第25話 馬上でのひととき
今宵は新月。夜の街路に続く道は静寂に包まれ、月明かりすらない。暗闇に紛れ、館からここまで、無言で歩き続けるオレ達。今、オレはクリストファーと共に館から離れた馬小屋に向かっている最中だ。
「そう言えば、なぜあなたは私の名前を知っているのかしら?」
無言に堪えきれなかったオレは彼に話しかける。実はオレが自己紹介をしていることは覚えている。だが、あえてオレはそう尋ねる事にしたのだ。
「何を言っているんだい? 君が屋敷に戻ってくるなり、メイド達がお帰りなさいませ。リリアーヌ様と言っていたぞ?」
彼の顔を見ると真顔でそんなことを言っている。どうやら、オレの意図がわからなかったようだ。オレは彼に自己紹介はした。オレは自己紹介をしたが奴はしていないのだ。
「ハァ、覚えていないのかしら? 私はアナタに自己紹介をしたのに…」
「あ、そうか、僕は君に名乗っていなかったんだけ?」
オレのため息と愚痴っぽい声を聞いて奴は慌てた様にそんな確認をしてくる。確認をしなくてもわかる事だろうに…
「まぁ、いいわ。気を取り直して改めて自己紹介をしましょう。私の名前はリリアーヌ・フロイデンベルグよ」
オレはニコリと微笑みを作って奴に話しかけた。すると奴は少し赤面したと思ったら、
「フロイデンベルグ!? あの帝国の公爵家のかい?」
と大声で驚きの表情を浮かべる。実に今更だ。でも、少年兵が自らの領主以外の公爵を知っているのか意外だな。
「今頃になって、驚くのね」
オレは呆れ紛れたと伝えるために大きく息を吐いたフリをした後にバカにしたような声音でそういってやった。
「だって、あの時は死にそうだったからね。そんな所まで頭を回せないよ」
「それもそうね。それにしても、無学と言っていた割には詳しいのね」
オレは彼の言い分に納得を示す様に首を縦に振った後、ふと思い出した様にそういった。
「だって、公爵家の令嬢だぜ? まだ安定していない地域になぜ留学を希望するんだろう? たぶん、バカ。いや、変人だろうってもっぱらの噂…」
「バカ? 変人?」
今、こいつはオレの事をバカとか言わなかったか? 失礼な。オレは何方かと言えば賢かろう。まぁ、変人なのは認めざる得ないけど…
「いや、とても、美しくて素晴らしいお方です」
こんな所で早速、呪符を使うとは思わなかったな。筋力を強化してクリストファーの頭を力任せに指だけで締め上げてやったら、大変聡明で美しいお方だと泣いて許しを乞うてきたよ。
「そう、でしょう。そうでしょう」
オレは彼の賛美を聞いて、微笑んだ後に彼を解放して上げた。
「ハァー、疲れるわ」
「なにか言ったかしら?」
「いえ、何も言っておりません」
オレが睨みつける様に言葉を吐くと奴は良く躾された飼い犬のように大人しくなった。失礼な奴だ。
「それで、あなたは私に自己紹介をさせるだけなのかしら?」
オレは横目で彼を冷ややかに見る。彼は焦った様にワタワタとした後、
「僕の自己紹介が必要かな? 僕はクリストファー・エイセイマン。ヴァルデンブルク少年兵団の団長。いや、もうだったと言うべきなのだろうね…」
と自嘲気味にそう言う。オレは苦笑をしながら、彼にこう言った。
「長い名前ね? クリスで良いかしら?」
「どっちでもいいよ。君の好きな様に呼ぶと良いよ」
投げやりな奴だ。おっと、どうやら、オレ達がくだらない会話をしている間に馬小屋に着いたようだ。
「ついたわね。さっさと馬に乗っていくわよ」
オレは逸る気持ちを抑えて馬上に乗ろうと手綱を引っ張る。さてと、馬に乗ろう。
…あれ!? もしかして、オレの身長だと大型の馬の鞍まで手が届かないのか? うーん、うーんと何度も、背伸びして手を伸ばすが馬の鞍の足をかける場所にすら手が届かない。
