第6話 ヘイゲルとクリス
時折、生い茂る木々を撫でるような風が立ち、緑葉樹の葉を揺らしている。男爵の部隊に加えられたオレたちは、とある場所を目指して直走っていた。
走りながら、オレたちは徐々に人気がない所に移動していた。よし、誰もいないな。オレが辺りをうかがいヘイゲル男爵の部下の兵士がどこにもいないことを確認した後、
「クリス、この魔道具を使ってください。作戦は手筈通りよ。お願いね」
と言ったあと、オレは他者に変身する魔道具をクリスに渡し、本来の自分の姿に戻った。代わりに先ほど適当に見繕ったクリスが一般兵士の格好に変わる。
「もちろんだ。あのクソ男爵に目に物を見せてやる!!」
クリスが一般の兵士の格好で鼻息を荒くし、男爵を罵るのを見てオレは冷静になるように言った。
「おい、おい、そんな台詞を他の兵士に万が一聞かれたらどうするのだ。まったく」
オレはため息を吐いた後、そう言って男爵がいるであろう林の先を見る。
今頃は、あの辺りに男爵たちはいるのだろう。早く追いつかなくてはな。オレたちは男爵に追いつくために全力で駆ける。もちろん、ガキであるオレは筋力を魔術で強化し、全力で走っている。
「はてさて、オレの思いついた作戦は果たして上手くいくだろうか」
そう独り言を呟きながら、周りを見るとすでに男爵の部下である兵士たちに追いつくことができたようだ。辺りにヘイゲル男爵の部下である兵士らがチラホラと見えてきた。
この林を抜けると男爵がきっと大慌てでいることだろう。オレは男爵が陥っている苦境を思って、ニヤける口元を抑えれなかった。
「これはどういうことだ!! 」
思った通り、林から抜けた平原では怒声が響いていた。それにしても、うるさい声だ。ヘイゲルがどこにいるのか簡単にわかるな。
「あっちにヘイゲル男爵はいるな」
「そのようね」
男爵がいるであろう方を向いて指を差すクリスにオレは頷きながら返事をし、男爵がいるであろう場所に向かう。なぜ、男爵が叫んでいるかって? それは……
オレがここに来る前に伝令に化けて奴に偽情報を渡したのさ!! まさか、奴がオレたちを騙したのとまったく同じ内容の話を信じるなんてな。アイツはバカなんじゃないか? もちろん、先ほどオレたちが敵と遭遇した場所に奴らを誘導してやったよ。
きっと、今頃はハノファード伯爵側の奴らと鉢合わせだろうな。オレがあそこに行った時も、伯爵側は小高い丘の上に陣をしいて、待ち構えていたのだ。あれほどの大群をこんな短時間にそうそう動かせるものではない。
だから、きっとオレが考えた計画はうまくいくはずだ。行き当たりばったりの情けない計画だが、あの野郎の鼻を明かすにはこれが最も面白いプランなのだ。うまくいってくれよ。
オレが内心で計画がうまくいくことを願っていると男爵が見えてきた。
「男爵様、ここにおられましたか!!」
クリスは男爵を見つけると男爵に声をかけた。
「なんだ!? 今は男爵様は作戦を考えるので忙しいのだ。至急の用でないのなら、後にせよ!」
すると、男爵の前にいたどこかで見たことあるような男がこちらを鬱陶しいから去れと言わんばかりにそんなことを言ってきた。
…どこかでこいつを見たような気がする。
「伝令できたクソ野郎」
クリスから小さく漏れた言葉を聞いて、オレもこいつのことを思い出した。あのフザケタ男か!! こいつはオレたちに伝令と偽情報を伝えてきた腐った男だ。オレは内心の怒りを気付かれないように奴を見る。
「なんだ、ガキがおるではないか!? なぜ、こんな時にガキなどを連れておるのだ?」
オレの視線に気がついたのか奴がこちらを見てそんなことを言ってきた。
「街道を一人で歩いているところを、先ほど保護しました」
