第22話 凶報
日も沈み、辺りが暗闇と静寂によって支配されはじめる頃にようやく、オレは母と一緒に住んでいる館に着くことができた。
子供とはいえ、クリストファーを背負いながらの強行軍は、オレの身体を酷使したようだ。オレの体力も残り僅かなのだろう。身体が思うように動かない。そろそろ限界が近そうだ。
オレは、動けぬクリストファーを客室に寝かせて、母の寝室に向かう。早く先ほどのことを屋敷の人達に知らせないと。
オレの焦る内心とは裏腹に動かぬ疲れた身体は重く、思うように前に進まない。そのため、オレが母の寝室を尋ねるには随分と時間が必要だった。部屋につくとオレはすぐにノックをして、
「お母様、リリアーヌです。お話したい事があり、お伺いさせて頂きました」
と母に入室の許可の確認をした。
「お帰りなさい。リリアーヌ、入りなさい」
「お、お母様、実は、聞いてください」
オレは部屋に入るなりに母に駆け寄る。早く、ハノファード伯爵領での出来事を伝えなくては、
「先ほどまで、居たハノファード伯爵領で…」
と戦争がはじまったことを母に知らせようと話かけていたら…
ドンドンとすごい勢いで扉を叩く音が聞こえてきた。誰だ、オレの会話を遮る奴は!
その大きなノックに反応して、オレと母は扉の方を振り向く。
「た、大変でございます。奥様」
ノックの後、慌てたように早口でまくしたてる男の声が室内に聞こえてきた。
「お入りなさい」
その声を聞いて、これはただ事ではないと母が判断したのだろう。珍しいことに母は早口で入室の許可を出す。
オレの母親はおっとりしていると言えば聞こえは良いがのんびり屋で着替え等でも何時間もかけるような人だ。どんな時も、基本的にゆっくりと話す。
「まずは落ち着きなさい。ゆっくり息を吸って吐いて。そうそう、慌てて報告なんてしてもミスが起こるだけよ。落ち着いてゆっくりと報告してくれて構わないわ」
母が優しげにまずは落ち着きなさいと言って、召使いに深呼吸をさせる。オレから見ても尋常ではない程に召使いは焦っているように見える。呼吸は乱れ、額には滝のような汗。
「さてと、そろそろ良いかしらね。で、どうしたのかしら? なにかあって?」
召使いは母から話す許可が降りた瞬間から早口で報告書を読み上げていく。どうやら、深呼吸程度では、彼の落ち着きを取り戻す事はできなかったようだ。
「ヴァルデンブルク公爵がハノファード伯爵領に攻め込みました。そ、それによって、旧王国派とヴァルデンブルク公爵派の間にあった亀裂は確実のモノとなり、戦火はヴァルデンブルク領の全土に広がりそうです」
彼の声は事の大きさをあらわすように震えていた。召使いの話はどうやら、オレが母に伝えたかった内容とまったく同じモノのようだ。
「まぁ、危ないわね」
だが、母の反応は鈍かった。まるで、興味のないお客が、シェフからコース料理の解説を聞いたような反応だ。彼女のような上流階級の婦女子には戦争など無縁のものなので実感がわかないのだろうか…
「すぐにお帰りくださいと公爵様から連絡があり、ただいま船の手配をしております」
母の反応は予想がついていたのだろう。男は彼女の反応を特に気にした様子を見せずにこちらを覗き込むように凝視してきた。母に今後の決断を促しているのだろう。
「帝国から兵隊は送られてこないのかしら?」
「現状では、ヴァルデンブルク公爵が所有する領土内の問題のため、静観している模様です」
危なかった。ヴァルデンブルク公爵とハノファード伯爵の争いに帝国が介入しようモノならば、ハノファード伯爵の死は確定してしまう所だった。どうやら、最悪のシナリオが免れたようだ。
ハノファード伯爵は旧国王はの重鎮だ。つまり、オレの元腹心。帝国の言うことを聞かない厄介な人物で、奴らに取ってはさっさと殺したい奴の1人だろう。
