第80話 宇宙の新星人たち――パンドラの箱、地球へ
戦争は終わった。講和も休戦の条約も結ばれぬまま戦争は終わった。それはあまりにも唐突だった。多くのテランたちは、目が覚めてみると知らない場所にいるような感覚に襲われた。歓喜も歓声もなかった。ただあったのは不可思議な疑心暗鬼だけだった。
「本当に平和になったのかい? 明日にも出兵だなんて勘弁してくれよ」
帰還した兵士たちは、抱えきれない荷物を置く場所を見つけられない気持ちのまま故郷を目指したのだった。
エロスが起こした時空振は海王星から土星にまで伝わっていた。過去においてイブラヒームを殺害したことにより、また、アメミットの完成を阻止したことにより、現在において、高次元砲は完成されなかったことになったのだ。それが腐食の原因であったが、それを知るものは誰もいなかったのだった。当のエロスすらそれを知らなかったのだから……。
長いあいだ不幸な身の上を呪ってきた異能人種であるエロスが頬に受けた傷は、早まっていた時間経過でたちまちにして完治してしまった。
エロスの乗ったクルーザーが<アンドレイア・フィーリア>号に接触したとき、彼女はマレイカとアイシャに迎えられ、現在に帰還したのだった。
「エロス様! ご無事で何よりです!」
「…………」
アイシャはまだ何をどうすればいいのか判断がついていない様子だったが、それでも歓喜するマレイカに優しい眼差しを向けていた。
エロスにとって二人は自分を映す鏡だったのだ。少なからず感情過多なマレイカ。静穏で慎ましすぎるアイシャ。エロスはその両面を持っていた。エロスの感情過多な部分に棲みついた怨念はすっかり消え去っていた。あるのはマレイカに似た子供じみた純粋さだけだった。
「にしてもマレイカ。この体裁はなんだい? なんで離陸用のブースターを捨てなかった? みっともないったりゃありゃーしない」
「すみません……そんなこと思いつきもしませんでした」
「あたくしはすっかり、こういうものだと思っていましたが……」
――どっちもしょーもない娘だね。見たものを疑いもしない。先が思いやられるさねー。
と、胸の中でボヤいたあと、エロスは清々しい声を天井に向けてはなった。
「メール、フィメール、ただいま! どうでもいいんだけど、ブースターを投棄してくれないかい。みっともなくてしょーがない」
「はいはい、今すぐ」
――そういえば、この両親もどこか抜けているんだよね。おっとりしているというかね。まあ仕方ない。あたしを育てた両親だからね。
けっして美しいといえない汚れた白い船体からオレンジ色に塗られたブースターが切り離されていった。とたんに、<フィーリア>号が本来もつ流線型の美しい船体が星々の光を嬉しそうに照り返しはじめた。
「さて、帰ってきたとはいえ、やるべきことは沢山あるよ。なにしろこの船はオンボロだからねー」
「エロス、なんということを言うのですか! あなたって子は……」
「母さん、怒りなさんな。悪気はないのさ」
それから三ヵ月間、<フィーリア>号は各部を修理しつつ、通常航行で地球を目指して進み続けた。
「しかし、すっきりせんな。まあ戦火がおさまったことは歓迎すべきだがね」
ムーシコフにしてもミマースにしても心中は同じであった。しかし、帰るべき場所のあるものは、帰るべき場所に戻ることしかできなかったのだ。
ムーシコフはヘプタゴンへ、ミマースはガラティアのもとに戻り、やがて夫妻はセドナを連れて、ラスベガスの自宅へと帰っていった。
すっかりタラッサ邸の住人になっていたダフニスとクロエは、近所に家を購入してゼンタとタラッサを見守る道を選んだ。
ニクス夫妻はバベル勤務を希望して、ひとり奮戦してきたユピテールの兄、姉として生きる道を選んだのだった。
お転婆ペアのグリークは嫌がるリアレスを連れて、両親の元に戻った。
「もう戦争は懲り懲りよ。あたしは家庭を持ちたいの。父さんと母さんが作ったみたいなね」
「似合わないんだよ……どちらにしてもあんたが結婚したら子だくさんだろうがね」
「なんですって! リアレス、あなたは口が過ぎるのよ」
「どっちがだい……」
相変わらずな二人であったが、ハウもエリスも喜んで二人を迎え入れたのだった。