いきなり、怒鳴りつけられたクリスは一瞬だけ、混乱したのだろう。面食らったようにこちらを見てきた。オレは彼が落ち着くように微笑んだ後に打ち合わせ通りにやれという意味を込めて、ゆっくりと頷き返してやった。
「保護だと? 平民を!? こんな時にぃ!!」
「近隣の村まで同行させてもよろしいでしょうか?」
一般兵士に化けているクリスが丁寧な話し方で偽者であった伝令係の奴にそう言うが、
「そんな下賎な者の世話などしなくても良いのだ!! 我輩たちは既に伯爵の部隊と交戦中なのだぞ!! ですよね? 男爵様!」
と男爵に媚を売るようにそう尋ねる。
「男爵様。まだ、この子は子供です。御慈悲をくださいませんか。せめて、近くの街道沿いまで…」
「今は緊急事態なのだ。そんな悠長なことを言って、男爵様を煩わせるな! 子供はおまえに任せるから、早くここからされ!! さぁ、はや…っく、えっ!?」
なおも、追い払おうとする男にクリスが腰にあった剣を一振り。切られた男は自らの胴体を大地に転がった頭部から覗き見て、悲鳴をあげるために口を動かしているようだが、喉がないから声が途中でかすれて出ないようだ。
「何をやっているのだ!!」
部下を目の前で一太刀で殺す所を見せつけられた男爵は顔を恐怖で真っ青にしてそう言ってきた。
「……ふ、ふふふ。はははは!!」
クリスは男を殺した後、恐怖で腰を抜かした男爵を見て声を上げて笑った。
「な、何が可笑しい!? なぜ、笑うんだ!! 黙れ!!」
大地に手がついたままの格好で強がって、そういう男爵の姿は実に滑稽である。いや、本当に情けない。
「これが黙らずにいれるかよ。腰を抜かして座り込んでいる男爵様」
「高貴なる我輩を愚弄すると、どうなるかわかっているであろうな!?」
「そんな格好で凄むなよ。笑えてくるだろう? あと、それとわかんないなぁ。地べたを這いずり回っている男爵様を侮辱するといったいどうなるのかな?」
ニヤニヤと男爵を見て笑うクリス。彼でなくてもこんな光景を見ていたら笑ってしまうだろう。
「そんな無礼な態度を我輩に取って許されると思っているのか! モノども!! この下郎をやってしまえ!!」
男爵は腰が抜けて立てないのか大地に伏したまま、命令を周囲にいた兵士たちに向けて放つ。すると、一斉に奴の部下がクリスに襲いかかってきたが
「…廃は廃に帰れ!!」
とクリスが詠唱を終えると同時に男爵の部下らは消し炭とした。
「バ、馬鹿な!?」
「これで大凡のここら辺にいるおまえの部下は駆除できたな」
一般兵士に化けているクリスがそう言ってニヤリと不敵に笑う。さらに、クリスは声を変える魔術を使って、
「我輩は来た林の中をすでに駆け抜けている。早く追いついて隊列を直すのだ!!」
とここにいない兵士らに大声で指示を出す。
「我輩の声を真似て勝手に命令を出すな!!」
自らの声で思わぬ命令を出されたヘイゲルは声を荒げてそう言う。
「そこの遅いやつ! 敵が迫っているぞ!!」
クリスは自らが詠唱した小さな無数の火球を使って、林の中に向かう兵士らの方に魔術を放つ。
「キサマは何をやっているのだ!!」
男爵が激怒のあまりに立ち上がり、そう言ってクリスの首元を掴む。
「あれ? まだ、気がつかないのかい? 僕の正体にさ」
「正体!? な、なんのことだ!!」
クリスにそう言われた男爵は動揺しながらも、首を傾げて、記憶を探るように考え込む。
「この顔に見覚えはないか?」
クリスはそう言うと手をさっと顔の前に持っていき、さっと己の顔をはらうと本来の顔が現れた。
「キ、キサマは、クリストファー!!」
クリスの顔を見た男爵の顔といったら、なんというのだろうか。奴の口ぶりから言うならば、下賎な者にはめられたのが我慢ならないといったところか。
「よう、男爵様。久しぶり、元気していたかい?」
魔術を解いたクリスは男爵の反応を見た後にニヤリと笑ってそう言った。




