第9話 ナロート型宇宙船
ニューオーリンズ近郊に新設されたDOXAの宇宙船建造所は狂騒の町とかしていた。修理艦、改装艦、新造艦の作業ラインこそ隔てられていたものの、技術者や工員は人手不足を補うために、分け隔てなく各エリアを行きかっていた。
「しかしこいつは美しい船だな。俺は宇宙を捨てたつもりだったが、眺めているだけで乗ってみたい気持ちになるよ」
カロンはすでに塗装作業に入っている新造艦<ナロート・パビエーダ>号の全体が見渡せる場所に立って、感嘆の息をのんでいた。
美しい曲線で描きだされた船体は、優美な姿態を見せていた。純白に染め上げられた船首はハンマーヘッドシャーク――シュモクザメのような形状をしていた。張り出した部分の前後からはノズルが見えていた。
鮫でいう口の部分には、反重力フィールド展開用の空洞がチラリと見えていた。船尾の張り出しは尾ビレのように上下に展開され、そこにもノズルが取り付けられていた。幅のある張り出し部分の後端には反重力推進兼フィールド発生器が装備されていた。上面には船尾後方に突出たセンサー兼アンテナが堂々とそそり立ち、背ビレを思わせる部分にはそれよりも高いストラクチャーが聳えたっていた。そのストラクチャーの上端には艦橋が設置されていた。船体の下部には船首から船尾に向かって四枚のヒレが付きだし、その部分にはやはり多数のノズルが見え隠れしていた。
純白のシュモクザメという愛称をもつ船。それが<ナロート・パビエーダ>号だった。
光沢のある塗料が吹きかけられ、ぬめりとした艶を放っている船体を指差しながら、工場長の隼人が説明をはじめた。
「超光速航行技術のおかげで、これまでみたいに大出力な噴射ノズルの必要性がなくなったんです。ですから、船体各所に姿勢制御と推進と逆噴射の機能を分散した。そういうことです」
「ハヤト君、説明はいらないよ。こいつの設計者は俺なんだ」
「へ?……では、あなたは開発主任のカロンさんですか?」
「そう、そのカロンだ……」
「どうりで、納得しました。この船を見て美しい。そういって溜息をつく人は少ないんです……」
ハヤトはたどたどしい発音の英語でそういいながら、満面の笑みを浮かべていた。
「新しいもの。そういうものは、えてして初めは不気味に見えるもんだよな」
二人の男が会話を交わしている間にも塗装の作業は坦々と進められていた。各所にロボットアームが設置されたオートペインタークレーンがその場でマスキングをしながら赤い塗料を船体後部に吹きかけはじめた。
「大胆だな。あの色は……」
「はあ……」
「そういえばハヤト君、同型艦のほうの進捗状況はどうなんだい?」
「ああ、いけますよ。<トリウームフ>と<パツィフィースト>ですね。一週間遅れといったところです」
「うんそれだ。その舌を噛みそうな、けったいな名前のだ……」
ハヤトはカロンの声や振る舞いに垣間見える重厚感に圧倒されながらも、遠慮のない素振りを見せた。
「たしかにけったいです。しかし戦争なんてことをしだすと、人間てのはとたんにそういう名前を好むようになるものなんです」
「そういうものかね……」
「DOXAの船は女神の名やら神様、そして人間の希望を込めた名前がかつては多かったんです。平和ボケといえば平和ボケでしょう。ですが今は違います。名前に意思を込めはじめた。そういうことかと思います」
「じゃー、パビエーダ、それから、何だっけ? 姉妹艦の名前。その意味はなんなんだい?」
「主任はそんなこともご存じではないんですか? ……まあいいでしょう。お教えします」
その場で足を止めた二人は、会話を交わしながら塗装作業にもしっかりと眼を向けていた。
「パビエーダ、こいつは勝利って意味です。で……トリウームフ、こいつは凱歌。そしてパツィフィーストは平和主義者です」