「迂闊だったわ」
この身体で乗馬なんてした事がなかったからわからなかった。まさか、手が鞍まで届かないなんて! なんでここには大型の馬しかいないんだ? 周りを見渡してもオレが乗れそうなくらいに小型の馬がいない。
「どうしたんだい?」
そう奴が言った後にオレが鞍まで手が届かない素振りをしてやった。すると、
「ぷ、プハハ!わかった。乗馬ができないんだ」
オレを見て笑うとは失礼な奴だ。それに奴は勘違いをしているようだ。オレの背伸びして手が届かないアピールを乗馬できないという意味に解釈したようだ。
「いいよ。僕が一緒に乗って上げるよ。貴族のお嬢様には乗馬はできないだろ?」
「乗馬くらいできるわよ! バカにしないで!」
失礼な奴だ。オレが乗馬くらい出来ない訳ないだろう。前世でどれだけ、馬に乗っていたと思うんだ。戦乱の世を駆け抜ける準備と称されて親父に訓練させまくられたんだぞ。
見ていろよ。鞍を握って、馬の背に。の、上れない。手が届かない。く、屈辱的だ。だが、こんな所で時間を駆けている場合ではない…
「あれ? やっぱり、乗馬ができないの?」
「…ただ、馬に乗れないのよ!! 背が低くてね。悪い!!」
く、屈辱的だ。だが、ここで、強がりを言ってもはじまらない。
「最初からそれを言ってくれ。…ぷ、そうか。いいよ、乗せるの手伝ってあげる」
奴の顔がニヤけているのがわかる。本当に腹が立つ奴だ。
「…お願いするわ」
ここは素直に頭を下げておく。オレは早くジークを消し去りたいのだ。奴に過去を清算させてやる。そのためならば、どんな恥辱にも堪えてみせる。オレはクリスに馬に乗せてもらい。閉まっている扉を見る。
「さぁ、扉を開けて、行きましょう!!」
「ま、待てよ」
オレは馬に軽く足を当てて、歩ませる。扉を開けた後にクリスは馬に乗る為の準備を急いでするが焦っているせいか手間取っているようだ。そんなクリスを置いて、オレは馬を駆けらせる。
「おーい、待ってくれよ!」
クリスが追いついてきたようだ。ふふ、あの慌てよう。オレにおいてかれるのがそんなにイヤなのかな? 精々、オレが貸した恩をたっぷりと返してくれよ。
「それにしても、乗馬が上手だね」
息を切らせながら、オレに話しかけてくるクリス。髪をなびかせるその姿は少年だからか、奇麗に見えた。
「あら、お転婆だとでも言いたいのかしら?」
オレは顔を背けながら、ふて腐れた様にそう言う。
「いや、素直に褒めているだけさ」
「そう、なら良いわ」
ふふ、そうだろう。ヴァルデンブルクで最も乗馬が得意だった師匠に教えて貰ったのだ。そんなオレが乗馬が上手でない訳がないのだ。
「まぁ、僕が持ち上げてあげないと馬にも跨がれないけどね」
「何ですって!?」
今のは聞き捨てならないぞ。この野郎。ならば、どちらが先にアルカザル城に着くか勝負してやろうじゃないかと言ったら、
「ははは、僕に追いつけるものならば来てみろよ」
と言って小馬鹿にしてきた。フライングだろ。同時スタートもできないのかよ。あの野郎。待っていろよ! オレは手綱を力強く握って鞭を馬に当てる。
「待ちなさい!!」
クリスは朗らかな笑い声をたてながら、馬にさらに鞭を当てて駆けていく。置いてかれない様にオレも遅ればせながら、馬にさらに鞭を入れて彼を追いかける。
こうしていると彼も自分も子供みたいだ。それが楽しくてオレ達は笑いながら、駆けていく。
わかっている。今のオレは楽しんでいる場合ではない。妻や娘の仇を取らないといけないのだ。だが、なぜか、クリスといると子供心を取り戻した様に戯れ合ってしまう。
そんな、童心に返った自らの心に戸惑いつつもオレはジークとハノファード伯爵が争う。アルカザル城を目指すのであった。
 




