第12話 驕る少年と己を知る伯爵
風が焼け焦げた臭いをオレの所まで運んでくる。それだけで、この辺り一面が酷く燃え上がったことがわかる。その原因を作った魔術師であるハノファード伯爵の口が動いたと思ったら、気が付くとクリストファー少年の目の前に迫っていた。
「死ね! 死ね! 死んでしまえ!!」
少年が次々と魔術で握りこぶし程の氷の固まりを伯爵に向かって放つ。それを軽くいなすようにすべて避けながら間合いを詰める伯爵。
「な、なぜだ!? なんで、僕の魔術が当たらないんだ! 目の前にいるのに!!」
「うぬは正規の訓練すらまともに受けさせて貰っておらんのか…。兵たるもの常に冷静にならねばならん。相手の実力を見誤ると酷い目にあうぞ?」
そう言う伯爵は拳を少年の顔面に向けて打ち込む。それをクリストファー少年は半身をずらして、辛うじて避けた後にバックステップをして伯爵との間合いを取る。
「実力を見誤るだと? 僕が老いぼれのおまえに遅れを取るはずがないだろ! くそ、ふざけやがって、僕を馬鹿にしたことを後悔させてやる!!」
オレがクリストファーから大量の魔力が放出されたのを感じて、注視しているとなぜか急に寒くなってきた。おかしいな。体が寒さで震えている。なんで、こんな暑い日に寒気を感じるのだろうか…
「寒い。なんで、こんな昼間に寒気を感じるのだろうかと思っているだろう?」
「童が魔術を使ったからであろう? そんなことはわかっておる」
クリストファーがにやけた顔をして伯爵に話しかけたが、話しかけられた当人は顔をしかめて対応している。
「自分の足下を見てみなよ。ほら、凍っていってるよ?」
勝ち誇ったように笑みを口元に作って少年が伯爵を見る。そんなクリストファーの態度を見ていた伯爵は小馬鹿にするように、
「儂の靴を凍らせただけで、粋がるとは。所詮、童だな。この程度で勝ち誇るなんてのう…」
「爺さん、いつまで強がりを言っていられるかな? ほら、全身が凍ってきただろう?」
ハノファード伯爵の甲冑が徐々に凍っていくのがオレの目から見てもわかる。
どうやら、クリストファーはここら辺一帯に作用するような魔術を展開しているようだ。この魔術の効果は、指定された領域にいる奴を好きなだけ凍らすことができるといった所だろうか。それにしても、生きたままの人間を凍らせるとは、とんでもない魔術だ。
「自らが突然に凍るなど思わなかったか? さてと、そろそろ、全身が凍ってくるころだな」
そう言って、少年が伯爵を見て笑う。
「全身が? なんと言ったのじゃ? 凍るって言っておるのか? なら、うぬの目の前にいる儂は誰じゃろうな?」
オレが気が付くと伯爵はクリストファー少年の目の前にいた。いったい、いつ彼は移動したのだろうか。オレには伯爵の動きがまったく分からなかったが、これは彼に取って大きなチャンスになるだろう。
「動けるはずがない!? おまえは凍っていただろ?」
ハノファード伯爵は、慌てて後ずさるクリストファー少年の腕を掴む。恐怖でおののいている少年に優しく微笑みかける初老のハノファード伯爵。その素敵な笑顔が今は恐ろしい。
「ぬしが得意げに話している途中でこっそりと動いておったのじゃよ。儂は生憎と老人じゃろ? そんなに早く動きたくないのじゃよ。疲れるしの。それにこの距離までうぬと間合いを詰めれればそれで十分じゃ」
「ば、馬鹿な!?」
「馬鹿はどっちじゃろうな? 自分の魔術を過信しておったぬしと自らの体力を考慮して、冷静に対応した儂。さてと、魔術のみに頼るようなうぬにはこれで十分じゃろうな」
そう言うとハノファード伯爵は掴んでいた腕を引き寄せて、クリストファーの顔面に拳を打ち込む。殴られた少年は膝から崩れ落ちるように倒れる。彼は気絶でもしているのだろう起き上がる気配がまったくない。
オレが気絶している少年を見ていると城の方から馬に乗った人が駆けてきた。馬に乗っている人は伯爵の側までくるとその馬から降りてハノファード伯爵に話しかける。
「ハノファード様、敵兵が東門から来ました」
「もう来たのか。早すぎる。さてはすでに兵を送り込んでおったな。すぐに向かう」
部下の兵士の言葉を聞いたハノファード伯爵は険しい顔をした後に城がある方角を見る。
「ところでこの少年は如何いたしましょうか?」
「…先ほどの魔術で魔力が枯渇して、肉体が綻びはじめているようじゃな。もう、どのみち長くはないじゃろ。もう、まともに魔術も使えまい。捨て置け」
伯爵は、部下から指摘されて、先ほどまで戦闘していた少年を思い出したのだろう。彼を見てそう言う。その後、ハノファード伯爵は部下の乗ってきた馬に跨がり、走り去っていた。
しかし、先ほどの戦闘はオレの出る幕がなかったな。さてとオレもそろそろ、ここから脱出するために離れよう。そう思って、足を進めようとしたら、
「う、うぅ」
先ほどまで、伯爵と争っていた少年兵が苦しそうに呻いている。なぜか、気が付くとオレはうめき声を出した少年の方に駆け寄っていっていた。
それにしても、近くで見ると若く可愛らしい顔立ちをした少年だな。ジークの奴はオレよりも少し年が上くらいの少年を兵士にしていたのか。狂ってやがる。
しかし、哀れな奴だ。オレは彼の戦争孤児という生い立ちを聞いて同情心しかわいてこなかった。そんな彼がここで命を落とすのがあまりにも不憫で可哀想だったので、少年を担いで運んでやろうとした。
…重い。どうやら、オレでは持ち上げることすら、できそうにないようだ。オレは帝王ヴァハドゥール・ド・ヴァルデンブルクの状態のはずなのになぜだろうか…
もしかして、この魔導具は姿が変わっても、肉体の能力は変化しないのだろうか?
仮にそうだとしたら、この状況で変身している意味は特にないな。魔力を無駄に消費するだけだ。オレはそう思って、魔導具への魔力供給を切り、元の姿へと戻る。
オレが魔導具の使用をやめて、リリアーヌの姿に戻った後に少年を見ると彼は瞳を突如として、開けてオレを見てきた。そして、
「おまえは誰だ!?」
目を覚ました少年はオレにそう問いかけてきた。
さてと、どうしたものだろうか。




