第6話 ハノファード伯爵の悔恨とセリアの婚姻
蝋燭の明かりだけが照らし出す廊下はどこか不気味である。暗い廊下を歩いていると静寂が支配しており、オレと伯爵の会話がただ響くのみであった。
「そうか、お嬢ちゃんは書斎で侵入者の会話を聞いて追いかけられた結果、儂の部屋に来たというわけじゃな?」
「はい、そうです。本当にあの時は伯爵のお陰で助かりました」
「なるほどの。それと話を戻すようで悪いが密談をしていた男は確かに閣下と呼ばれておったのじゃな?」
オレは伯爵の問いに無言で頷く。そして、彼の反応を知りたくて顔色を伺う。
「…いつも通りに同盟の連中が儂を殺す為に刺客を送ってきたのだと思っておったのじゃが。違ったようじゃな。そうか、ついにブランシュタットの倅が儂の企みを嗅ぎ付けてきたか」
ブランシュタット。その名はジークの旧名で奴がこの国を滅ぼす前に名乗っていたものだ。つまり、ハノファード伯爵はこの地方の最高権力者から命を狙われているということだ。
「お嬢ちゃん、貴重な情報を提供してくれてありがとう」
そう言うと考え込むように何やら難しげな顔をして唸るハノファード伯爵。
「先ほどの情報がお役に立てるようでしたら嬉しいです。それとハノファード伯爵様に聞きたい事があるのですが質問してもよろしいでしょうか?」
「もちろんじゃよ」
伯爵は先ほどまでの険しい顔を和らげて笑顔でオレに返事をしてきた。
「なぜ、セリア様は結婚可能年齢よりも早くジーク様と婚姻関係があるのでしょうか?」
アルカディア帝国では成人と婚姻可能年齢が一緒で十八歳である。そして、旧ヴァルデンブルク王国では成人が十八歳で、結婚可能年齢は男が十八歳、女が十六歳となっていたはずである。
どちらの国の法律にしてもセリアは結婚が不可能な十四歳である。そうなると旧ヴァルデンブルク王国の例外規定を使用したことになる。
オレの言葉を聞いたセリアの祖父であるハノファード伯爵が苦虫でも噛み潰したような面になった。
「なるほどの、確かにそれは疑問に思うかもしれない。お嬢ちゃんにはいささか難し事かもしれないが、それでも聞きたいかい?」
「はい、知りたいと思っております」
オレの返事を聞いた後にこちらを見て、オレが真面目に質問をしているとわかってくれたのだろうか吶吶と話しはじめてくれた。
「帝国に生まれたお嬢ちゃんにはわからないかもしれないが、昔ここにあったヴァルデンブルク王国にはおかしな決まりがあっての。成人年齢に達しておらん子供でも、親権を持つものが同意すれば婚姻を結ぶことができたのじゃ」
なにか堪え難い苦痛を吐き出すように伯爵はそう言う。
「そう、儂はセリアを守れなんだ。ブランシュタットの倅、もといジーク公爵は儂と妻、さらに領民を人質にセリアに結婚を迫ったのじゃ。セリアが涙を堪えて、儂のもとに結婚の許可を取りに来た時は儂の胸が張り裂けそうじゃったわ」
彼の声のトーンは一段と下がり、沈痛な響きを孕んでいた。
「儂が不甲斐ないばかりに孫に迷惑をかけて、今もおめおめと生きておる。セリアは優しい子じゃ。儂は娘と息子を亡くして、もう儂と妻の血を分けた者はセリアのみじゃ」
そう言うハノファード伯爵はオレと最初に会った時よりも随分と老け込んで見えた。
「素朴な疑問なのですが、なぜ、ハノファード伯爵のようなお強い方が人質になるようなことになってしまったのでしょうか?」
「儂は元々、ヴァルデンブルク王国の公爵で、アルカディア帝国の侵攻がくるとの情報を得て、それらを海岸で待ち伏せをしておった。古くから付き合いのあった前国王アルトゥル陛下が先の帝国との大戦で亡くなられて、弔い合戦のつもりであった」
どこか、懐かしむように前国王の名前を呼ぶ伯爵。
「ところが、儂が城を留守にしている間に、ジーク率いる反乱軍によって儂の城は陥落。奴はそれだけに飽き足らずに国王ヴァハドゥール陛下を斬首。そして、儂の愛娘であったイレーヌ王妃も…」
彼は堪えきる事が出来なかったのか、悲痛な表情でそう言う。
「儂が、急いで自領軍を連れて城に戻るとジークは儂の妻を盾に降伏勧告をしてきよった。儂はもちろん、それを無視して攻勢を仕掛けるが、すでに陛下亡き後で、時勢は奴に味方をした。多くの貴族は奴に恭順の意思を示して、儂と敵対した。そう多勢に無勢じゃった」
一瞬だけ、どこか子供を思わせるような笑みを浮かべた後に苦痛に耐えるような表情に再びなる伯爵。
「そして、奴はあろう事か、儂ら夫婦と領民を人質にしてセリアとの結婚を迫ったのだ。儂は自らの手で死ぬことを敢行したかったが、孫娘に私のために生きてくださいと言われては……」
彼は、言葉が続かなかったのかしばらく無言。ハノファード伯爵に引っ張られるようにオレは歩みを進めていた。オレの小さな手は伯爵から離れないように彼のゴツゴツとした大きな手を握りしめている。
「どうやら、客間についたようじゃな。部屋の番号もここで良かったかの?」
彼が会話を再会したと思ったら、どうやら、部屋に着いたようだ。
「先ほどは無理な質問にも答えて下さってありがとうございました」
「若い者がこんな年寄りの昔話を聞いて苦しそうな顔をするでない。それにたまにはこんな散歩も悪くないものじゃよ。では、またの」
そう言って、オレの前から去ろうとする伯爵。そんな時、慌ただしく執事服を着た男がこちらに駆け寄ってきた。
「旦那様! 城にこのような手紙を携えた使者がやってきました」
「何事だ? 慌ただしい奴め」
ハノファード伯爵が手紙を乱暴に執事から受け取ると彼の顔が驚愕に染まった。
「ば、馬鹿な!? ヴァルデンブルク解放戦線のメンバーを即刻にブランシュタットの倅に引き渡せだと! すでに奴は儂と解放戦線が裏で繋がっていることはわかっていると申しておる。そうでなければ全軍を持って、儂の城に攻め込んでくるじゃと!?」
そう言ったハノファード伯爵の大きな声がアルカザル城中に響き渡った。




