第3話 貴族の面子と孤児の意地
朝日が昇り始めて辺りを照らしはじめている。ほんの僅かに薄暗い早朝の道をオレたちはカイネル卿の部下が待つ場所に行くために歩いていると、
「ここにおられたか、カイネル卿」
と唐突に声が聞こえてきた。誰だ!? オレはすぐに声がした方を振り向く。するとそこには先ほどの会議中に部屋から追い出された男。ヘイゲル。そう確かヘイゲルと呼ばれていた奴だ。
彼はオレたちを急いで追ってきたのだろう。ヘイゲルは肩で呼吸するようにゼイゼイと息を切らしいる。
「へイゲル男爵!?」
クリスがまるで嫌な奴を見たと言わんばかりに口を歪ませている。オレはクリスの言葉を反芻するように男爵という言葉に反応した。
ヘイゲル男爵? 聞いたこともないな。さすがのオレも男爵位の階級を持つすべての人間までは覚えていない。だが、納得できたぞ。なるほど、会議でクリスに対して高圧的だったのは奴が貴族だからか…
オレがぼんやりとそんなことを考えていたら、ヘイゲルの奴がオレに、
「カイネル卿、そこにいるクリストファーの小僧をこちらに渡してはくれまいか?」
と突然に言ってきた。クリスに視線を全く向けずにだ。ヘイゲルの奴はクリスの声を完全に無視したのだ。たぶん、そこに彼がいないかのようにワザと振舞っているのだろう。理由は単純だろうな…
「なぜ? クリストファー小隊長をヘイゲル男爵に渡す必要があるのでしょうか?」
オレは敢えて、嫌味ったらしく丁寧に相手に聞いてやった。
「あの様な場で侮辱されたのだ! 我輩の気が収まらない!!」
イライラしているのだろう。ヘイゲル男爵は早口でそう捲し立ててきた。
「だからと言って渡すわけにはまいりませんよ。彼は孤児ではありますが小隊長です。この戦の貴重な戦力ですよ?」
そんな理由で渡せるわけないだろう。オレはさらにゆっくりと現実的なことを言ってやった。
「なに、この戦で亡くなったといっても誰も疑うものはおるまいて」
好き勝手に言いやがるな。オレがヘイゲルの理不尽な言いように腹が立って文句を言おうとしていたら、
「何を勝手に人の処遇を決めてるだ!!」
とクリスがヘイゲルを睨みつけて怒鳴る。
「貴様如きが我輩と話してよいと思っているのか!! 口を閉じろ!!」
ヘイゲルはさらに平民ごときが貴族の我輩にそのような口を聞いて良いと思っているのかと言った。
「知るかよ! 僕はお前ら元近衛軍とは命令系統が別口だ!! 文句があるならば、上官のルード伯爵に言え!!」
「ルード伯爵。あの女狐は相変わらずのようだ! こんな平民を飼うなど!!」
人を飼うか。表現が悪いやつだ。だが、やはり、ルード伯爵は相変わらずのようだ。メルヴィ・ルード伯爵はオレの前世で家庭教師をしてくれた才媛だ。
男社会である貴族界で伯爵の爵位を特例で継いだ女性。それ故にだろうか。身分による差別や制度に対する不満をオレによく漏らしていたな。彼女に出会わなければオレもへイゲル男爵みたいな奴になっていたかも知れない。
おっと、思い出に浸っている場合ではなかったな。クリスとヘイゲルの議論が白熱してきたぞ。
「僕から言わせるとヘイゲル男爵の方が変人だけどね! 先祖代々の領地を帝国に譲り渡すことで男爵位を維持するなんてね。爵位を捨てれば土地の権利は保障されていたのにさ。そのせいで、今も軍属であくせく働くなんてバカみたいだね?」
バカが煽りすぎだ!! クリス、ヘイゲルの顔を見ろよ。あいつは完全に切れているぞ。
「おまえのようなクソガキはここで殺してやる」
腰にかけてある軍刀を手に取り、ヘイゲルはそう凄む。
「僕を殺したら、そこにいるカイネル卿が証言するだろうよ。ヘイゲル男爵が乱心して小隊長に喧嘩を売って無意味に殺されたとね!」
「我輩を侮辱するのも大概にしろ!! この平民風情が!!」
威勢良く喋る割には自らクリスに攻撃を全くといっていい程に仕掛ける素振りを見せないヘイゲル男爵。それに奴よく見ると冷汗のようなものが額から流れているのが見える。
もしかして、ヘイゲル男爵は魔道兵器と言われるクリスに単身で挑む気概は最初からなく、カイネルから彼を引き取り、部下たちに襲わせて処分するつもりだったのではないかとオレの頭にそんな考えが浮かんできた。
ならば、私が彼を引き渡すつもりがないことを明言すればヘイゲルは引き下がらざる得ないだろうな。よし!
「ヘイゲル男爵、彼は私が保護したのだ。無用な手出しは控えてもらいたい」
「カイネル卿は貴族である我輩の肩を持つのではなく、その平民の肩を持つと言うのだな?」
肩を持つもなにもないだろうに。お前が勝手にこっちに喧嘩を売ってきたんだろうが…
「クリストファー小隊長は先ほどジーク閣下にハノバード伯爵側の情報をもたらした功労者だぞ? そんな多大な貢献をしたものを無下にはできない」
「カイネル卿もこの平民を庇うならば同罪だ! この貴族の面汚しが! 今に見ておれ!!」
と言うとヘイゲルは杖を突きながら、足早に去っていた。ヤレヤレ、ようやく去ったか。思った通りに去ってくれたのは良いが最後の捨て台詞が気になるな。
「され、され!! 老いぼれ」
クリスは嬉しそうにヘイゲル男爵が去っていた方向にそう言う。
「へへ、ありがとう。 あんな貴族が多くて辟易していたんだ!」
クリスに笑顔で感謝されながらも、先ほどの奴が吐いた捨て台詞がやはり気になる。なにかイヤなことにオレは巻き込まれるのではないか。なぜかわからないが、この時のオレにはそんな嫌な予感がしたのであった。