「あははははは……確かに意思があるね。けど平和主義者ってのはどうかと思うよ……。少なくとも俺はそういうことを口にする奴でろくなやつに出会ったことがないんだ……」
「口だけとか、名目だけじゃ駄目……そういうことですか?」
「そうだね。本当の平和主義者ってのは、仰々しくそんなことを口にしないだろう……違うかい?」
「まあ……そうともいえますが、名前ですよ、たかが……」
赤い塗料はどんどんと船尾を覆い、塗装作業は船体中央部へとさしかかっていた。
「しかしねー、これはどうなんだ……全面赤にするつもりかい?」
「いいえ違います。これを見てください」
ハヤトは手にしていたデジタルパッドを起動すると三隻のナロート型宇宙船が並んだ画面をひらいた。
そこに映し出されていたのは塗装図だった。船体を真横からみたイラストは、船尾から大きくはみだした円の一部が描かれていることが見て取れた。
「なるほどね。こいつは人間向きのデザインだね……想像力を働かせないと何が描かれているかがわからん……他の二隻は青と黄色。ということは三姉妹を色の三原色に塗り分けるってわけか」
「そうです。そのとおりです。お気に召しませんか?」
カロンは突然それまで赤い塗料を吹き付けていたロボットが、そのフチに銀色の弧を描きはじめたことに目を見はった。
「いいや、気に入ったよ。優れたデザインだ」
「主任。まだお解りにならないようですね。白地に赤い丸、そして銀のフチ。それが何だかわかりませんか?」
「…………」
「日の丸です。私の生まれた国、ニッポンの国旗のデザインでもあります」
「なるほどね! なぜ君の眼がそうも爛々と輝いていたのかが、やっとわかったよ」
二人は工場の広大な空間に、大きく笑い声を響き渡らせた。
「かつて俺達の国は遠い遠い昔に戦争をした。互いに殺しあった……しかし今の俺は君と友達になれる。そう思える。そう考えると、いま起こっている戦争もいつかは終わる。そう強く思えてきたね」
カロンはしみじみとした気持ちでハヤトの顔を見つめてそういった。
「さて……それではこの船の乗員に会いにゆくので、私はこれで失礼するよ」
「待ってください、カロンさん。それなら少し手間を省かせてください」
「ん?……」
「その乗員の一人はここにいます。私ですハヤトです。僭越ながら船長の重責を申し付けられました」
ハヤトはそういって軍人顔負けの敬礼をしてみせた。
「ニッポン人か……。きみらは変わらないね。昔見た映画そのものだ……忠義心に厚い。たしかそういうイデオロギーの持ち主だったね」
「は! その通りです。死なばもろともです!」
「おいおい、死んでもらっては困るんだよ……カミカゼ精神は気持ちだけで充分だ……」
二人は大声で笑いあった。
「しかし、やれるだけはやって見せます!」
「心強いよ、ハヤト君。では、またいつか会おう!」
カロンはそういうと、略式に敬礼を返して、足取りも軽く歩きだした。
――設計者としては微妙な気持ちだな……けったいな名前とその意味、そしてこの塗装とあの男、ハヤトだ……待てよ?
何かに気づいたカロンは振り返ってハヤトに向かって叫んだ。
「おーい、ハヤト君! 命名者が誰かはわかるかねー?」
「は……バベルの塔の住人です。塗装指示も本部からのものです」
「そうか、わかった……ありがとう……」
――ユピだな。間違いない。こんなけったいな名前と塗装の指示を出したのは……。彼女らしいといえば彼女らしいな……。
カロンは気づいていなかった。ナロートという名の意味に。民衆――それこそが主役である。ユピテールの瞳は曇ることなくその一点を見つめていたのだった。民衆・勝利。民衆・凱歌。そして、民衆・平和主義者と名付けられた超光速宇宙船は、それから一週間を過ぎたころ、三姉妹揃ってロールアウトしたのだった。