DOXAはユピテールの指揮で組織改革に取り組んでいた。科学を捨て、医療の組織を目指しはじめたのだ。
ようやくバベルの監獄から解放されたトロイヤは、海が見えるオーランドにある両親の家で療養することになった。もちろん、ユピテールが見舞いという名のデートを欠かすことはなかった。二人が一緒にいる場所にはいつも月桂樹の香りがふんわりと漂っていた。
砂浜でカニを追いかけるトロイヤ、それを見守るユピテール。グリークやエリスの目には不思議な光景に映ったが、トロイヤの心は満たされていた。
彼が記憶を取り戻す可能性は皆無に等しかったが、ユピテールはそうしたことへの悲しみをどこかに置き忘れてしまったようだった。あるがままのトロイヤを受け入れ、ただ愛したのだった。
「はーあー、またこれに入るのかい。もううんざりなんだがねー」
三つの睡眠カプセルが並べられた部屋には三つの人影があった。
「エロス様は最近ボヤキが多すぎます。ボヤキ様とお呼びしますよ」
「やかましいんだよ、マレイカ。だいたい何だい、そのボヤキってのは……もう少しましな洒落をいいなよ」
「あたくしはなんだか楽しみです。きっと目が覚めたときには、エロス様に教えてもらった地球が見れると思うとなんだか……」
アイシャの声が弾んでいた。潤んだ瞳はすでに地球の大気圏にあるようだった。
――まったく困ったものだ。この純粋お馬鹿さんたちは……。あたしが知っている地球はデータ上の地球なんだけどね。あたしだって見たことがないんだよ。あたしが教えたのはだたのデータさね。もしかしたら地球なんてないのかもしれないんだけどね。……そう考えると、あたしは相も変わらず悪人な気がしてきたよ……。
エロスは自分への嘲笑を押し殺しながら、先をつづけた。
「何年先になるんだかねー。何回カプセルに入ることになるんだか……」
「あたくしは平気ですよ。エロス様と一緒にいられれば何も怖くありません!」
「あたくしもです!」
「嘘をいうんじゃないよ! じゃあ試してみようか……」
「おやめください!」
「だーめ、やめないよ!」
寒いはずの部屋には温もりがあった。スキップするような足取りと笑い声が響いていた。
エロスは侍従を一人づつ掴まえると、優しく唇を重ねて小悪魔が使うような魔法で催眠術をかけてしまった。
「さあ、おねんねの時間だよ。悪ふざけはここまでだ」
「はい、おやすみなさいませ、エロス様」
「まただね、おやすみ」
三人は長期冷凍睡眠に入って地球を目指したのだった。
DOXA所属、準光速宇宙船<アンドレイア・フィーリア>号は静かに群青の海をたゆたいながら進み続けた。
超光速航行のできない<フィーリア>号である。メインエンジンを二基失い、そこいらじゅうが傷ついた船である。彼女たちが、どれだけの年月眠りつづければ地球に辿りつけるのかは、星々すら知りえなかったのだった。
アグリオスの残したデータを閲覧したエロスは、三つの選択肢があることを知った。そして彼女が選んだのは、最後の項目だった「そのままの自分でいる」ことであった。
マレイカにしてもアイシャにしても、男性としてのエロスを受け入れる決意はとうに出来ていた。しかしエロスは自然の成り行きにまかせることにしたのである。マレイカを贔屓すればアイシャが怒る。アイシャを可愛がればマレイカは嫉妬してみせた。微妙な三角関係を抱えたまま三人は三ヵ月を過ごして、カプセルに身を横たえたのだ。
エロスはエロス――「恋」のまま、マレイカはラブ――「愛」のまま、アイシャはアガペー――「博愛」のまま穏やかな眠りについたのだった。
異能人種、いな、新星人であるエロスと彼女を理解する侍従たちは限りない可能性を秘めたまま四十四億キロの旅へと出発したのだった。
――きっと地球にもあたしと同じ苦しみを抱えた人がいるはずさ。だからあたしは何年かかっても必ず辿りついてみせる。それがあたしの罪滅ぼしさね。それで許されるとは思っちゃーいないが、それで勘弁しておくれ。
エロスは胸の奥でそう呟いたあと、長い睫毛が伸びた瞼をそっと閉じたのだった。
<フィーリア>号が目指す地球には、エロスが予想した通り、新星人がいた。ゼンタであり、セドナであり、アインスがそうであった。彼女たちは後に、両性具有種であることを公言するために、名を改めた。