本当の所、帝国が介入しようがしまいがどちらにしても、ハノファード伯爵は不利な状況にあるのはかわらない…
どうにかして、彼を援護できないものだろうか。
「そんな、不安な顔をしないで、リリアーヌ。あなただけは何があってもこの母が守ってあげますからね。大丈夫よ」
母はオレを抱き寄せるとそう言って微笑む。オレが伯爵の心配をしている顔がこの事態を不安に思う子供に見えたのだろう。相変わらず優しい母親であらせられる…
それにしても、不安か。だが、気がかりと言えば、オレの娘。そう、セリアはどうなったのだろうか。伯爵からヴァルデンブルク公爵の所にいると聞いていたが…
「すみません。つかぬことをお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「はい、リリアーヌ様、なんでしょうか?」
オレの問い掛けに優しげに微笑みながら返事をする召使い。オレが不安にならないように敢えて笑顔を作っているな。
「ハノファード伯爵の娘であるセリア様は? セリア様の処遇はどのように…」
「報告では、ハノファード領からの移動中にセリア様は刺客によって、殺害されたとなっております」
殺害されただと!? 嘘だ。伯爵が実の孫に刺客を送って、殺しただなんて…
絶対に嘘だ!! 彼は孫娘を溺愛していた。信じられない。ありえない。
「まぁ、リリアーヌがこちらに来てはじめて出来たお友達が…。泣かないでリリアーヌ」
「…嘘」
オレは抱きしめている母を振り払って、部屋を出た。そして、自室に着くなり、オレは叫んだ。
「どうなっているんだ!! セリアが死んだ!? ありえない!!」
オレは絶叫した。そして、母が先ほどオレにかけた言葉を思い出して、無性に腹が立ってきた。泣かないでだと!? オレが泣く分けないだろう。
いや、もしかして、気が付かなかっただけで、オレは泣いているのだろうか?
オレがなに気なく、顔を擦るとそこには水滴がいくつもついていた。本当だ。オレは無意識のうちに泣いていたのだ。
くそ、なんでオレは泣いているんだよ。いくら泣いても娘は帰ってこなんだぞ。
……オレは娘を救えなかったのだ。前世は帝国が巻き起こした争乱が元で、オレ率いる国王派の力が衰え、両親であるオレとイレーヌがジークによって殺されてしまった。
彼女は両親がいなくて、きっと寂しかっただろう。そんな寂しい思いをさせてしまった愛娘にオレは生まれ変わって再会したというのに…
オレは怖くてセリアに自らが父親の生まれ変わりだったことを最後まで伝えられなかった。だって、もし、オレが父親だと言って、彼女に信じてもらえずに距離を置かれたら…
二度と彼女に会えなかったら。そう思うとオレは怖かった。怖かったのだ。そう怖くて言えなかったのだ。
そんな考えが常に頭の中のどこかに張り付いていたので、オレは娘に…
彼女に、愛娘に、父ヴァハドゥール・ド・ヴァルデンブルクが誰よりも、セリアを愛していた事と伝えられなかった。小さい時にオレと妻イレーヌを失った彼女はどれだけ、親の愛情に飢えて、孤独であっただろうか。それを思うと胸が張り裂けそうだ。
そして、そんな愛娘がまさかオレよりも先に天に召されてしまうとは…
神よ。ヴァルデンブルクに伝わるサレマレド神よ。娘はいったいなんのために生を受けたのだ。彼女は伯爵を救う為に仇と意に添わぬ結婚をして…
なのにその祖父である伯爵に。何なんだ。この世界は!? おかしい事だらけだ。オレは認めない。認めないぞ!! こんな世界。人を不幸にするだけの世界。
「こんな世界。オレは受け入れられない。ジークも殺す。伯爵もだ!! すべてを壊してやる。オレとオレの家族が味わった絶望を…」
オレはあらん限りの声で叫んだ後にかけてあった鞄を取る。そして、机の引き出しの中にあった呪符をすべて鞄に詰めて、部屋を飛び出したのであった。




