第5話 伯爵と執事
部屋に焼け焦げた匂いが充満している。壁や床の所々が黒く炭化して、もはや部屋として使用することは不可能だろう。
そんな状況を引き起こした高位の魔術師であるハノファード伯爵がオレを問いつめて来た。おまえも侵入者なのかと…
オレがその鋭い眼光に射竦められて、何も話し返せずにいると。
「セリア様のご友人であるリリア様でございます」
突如として、部屋の入り口の方から声がしてきた。オレは慌てて、扉の方を振り向く。しかし、そこには誰もいなかった。おかしい、声は確かにあそこから聞こえたはずだ。
「ぬお! いつここにきた!?」
急にハノファード伯爵が叫んだと思ったら、その横に執事であるベネディクトが控えていた。
「それよりも、旦那様、また、部屋を壊したのですか?」
「こ、今回は不可抗力だ。ほれ、そこで消し炭になっておる奴が儂を殺そうとしてきたのだ」
そう言って、ハノファード伯爵は燃えて炭になった元侵入者の亡骸を指差す。
「屋内で火炎系の魔術を使わなければここまで酷い惨状にはなりません。旦那様はすぐに部屋をこのような有様にしてしまうから困ったものです」
ベネディクトは部屋を見渡すように顔を動かした後にそう言ってため息をついた。
「儂は悪くない。うん、悪くないぞ? なぁ、お嬢ちゃん?」
オレに同意を求められても困る。そもそも、自らの部屋で火炎系の魔術を使う人の神経をオレは疑うね。自分の部屋を燃やして、何がしたいのだろうか。この執事の言う通りで、他のタイプの魔術を使用すれば良かったのだ。
「そんな怖いお顔で小さなお嬢さんに詰め寄るのは如何なものでしょうか?」
オレの呆れによる無言をベネディクトは恐怖によるものと解釈したようだ。
「儂は怖くないぞ!?」
どうやら、執事のその発言はハノファード伯爵を痛く傷をつけたらしい。伯爵は額に手をやった後に大げさに嘆いている。
「そんなことはどうでいいですが、毎回、毎回、侵入者が入る度に部屋を燃やされては、たまったものではありません」
「そんなことじゃと? どうでも良くないことじゃからな!? それにこの部屋の惨状も侵入者が悪いのであって儂のせいではないであろう?」
「…だめですね。どうやら、旦那様は全くと言っていいほどに反省していないようだ。そろそろ奥様に泣きつくことに致します。何度も言っても、私の話に聞く耳を持って頂けないようですからね」
「なに!? それはだけはやめてくれ」
ベネディクトの奥様という単語に反応したハノファード伯爵は、焦っているのか額から凄まじい汗が滴り落ちていく。どうやら、相変わらず伯爵は恐妻家のようだ。
でも、なぜかハノファード伯爵夫妻は仲睦まじいんだよな。前世では、オレもイレーヌとこんな幸せな夫婦になりたいと思ったものだ。
「そうだ! それよりも、この女の子のことを教えてくれないか? セリアの友人なのだろう?」
ハノファード伯爵は、話題を逸らすためだろうかオレを指差してそう言ってきた。
「リリア様が怯えておりますよ。旦那様」
急に話題の中心にもって、いかれたオレは戸惑いを隠せず表情に出ていたのだろう。オレの顔を見たハノファード伯爵の執事ベネディクトにそう言われる。
「おお、怯えさせて悪かったのう。ところでお嬢ちゃんはどこから来たのかの?」
「先週、フロイデンベルク地方から参りました。フロイデンベルク公爵の娘でリリアーヌ・フロイデンベルクと申します。ハノファード伯爵様、以後お見知り置きください」
オレはハノファード伯爵に自己紹介をした後に微笑む。
「フロイデンベルクと申すとあの帝国の狂人バンハウト・フォン・ヴェルトハイム・フロイデンベルク公爵の娘だというのか!? あの公爵の娘っ子か。どうやら、本当に儂を暗殺しに来た奴の仲間では無さそうじゃな」
オレの出自を聞いたハノファード伯爵は、一瞬だけ顔を驚愕の色に染めたが、どこか納得いくことがあったらしく頷いた後に執事のベネディクトを見る。
「まだ、そこをお疑いでしたか。ですが、ご安心ください。彼女の身元は保証できております」
「いや、そこで消し炭になっておる奴は執事に扮しておったし、暗殺には子供をよく使うからの。偽物の可能性を常に考慮すべきであろう?」
そう言って、ハノファード伯爵は執事ベネディクトに問いかける。執事も伯爵の意見に賛同をしているのか肯定の返事をしながら頷く。
「さてと、このままここにいても、詮無きことじゃ。儂は寝室で寛ぐことにする。おまえはこの娘を案内してやってくれないか?」
「わかりました」
執事のベネディクトはハノファード伯爵の話を聞き終えた後に返事をした。どうやら、この執事がオレを部屋まで案内してくれるようだ。
だが、オレは出来ればハノファード伯爵ともっと会話をしたい。ヴァルデンブルク王国が滅んだ後にこの国や娘のセリアがどうなったのかを聞きたい。そう思って、オレは彼の腕の裾を引っ張り、話しかけようと試みる。
「儂の方が良いと? 可愛いのう。よしよし、儂が案内をしてやろう」
オレがハノファード伯爵の袖を引っ張ったことが、伯爵は案内を頼むために取った行動だと勘違いしたようだ。しかし、それは誤った理解であったが、案内を彼がしてくれるならば、こちらとしては好都合だ。
「旦那様の手を煩わせなくても…」
「見ろ、ベネディクト。儂はこんな小さな子供にも愛されておるわ。怖がられておらんぞ!!」
主であるハノファード伯爵は大人げないことに執事のベネディクトに先ほど怖い顔と言われたことを相当に根に持っていたようで、オレの行動を跳び上がらんばかりに喜んでいる。
「さすが、旦那様です」
ベネディクトはさすがに長年仕えているだけあって、ハノファード伯爵の扱い方を心得ているようだ。彼の行いを苦笑もせずに肯定する。
「そうだろう。そうだろう。では、この部屋と侵入者の件は頼んだぞ。儂はこの子を案内しに行ってくるぞ」
「わかりました。行ってらっしゃいませ」
そう言って、深々と頭を下げる執事ベネディクト。まさに執事の鏡のような人だ。オレがそう思っていたら…
「相変わらず、調子の良い方だ」
この執事もかなりストレスが溜まっているのだろう。オレの耳まで、そんな小さな呟きが聞こえてきたのであった。




