第2話 書斎での密談
緑の森が生い茂る中に奇麗な庭園が渡す限り続いている。その緑地を道に沿って行くとフリードリヒ・ハノファード伯爵が居を構えるアルカザル城がある。
前世で、フリードリヒ・ハノファード伯爵はオレの義理父だった男だ。つまり、妻イレーヌの父親にして、娘セリアの祖父にあたる人物である。
セリアは夫であるジークと折り合いが悪いのか、お茶会の場所を祖父の庭園で行う旨を手紙で連絡してきていた。
「リリア様、見てください。立派なお城ですね。こんな、すばらしい所に住んでいらっしゃるハノファード伯爵とはいったいどのような方なのでしょうか?」
「マリーは知らないかもしれないけど、フリードリヒ・ハノファード伯爵は旧ヴァルデンブルク王国時代に公爵の位を賜っていて、私たち帝国の並の伯爵と同列に見ることはできないわ」
今、オレはセリアの誘いを受けてハノファード伯爵が住まう城に来ている。オレとマリーは、ハノファード伯爵家の使用人に案内されて城内に入る。
中に入るとオレ達をハノファード伯爵の使用人達が列をなして出迎えてきた。彼らが整列する中をオレ達が前に進んでいくと使用人の列から黒いタキシードを着た初老の男が出てきて、こちらまで歩み寄ってきた。
「ようこそ、ハノファード伯爵家のアルカザル城へ。私めは当家の筆頭執事であります、ベラフォード・カイラムであります」
そう言った後に頭を下げて挨拶をしてくる老執事ベラフォード。
「リリアーヌ・フロイデンベルク様ですね。セリア様は、ヴァルデンブルク公爵との用事があり、まだ城に戻ってきておりません。部屋を用意してあります。今しばらく、お部屋の方で時間がくるまで御寛ぎください」
話を聞くと、どうやらセリアは夫であるジークと一緒に住んでいないらしい。普段から唯一の後継人であったハノファード伯爵の家に厄介になっているようだ。
「セドリック、仕事だ。前へ出なさい」
老執事がそう言うと前にブラウンヘアーの高い身長をした男が前に進み出てきた。
「粗相のないようにするんだぞ? セドリック」
セドリックと呼ばれた青年は口元に笑みを作って、老執事の問いに答える。
「わかってます。わかってます」
ベラフォードからあいつに任せてよかったのだろうかといったオーラが感じどれる。そんなに心配ならば、そんな奴に任せなければ良いのに。
「…心配だな」
セドリックの返事を聞いた老執事は小さくそう呟いたのをオレは聞き逃さなかった。
「…コホン、リリアーヌ様、部屋へはこのセドリックが案内を致します。」
老執事はセドリックを見ていたが、咳をした後にオレに向き直って、そう言う。
「さてと、ではさっそく、部屋へ案内致します。私についてきてください」
そう言うセドリックがオレたちを誘導するために前を歩いていく。オレとマリーは互いに顔を見合わせた後に彼についていく。玄関から続く長い廊下をしばらく歩いていると、セドリックが急に立ち止まり、振り返ってきた。どうしたのだろうか?
「それにしても、美しいお嬢様方だ。私の名前はセドリック・カイラムです。先ほど年寄りの執事と話してましたよね? そのベラフォードの甥にあたります」
そう言って、セドリックが勝手に口から生まれたのかと言わんばかりに次から次へと矢継ぎ早しに興味のない話をまくし立ててきた。
オレはセドリックの話に興味が持てなかったので終始無言にならざる得なかった。
主人であるオレが完全に無視を決め込んだせいだろうか。奴は会話相手をマリーに決め込んだようだ。奴は彼女にひたすら話しかける。
そして、急に彼はマリーの肩を掴んできた。それをマリーは無言のまま笑顔で振り払う。
「つれないな」
そう言って、落ち込んだような顔になったと思ったら、奴は急に元気な笑顔になってマリーにまた話しかけてきた。
「おっと、叔父からお名前を聞いたのですが、生憎と物覚えが悪いものでして、もう一度、お名前を聞いてもよろしいですかね? 今後の付き合いを円滑にする上でも重要だとおもうのですか?」
今後の付き合いを強調してセドリックは笑みを作りながらそう言う。どうやら、彼はマリーにご執心のようだ。だが、その聞き方はどうだろうか。人の名前を忘れておいて、おまえのために聞いてやるぞと言わんばかりだな。
「あの、セドリックさんの仕事はリリアーヌ様を部屋まで案内することですよね? 案内をして頂けないでしょうか?」
どうやら、マリーはセドリックの話した内容を黙殺しているようだ。マリーはセドリックにおまえ自信の仕事をきっちりこなせと言いたいのだろう。
「え? 名前を教えてくれないのですか?」
セドリックは自分が笑いながら尋ねればどの女性も喜んで、答えてくれると思っていたのだろうか奴は驚きの表情でそう言う。
おまえは道案内だけが今回の仕事だろう。だめだ。いろんな意味でこいつは役に立ちそうにない。なぜ、こんな奴をハノファード家は雇用しているのだ。ああ、あの筆頭執事の甥だからか…
その後、マリーがセドリックを叱り飛ばして、彼にきちんと案内させることができた。しばらく歩いているとセドリックが急に立ち止まり、部屋の扉を開ける。どうやら、ようやく客間に着いたようだ。
「こちらの部屋です。どうぞ、お入りください」
セドリックに言われてオレたちは部屋に入る。流石に歴史あるハノファード伯爵家だ。客間とはいえ、中々の調度品を揃えている。オレは奥の化粧台の前にある椅子に腰をかけて、扉の前で会話をしているマリーとセドリックを観察することにした。
