第23話 思いと記憶
戦による騒音が絶え間なく聞こえた地上とはがらりと変わり、静寂が支配する伯爵自慢の地下の書斎。
「ここは世界中からかき集めた書籍たちが眠っている場所じゃよ」
オレは彼の言葉を受けて辺りを見渡す。さすがに伯爵が自画自賛するだけはある。所狭しに並べられた古今東西を問わない珍しそうな書籍。その中から1冊を手に取り眺める。
…うん、読めない。まったく見たこともない言語が羅列してあってなにが書いてあるかわからない。本に興味を移している間に先導する伯爵は前に進んでいたようだ。いつのまにか彼らから少し離れていた。オレは持っていた本を本棚に戻し、伯爵の下に駆け寄る。
しばらくの間、そんな本で埋め尽くされた部屋を伯爵に連れられて歩いていると応接間のように長椅子などの家具がある場所が見えてきた。
「そこに座ると良い」
先ほど見えた色目が鮮やかな革製のソファやアンティーク調の机の前に着くと彼がそう座るように促してきた。
「では、お言葉に甘えて失礼します」
オレは伯爵に言われるままに座席に着くことにした。
「小僧、貴様もじゃ」
変化の魔術を解除したクリスに視線を移した後に自らも椅子に腰を掛ける。
「そう睨むでないわ。いくら童が凄んでも儂は微動だにせぬぞ? それよりも早く座れ」
伯爵はいかにも鬱陶しそうに顔を歪めてそう言う。
「クリス、早く座ってください。伯爵と話ができないでしょう?」
「ッチ、仕方ないな。リリアに従って座ってやる」
きっと、先ほどの伯爵の物言いに腹が立ったのだろう。クリスはそう不満を溢しながら着席した。おい、おい、いくら不機嫌だからと言ってそんな乱暴にソファに座るなよ。隣にいるオレまで揺れるだろう。
「小僧は本当に偉そうじゃのう。先ほどまで儂の部下に押さえつけられて怖くて言葉すら話せずにいたのにのう」
ああ、もう、伯爵は火に油を注ぐって言葉を知っているのだろうか。いや、この表情は楽しんでいるな。なるほど、知っているから全力で流し込んでいるのかよ。相変わらず、タチが悪いなこの人はまったく!!
「違うわ! 口をずっと押さえられていたから、声すら出せなかっただけだ!」
「情けないことを威張って言うとは本当にぬしは誠に男なのかのう? おお、忘れておったが小僧は儂が少し揉んでやっただけでボロ雑巾みたいになった半人前ヒヨっ子じゃったな!」
伯爵は煽るのが楽しくて堪らないと言わんばかりの表情を顔に浮かべながらそう早口で述べる。
ハァ、もうガキじゃないんだからさ。なんのためにここにいるんだよ。
「クリス! あなたはしばらく黙っていて!!」
「クッ、命の恩人であるリリアの言葉だから、今回は大人しくしてやる…」
クリスはオレの言葉を聞いた後、悔しそうに歯噛みして黙る。
「それに伯爵、彼を揶揄うのは、やめてください。あなたは私たちと対話を望んでいたのではないのですか?」
クリスが静かになったのを確認し終えたオレは伯爵を睨みつける。
「冷静な判断じゃ。やはり、見た目通りの年齢ではないようじゃのう。それに比べてこの小僧はのう」
「ハノファード伯爵!」
なおも、クリスに暴言を吐こうとする伯爵を諌めるためにオレは声を少し荒げてそう言った。
「フォフォ、そう怒るでない。さて、ジークの小僧の部下と君が仲良くなっていることに関しては後で聞かせてもらうとして…」
彼は私たちを見た後に微笑む。まるで、なにか眩しいものを見るようにどこか期待したような眼差しで…
「先ほどの話の続きをしようかのう。ぬしは誠にヴァハドゥール・ド・ヴァルデンブルクの記憶を持っておるのかのう?」
「はい、フリッツおじさん。いえ、フリッツお義父上とお呼びすべきだったでしょうか?」
「フリッツお義父上か。儂をそう呼ぶのは亡き陛下のみじゃった。懐かしい」
どこか感慨深げにそう言葉を口から漏らす伯爵。
「フム、儂にそんな嘘をついてもデメリットが多くて意味がないじゃろうしな。むしろ、下手をすると儂の不興を買ってその場で斬り殺されるかもしれなかったのじゃし…」
「…まだ、他にも私に質問でもして確認しますか?」
「いや、それには及ばぬ。認めるしかない。そうじゃのう。認めよう」
そう言う彼の眼差しはどこか悲しげで痛ましいモノを見るようだった。いや、もうその理由はわかっているんだ。
「いえ、先ほどのあなたの話が正しいのなら私はその記憶を持ったタダの小娘に過ぎません」
認めがたい。いや、そうやすやすと認められないのだ。彼の話を認めてしまったらオレの生まれた時から頑張ってきたことが足元から崩れる気がして…
「だけど、それでも…」
それを理解してもオレにはやりたいことがあるんだ。いや、私には絶対に成し遂げたいことがある。
「この魂がやり残したことがあると無念だと告げているような気がするんです」
「おい、おい、リリア、落ち着けよ。急に勢い良く椅子から起ち上がるから机の上にある本が落ちそうだったぞ?」
オレは慌ててそう言うクリスを一瞥。そして、そのまま気にせずに捲し立てることにした。だって、伯爵にはオレの気持ちを知って欲しかったから…
「記憶は別人のモノで、この思いは偽りのモノかもしれない」
だが、魂が叫んでいるような気がするんだ。
「オレは願ったんだ。妻を殺され、娘を奪われた。許せない。絶対に復讐してやると!!」
大切なモノを何も守れなかった。国の最高権力者であったのに…
最愛の妻を、そして愛娘を…
───あの時のオレは誰1人、守ることができなかったのだから!!
「復讐に取り憑かれておるのう。自らもわかっておるようじゃが、それは本来のお主の気持ちではないのじゃぞ?」
「そうだ。わかっている。頭ではわかっているんだ」
そんなことは言われなくてもわかっている。だが、今までのオレは復讐をするためだけに生きてきたのだ。
「…さらに言えば、セリアもお主の娘ではないのだぞ?」
それを言わないでくれ。オレは…
オレは…
「それでも、彼女を助けたいんだ」
オレは力なく、うな垂れるようにそう言うよりほかなかった。だって、生まれてからずっとオレは復讐のことしか考えてなかったから…
「……」
沈黙する伯爵。彼は何かを悩むように重苦しい表情をした後、こちらを鋭い目で見てきた。
「そこまで言うのならば、儂はぬしに頼みたいことがある」
彼がおもむろにそう重い口調で言ってきた。そんな緊迫する伯爵の雰囲気を和らげるためにオレは彼に無言で頷き微笑む。フリッツおじさんの頼みなら、多少は無理しても叶えてあげたいしね。そんなオレの気持ちをこちらの表情から察したのだろう。
「ありがとう。そして、すまぬ」
そう言って弱々しく微笑む伯爵。そんな彼はどこか悲しそうに顔を歪めるのだった。