第4話 魔導具と魔法
壊れた扉から一人の男が歩いて入ってきた。男の顔は血だらけに染まり、黒い執事服が所々で焦げている。
オレが怯えていた化け物はどうやら、人間だったようだ。いや、奴は本当に人間なのだろうか? 普通の人間ならば死んでいてもおかしくない程の怪我をしているのになぜか奴は平気そうだ。
「さてと、鬼ごっこは終わりだ。ここで死んでもらおうか!!」
人間であろうがなかろうが、奴はオレの脅威であることに代わりはない。この状況からどうすれば脱することできるのだろう。オレは必死で考える。しかし、考えても、考えても良い案がまったく浮かばない。
万事休すとオレが思っていたその時、辺りに怒声が響き渡る。
「ここで何をしておるのじゃ!! 儂の眠りを妨げるとは…」
この声はまさか…
オレが声に反応して後ろを振り返ると、そこには白髪の髪を短く刈り上げた頭に白く長い奇麗な髭と逞しい筋肉がついた大柄な男がこちらを睨みつけている。
間違いない。ハノファード公爵、もとい伯爵だ。彼はオレの見ている前で机を叩き、椅子から立ち上がる。
「ハノファード伯爵様! 申し訳ございません。侵入者がいたものでして、そいつを片付けようとこのようなことをしてしまいました」
執事服を着ている男が焦った表情でハノファード伯爵にそう答えた。
「儂の部屋に無断で入るだけで飽き足らずに扉を壊すとはのう! うぬは命が要らぬとみえる」
「伯爵様!? 私の話を聞いておりますでしょうか?」
伯爵は怒りが収まらなかったのか、自らの部屋の扉を壊した執事服を着た男に罵声を浴びせる。
「なぜ、うぬは儂をハノファード伯爵と呼ぶのだ? うぬは誰だ!」
立っていたハノファード伯爵は執務用の机を何度も叩く。
「先月から新しく勤めさせて頂いています。エルマーでございます」
執事服を着た男はその問いにまったく動揺した素振りも見せずに姿勢をただしてそう述べる。
「儂はこの城で働く使用人の名前をすべて覚えておる。それと儂は伯爵と呼ばれるのが大っ嫌いで、使用人達には誰一人としてそう呼ばせてはおらん」
「そ、そんな!? 馬鹿な!! 私は確かにここの使用人がそう言っていたのを聞いたぞ。…それに私はここの使用人に登録されているはずだ!」
「うぬは愚か者じゃな。自らしっぽを出しているぞ? しかし、それでも、うぬが儂の使用人であると言い張るならば、腹心であるベネディクトを呼んで確認してやるわい!」
そう言うハノファード伯爵は口元をあげてニヤリと笑っている。図体に似合わず相変わらずの策士っぷりだ。
「おい、ベネディクト! 儂が呼んでおるぞ。すぐに駆けつけよ!!」
ハノファード伯爵は凄まじい程に声を張り上げて、筆頭執事の名前を叫ぶ。
「さてと、すぐに奴はここに駆けつけてくるだろう。その時にうぬの扱いを正式に決めてやろう」
「くっ、爺が調子にのるな!!」
彼は追いつめられたと判断をしたのだろう。エルマーと名乗った男はそう言うと詠唱もせずに手から火炎の魔術を放つ。オレは自らの目から入ってきた映像が信じれない。奴は魔導具を使用しないで魔術を行使したのだ。これは現代魔術ではあり得ないことだ。
奴が魔法使いだとでもいうのだろうか。現在の魔術は、何らかの道具に魔導回路を組み込み、適切な呪文と適量の魔力を認証させることで魔法が発動する仕組みになっている。
「死にましたね。これで目的は達成致しました」
先ほどまで、ハノファード伯爵がいた場所は火炎の影響だろうか大量の白い煙を発生させて辺りがよく見えない。
エルマーは笑みを作り、笑っている。彼はハノファード伯爵がすでに死んだと確信しているようだ。
オレはハノファード伯爵のことを良く知っていた。だから、この件に関しては、彼の心配を一切していない。