「あの、マリーさん? あなたの主人は先ほどからご立腹のようですが、大変気難しい方なのですか?」
終始無言だったオレの行動を怒りによるものだとセドリックは勘違いしていたようだ。こちらを指差しながら、恐る恐るマリーにオレの事を尋ねている。
「リリアーヌ様はお怒りになっておりませんわ。セドリックさんはなぜそう思われたのでしょうか? それとリリア様は気さくでたいへん優しい方です」
マリーはオレを見た後にセドリックにそう言って微笑む。
「そうですか。良かった。私は彼女の気に障ることでもしたのかと思って不安だったのですよ。やはり、あの年代の子供は扱いが難しいですね。マリーさん、よければ、私もこの部屋に残って彼女のお世話を手伝いますよ」
「リリアーヌ様には私がついております。ですから、あなたはご自分のお仕事にお戻りください」
「いや、いや、そう言わないでください。小さい子供は暇になるとなにしでかすかわかったものではありません。だから、私も一緒にいますよ」
「結構です。速やかに自らのお仕事にお戻りください。セドリック・カイラムさん」
マリーがそう断りを入れるがセドリックはしつこくなおも食い下がる。
「あなたは私がリリアーヌ様のお世話を碌にこなせないと思っているのですね? つまり、私が無能だと?」
マリーはそう言って微笑む。そして、にこやかな顔の彼女は無言のまま、セドリックを押して部屋から追い出した。セドリックが外に出たのを確認した後に彼女はすぐに部屋の扉を閉めて鍵をかける。
「え、ちょっと、ちょっと」
部屋から出されたセドリックはなにを思ったのかノックしてくる。
「マリーさん、開けてください。もっと、おしゃべりしましょうよ」
なるほど、セドリックはマリーともっと会話する機会が欲しかったのか。そうならば、もっとスマートに誘わないと彼女に嫌われるだけだぞ。
彼のやり方はマリーの主人であるオレを侮辱するだけでは飽き足らずに彼女の家事使用人としてのプライドをひどく傷つけている。あんな言い方では相手の反感を買うだけだとわからないのだろうか。
「君のような美しい人と出会えたことは奇跡だ。今日は素晴らしい日です。そんな子供は放っておいて、一緒にどこかにいきましょう!!」
そんな言葉が扉越しに聞こえてきた。オレとマリーは奴を無視する事に決め込んでいたが、セドリックは中々しぶといようだ。扉を叩く音がやまない。
するとマリーが唐突に扉の前に歩いていく。
「リリア様はこちらで、しばらくお待ちください。うっとうしいあの執事を成敗してきます。そう、彼の言葉を借りると、どっかに行かせてやりますわ!」
マリーが余程腹に据えかねたらしい。眉尻がキリリと釣り上がっている。あとでセリアにこの執事の件を報告しておこう。
「わかりました。いってらっしゃい」
マリーはそう意気込んで、部屋を出て行った。先ほど、聞いた話を思い出すとセリアが帰ってくるまで、かなりの時間がある。退屈だ。どうしたものだろうか。
それにしてもこの屋敷はすごく懐かしい。本当に童心に還ってしまいそうだ。ハノファード公爵、もとい伯爵にはガキの頃からお世話になっている。当時は、彼の誘いで良く頻繁にこの城に来ていたものだ。
ガキの頃は勝って知ったる他人の家とは良く言ったもので、オレはこの城を良く探検と称して、イレーヌらと遊んでいたものだ。懐かしいな。セリアが来るまで、時間はまだあるか。よし、久しぶりに城を彷徨こうかな。
そう、決心したオレは部屋の扉を開けて廊下を見渡す。どうやら、すでにマリーとセドリックはどこかに行ってしまったようだ。二人の姿はどこにも見えない。
最初は久しぶりにハノファード伯爵の書斎に行ってみよう。あそこにはイレーヌとの思い出のものがたくさんあるんだ。
オレが思い出の書斎を目指して廊下を歩いていくと男の声がどこからともなく聞こえてきた。
どうやら、書斎に誰かいるようだ。勝手に入ると流石に怒られるだろうから、次の機会にするとしよう。そう決断したオレは書斎から離れるために来た道を引き返そうとしたら…
「なに!? 奴らとフリードリヒ・ハノファード伯爵が繋がっていただと!?それはまことか?」
「閣下、声を下げてください。誰かに聞かれてしまいます」
諌めた男の話からこれらの会話は聞かれては不味い話のようだ。いったいどんな話なのだろうか。オレは話の内容が気になり、開いてない扉に耳を当てる。
「そうです。奴らとフリードリヒ・ハノファード伯爵は完全に裏で繋がっております。閣下、奴は危険です」
「そうだな。その通りだ。よし、フリードリヒ・ハノファードを排除しろ。手段は問わない。この意味がわかっているな?」
これは、とんでもない内容だ。フリードリヒ・ハノファード伯爵を殺す命令を誰かが出している。いったい誰が、出しているのだろうか。オレはそれが気になり、扉をそっと開けて中を確認する。
「わかりました。彼を速やかに排除いたします」
書斎の中には軍服を着込んだ男と黒いスーツを着た執事のような男が見える。両方ともオレが知らない顔だ。
これはセリアに話さないといけない。オレは彼らに気が付かれないように扉をゆっくりと閉める。
すぐにでも書斎から離れないと危険だ。そう思い、オレは歩を進めようとした。
だが、オレは慌てていたせいだろうか間が悪い事に盛大に転んでしまった。
「誰だ!?」
オレが転んだ音を聞きつけて書斎にいる男がこちらに気がついたようだ。オレは焦る気持ちを抑えて急いで起き上がる。どんどんと男の足音が近づいてくる。




