに来ました。これ以上、あなたに私たちの領民を殺させはしません!!」
「ならばこの兵どもを退かせる事じゃな!」
ソフィアの発言にイラだった様な声で怒鳴り返す伯爵。
「それはできません。私たちの娘がこの戦禍に巻き込まれてどこにいるかわからないのですから…」
首を振った後、ソフィアは悲しげな眼差しで自らの内を吐露する。本当は戦場に立ちたくない。そんな気持ちは誰もが彼女を見れば分かっただろう。それでも、彼女はオレを探すために争いに身を投じたのだ。なんということだろうか。この状況はオレの所為だったのか…
「私欲で兵を動かしたのか! 己が娘のためにこれだけの無辜の民を兵士として動員したと!」
そんな彼女をなじるように怒鳴りつける伯爵。だが、オレには彼の気持ちも痛いほどにわかってしまう。
「領民を守るために儂は唯一の肉親をブランシュタットの小倅に奪われても、屈辱に耐えたのじゃ。すべては領民のため、ここに住む民のためじゃ!! この戦も儂の臣民を守るためにはじめたに過ぎない!!」
「あなたの言っていることは私には言い訳にしか聞こえませんわ! あなたはその肉親の方を差し出した。その気持ちも理解できなくないですわ。でも、私にはあなたが本当に大切にするべきだったのは領民だったとは思えません!!」
そんな彼女の言葉を聞いた伯爵はますます険しい顔をした後に彼女を睨みつける。
「儂がどれだけの苦悩に耐えたと思う? 苦渋の決断じゃった。本当に今でも胸が苦しくなるのじゃ。だがのう。人の上に立つものは、民を守る責務があるのじゃ。彼らが幸せに生きていける様に勤めるべきなのじゃ!!」
血を吐く様な思いで、恥辱に耐えた伯爵の魂の雄叫びが辺りに響き渡った。そんな彼の言葉を聞いた後、顔を伏せる母ソフィア。
「それでも私は愛娘を見つけ出すまで絶対に引きませんわ! あなたが何とおっしゃっても、私はあなたとは違って、愛娘であるリリアーヌを探し出して守ってみせます。例え、その先に私自身の死が待ち受けているとしても、これだけは譲れませんわ!!」
彼女は濡れた顔を上げ、毅然とした態度で彼を睨みつける。
「ふん、その娘を見失うくらいにしか興味がない帝国の公爵夫人ごときが良くもそんなことをいけしゃあしゃあ語れるものじゃな。娘を守りたい? その程度の覚悟で、儂を止められるならば止めてみよ!!」
ドスの利いた声で伯爵がそう言うや否やソフィアに対して火炎の魔術を放つ。彼女はそれを予測していたのだろう。凄まじい早さで、馬を右に駆けさせて炎を避ける。
彼女は伯爵の魔術を避けた後、素早く懐にあった呪布を取り出して、
「凍える氷雪よ。世の理に従い、氷結させよ。アイス・スーム!!」
と伯爵に目がけて氷の魔術を放った。
「甘いのう。その程度の氷では儂の炎は止められないわい!!」
伯爵はそう言うと飛んでくる氷の塊に対して、右手から新たに生み出した炎を投げ込む。すると氷が一瞬にして溶け去る。
「う、嘘ですわ!? この魔導具は最新式に改良してありますのに!!」
驚愕の表情が隠せないほどに慄いているソフィア。 そんな彼女の前に猛烈な勢いで馬に乗って駆け寄ってきた伯爵。
「ごちゃごちゃと煩い奴じゃのう。所詮、娘を守りたいお主の気持ちなど戦場では糞の役にも立たぬ。ここで無駄に命を散らす程度じゃよ。大人しく城に閉じこもっておればよかったのにのう。ほれ、これで終わりじゃ!!」
伯爵は持っている剣を彼女めがけて振り下ろす。母さん!? オレは思わずそう叫びそうになった。
「…ッガ!? な、何!? なにごとじゃ!」
そんな時、目にもとまらぬ速さで何かが伯爵を馬ごと弾き飛ばした。
「我が妻に何をしている!!」
そう言って、伯爵を吹き飛ばした者が彼を睨む。ガッチリというよりもポッチャリ。そして、少したるんで出ている腹。普段の温厚な態度からは想像もできないようなその姿にオレは、
「…親父」
と思わず小さな声が出てしまった。彼は魔術で自らの動きを加速させて飛ぶような速さで駆けてきた。そう、馬を使わずに己の足のみでさ。でも、おかしいな。なぜだろう。オレは親父がここに来たことに…
いや、母ソフィアが助かったことにホッとしているんだ。なぜなんだろう。オレはこの体で生を受けた時、確かに父母など興味もなかったはずなのにさ。
そう、オレは生まれた時、ただ無残に殺された妻の恨みを奴に晴らすことのみを考えていたはずだ。オレはジークのクソ野郎をこの手でぶっ殺す。そして、それ以外は全てどうでも良い。確かにそう思っていたのに…
「くっ、万事休すとはこのことかのう!!」
どうやら、オレがくだらない感傷に浸っている間に凄まじい勢いで突き飛ばされた伯爵は落馬してしまったようだ。さらに間が悪いことに彼は馬から落ちた際に剣を失っている。これはヤバイぞとオレが考えている間に、
「万事休す? 何を言っているだ。実力の差だ。所詮、貴様は滅んだ国の最強の魔術師に過ぎない」
と言って駆け寄る親父。そんな伯爵に素早く近づいた親父は、
「我こそが最強の魔術師だ。その我の妻に貴様がした数々の行いを悔いて、この世から去るがよい。亡国の魔術師!!」
と言って、彼めがけてハルバードを振り下ろしたのであった。