ゼンタはゼンタ=ナブリオーネと、セドナはセドナ=ウェルギリウスと、アインスはアインス=ドライと。
三人はまだ自らの使命にすら気づいていなかったが、彼女たちは三女神の生まれ変わりという宿命を背負っていたのだ。それは、エウノミア「秩序」、ディケー「正義」、エイレーネ「平和」の三女神だった。
だがそれは、地球の古い歴史からすればありふれたことであったのだ。原始宗教からはじまる人類の歴史は何度も三女神を生みだしてきていた。ときにそれは、「創造」「維持」「破壊」とされ、ときには「生誕」「成長」「衰亡」とされ、ときには「生」「死」「再生」とされた。しかし、その実相がこの太陽系世界にあっては「現在」「過去」「未来」であることは言うまでもないことであろう。
ネバダ州にあるバベルの塔では、ユピテールの奮起から新星人の研究は進んではいたが、まだそれは初期段階といえた。人格コンピューターであるヨハネスも研究に積極的に協力していた。
ゼンタたちが歩む道によって、人類は新しい発展を見るかもしれなかった。しかし、そこには彼女たちを受けいれる社会が必要なことは明々白々だといえるだろう。誰よりもそれを知っていたのは、アルビノのという生を送ってきたユピテールであろうことは疑いようのないことだった。彼女の名も両性具有をうかがわせる「木星」ジュノ(ヘラ)=ゼウス――ジュピターであることは、偶然の一致にしては出来過ぎた事実ではあるのだが……。
太陽系をまっぷたつに分けた戦争は、科学者の戦争といえた。
地球勢力にあってはトロイヤが、ツァオベラー勢力にあってはアグリオスがその立場にあったといえるだろう。
彼らは一体何を求めたのだろうか。
遠くない地球の歴史に、名を残す二人の科学者がいた。同じ時代を生きた二人の男の名は、フォン・ブラウンといい、ロバート・オッペンハイマーといった。
ブラウンは宇宙に憧れ、ロケット技術の開発に情熱を燃やした。一九三〇年にはドイツ宇宙旅行協会に入会している。
ある時期、彼はナチスを利用し、はたまた利用されて、V-1、V-2ロケットを開発してロンドン市民を恐怖のどん底に叩き落としたこともある。だがこの幸運な男は、戦後アメリカに亡命を果たして、科学的才能を見事に開花してみせたのだ。
人類を月面に到達させたサターン五型ロケットは、この男の才能あってのものだったのだ。
一方のオッペンハイマーは戦争の惨禍を止めるために、原子爆弾の開発に携わった男である。もともとは、中性子星やブラックホールの研究をしていたオッペンハイマーも才能を開花はさせたものの、それは悪魔の兵器を生みだしてしまったという結果に至ってしまったのだ。
ブラウンは自身の功績に満足してこの世を去った。だが、オッペンハイマーは「原爆の父」となった自身を呪い、自らを責めさいなんでこの世を去っていった。
二人の科学者が産み落としたロケット技術と核兵器技術がひとつになったとき、地球上で最悪の兵器が誕生した。大陸間弾道弾がそれである。
科学の暴走を止めえる存在。それが何であるのか、私にはわからない。
しかし、ひとつの研究ともうひとつの研究が組み合わされたとき、怖ろしい兵器が完成するということだけはわかるのだ。歴史がそれを証明しているといえよう。
こうした悲劇をとめえるもの。それが新星人であるとは言わない。しかし、そうした可能性がひとりひとりの人間の内奥にあるのではないか。私はそう思うのである。
誰かを救おうとする精神と、誰かを助けたいという精神が合一したとき、新星人は生まれるのであろう。
二人の科学者の研究が寄り合わされたとき、最悪の兵器ができあがったというなら、その逆もまたしかりと考えることは決して誤った思考方向だとは思えないのである。
二人の科学者の優れた医学的研究が合一したなら――その結果を夢想することはおかしなことであろうか?
<アンドレイア・フィーリア>号――「利他愛への挑戦」号は、いまも休まず地球を目指して進んでいる。
船内にはアグリオスの残したデータがある。そして地球では日々にユピテールが熱心に研究を続けているのだ。
~完~