何故ならば、彼は旧ヴァルデンブルク王国においては、高位の魔術師の一人だったからだ。だから、彼がこの程度の魔術で死ぬとは思えない。
白い煙が徐々に晴れていく。するとそこには一人の男が立っていた。
「珍しいこともあったものよ。詠唱もなしに魔術を放つ奴がいるとはの。だが、この程度の威力の魔術で儂を殺そうとするとは甘い! 甘過ぎて、片腹痛いわ!!」
薄暗闇で余りわからなかったが、先ほどの煙に見えたものは大部分が水蒸気だったのかもしれない。ハノファード伯爵が火炎の魔術に合わせて、水の魔術を発動し、消火した結果が先ほどの状態だったのだろう。
「ば、馬鹿な!?」
オレから見てもエルマーは、かなり動揺しているように感じる。奴の目は驚愕に染まったかのごとく大きく開き、手が震えている。
「魔術とはこういうことを言うのじゃよ」
そう言うとハノファード伯爵は詠唱をはじめる。彼の周りに凄まじ程にほとばしる魔力が渦を巻いて集まり出した。
「我は咎人に永遠の苦しみを与える者なり。顕現せよ。地獄の業火ごうかよ。すべてを燃やしたまえ!」
ハノファード伯爵から放たれた炎はまるで生きてるかのごとく躍動する。その燃え盛る火は五匹の大蛇のようにエルマーに襲いかかる。
「な、なんという魔術だ」
そう言うエルマーの体は所々が炭化していた。これで喋れるのは大したものだが、どう考えても、もう助かりはしないだろう。
「まだ、生きておったのか? ふむ、体に何か埋め込まれておるのう」
エルマーが着ていた執事服はかなりの部分が燃え尽きて、焦げた体が露出している。人間が生きたまま焼けるとこんな姿になるのかと内心で驚いていたが彼をよく見ると体に何か引っ付いている。
オレは目を凝らして、彼に引っ付いている物を観察する。どうも、よくわからないが彼に埋め込まれた物は複数あり、それぞれが何かの宝石のように見える。
「わたしは人を超えたのだ。この身に魔導具を取り込み。その能力を己の物にしたのだ! 見ろ。この体を徐々に再生してきているだろう!!」
そう言う彼の体は徐々に炭化していた部位が人肌に戻っていく。凄まじいまでの再生力だ。
「愚かなことだ。そんなことをすれば、うぬはやがて、体に埋め込まれた魔導具と自らが持つ魔力が勝手に結びつき、やがて、魔法の力が暴走して肉体が崩壊するぞ?」
「この命はすでにあのお方に捧げている。ここで貴様を殺してあの方の望みを成就させてみせる」
「あのお方じゃと? そいつのためにそこまで、する必要があるのかのう。…うぬは哀れじゃな。せめてもの情けじゃ。苦しまないように逝かせてやるわ」
「我は咎人に永遠の苦しみを与える者なり。顕現せよ。地獄の業火ごうかよ。すべてを燃やしたまえ!」
先ほどは手加減でもしていたのだろうか。ハノファード伯爵から放たれた炎は先ほどよりも大きくエルマーの全身を簡単に飲み込んでいった。
「ば、馬鹿な!?」
エルマーはそう言いながら崩れ去った。
「馬鹿の一つ覚えのように同じ台詞ばかり吐くの。台詞の少なさがまさに雑魚じゃの。その雑魚が儂に魔道で勝てると思うな」
エルマーが消えていく光景を見ながらハノファード伯爵はそう言った。彼が消し炭になり、しばらくしてハノファード伯爵は辺りに魔術で水を撒き消火活動を行う。そんなことをするのだったら最初から火の魔術を使わなければ良いのにとオレは思わざる得なかった。
そして、消火活動がおおよそ終わった頃、彼はオレの方を振り向き微笑む。
「おお、怯えさせて悪かったのう。ところでお嬢ちゃんは誰かな?」
そう言って彼は不敵に笑うのだった。まるで、敵だったら先ほどの奴と同じ末路になるぞと言わんばかりに。




