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宇宙の新星人たち【本編(3)】  作者: イプシロン
第1章 生と死――秩序と怨念
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第7話 天使の降臨

 赤とグレーという色違いの船内服を着た二人はバベルの塔を離れるやいなや、ビジネスジェットの機首をフロリダ半島へと向けて、一時間と少しでオーランドの空港に降り立った。

 いまやDOXAと軍を動かしうるポジションにあったニクスの多忙な日常を支えていたのは、シノーペだった。決して目立つ存在ではなかったが、彼の傍らには必ずといっていいほど彼女の姿があった。

 金髪に碧眼、美男美女の二人はそれだけでも眼を引く存在ではあったが、ニクスとその秘書が見せる地味で敏捷な行動はそうした気配をかき消すことすらあった。

「どうした? 具合でも悪いのか? 顔色が良くない。飛行機に酔ったのかい?」

「……いえ、大丈夫です。少し気分が良くないだけで、少し休めば――」

 そう答えながらも、頭痛と吐き気に襲われていたシノーペの顔色は青白かった。

「ハウの家まで我慢できそうかい? そこで少し休ませてもらうしかないんだが……」

「ええ、大丈夫です。でも、ちょっとトイレにいかせてください」

 ターミナルのトイレに駆け込んだシノーペは洗面台の前に立って顔を洗ってはみたが、一向に気分の悪さはおさまらなかった。

 近くで待っていたニクスは気が気ではなかった。完璧な秘書、シノーペ。その彼女が自己管理を怠ることは考えられないことだったのだ。腕時計を見て五分が過ぎた頃から、ニクスはそわそわしはじめた。

 十分が過ぎ、十五分が過ぎたころ、シノーペは子供連れの主婦に付き添われて、姿を見せた。

「大丈夫かい?」

「ええ、平気よ。もう良くなったわ。でも、いちおう病院に行きたいんだけど……」

「……ひとりで平気かい? あれならハイヤーを呼ぶけど……」

「いや、平気よ。あたしのことじゃないしね、病院での要件は。……ちょっと調べ事があったのを忘れてたのよ。病院によって、それからあなたを追いかけるわ。それで、いいかしら?……」

「ああ、それは構わないがね。……それより、この方は?」

 そういってニクスはシノーペの背に手を当てている体格の良い主婦と、野苺の飴を手にしている少年に眼を向けた。

「あ、トイレで世間話に花を咲かせてしまって……。すみません。もう大丈夫です」

 シノーペは主婦にそういって会釈すると、ニクスの背を押して、

「さあ、行きましょう、あなた」

 といって、二人は歩きだしたのだった。

 空港でシノーペと別れたニクスはハウの自宅に着くと、早速打ち合わせにかかった。ニクスは軍の行動計画、DOXAの開発計画、トロイヤとユピテールのこと、世論操作のことなどを語り続けた。一方のハウは、カロンが関わっているDOXAの新型超光速宇宙船のこと、医療技術の提供計画、国連の予算配分状況、タラッサやトーリ、グリークのことなどを打ち明けた。

「じゃあ、軍としては世論が戦争に傾けば予算は獲得できるが、国連の指示を失いかねない。そう判断してるわけか……」

「そういうことらしい。予算の配分が傾きすぎると、絶滅した飢餓がまた芽を吹きだすかもしれない。国連の意向としては軍の予算獲得は憂慮すべきところ……。そういうことだね」

「難しい問題だな……」

 ニクスは渋面をつくって、腕組みして煩悶しだした。

「いや、その点は心配はいらんよ。軍の意思ははっきりしているからね。一旦計上された予算は返上できない。ならば、余った予算をDOXAに回して、医療技術の開発や発展途上国への支援に向けさせる。そうして国連との協調を維持する。どうやら、そう決めたらしいんだ」

「ムーシコフ。彼の決断かい?」

「ああ、そのとおりだ。彼とトーヤの決断だ。彼らはものが良く見えているよ。それに、例の問題もあるからね。DOXAの医学部も予算は欲しいということだね」

 ハウは自身が一番懸念している事項を、それとなくニクスに語っていた。

「奇病……とはいえないが、あれには何か意味がある。俺はそうは思うね。けど、あの症状の意味は読み取りづらいね。何しろデータが少ないからな……」

「ここ三年から五年で見つかった症状だからね。現時点では病気と位置付けることもできない。ゼンタとセドナ……。彼女たちにも症状が出たらしいんだ」

「なんてこった……」

 ニクスはやり切れなさを押し隠せない表情で俯いて、唇を噛んだ。

「カロンは動揺してはいなんだがね。なにしろタラッサは眼が見えないから、戸惑っているんだよ。ゼンタにどう接してあげればいいか……とね……。セドナの方はまあ心配はいらんようだ。ガラティアがしっかりしているからね」

 二人の話に暗雲が立ち込めはじめたころ、病院によっていたシノーペがエリスとともに姿を見せた。

「すみません……遅くなりました」

「すっかり顔色はいいみたいだね」

 シノーペの様子に異常がないことを確かめたニクスは心の底から安堵の気持ちが湧いてくることを感じた。

「ええ、でも、あなたに伝えないといけないことがあるんです……」

 すでに彼女から話を聞いていたエリスは、微笑みながら黙って皆の前に紅茶を置いていた。

 膝を屈めたシノーペは、ニクスに耳打ちして囁くような声で何事かを知らせていた。

「なんだって! 妊娠したって!」

「あなた、やめてよ、そんな大きな声で……」

 シノーペは首や耳、そして体全体を紅潮させながら、椅子に身を落とした。

「苦節十年。待ちに待った日が来たよ、ハウ!」

「あめでとう、ニクス!」

「良かったわね、お二人さん。本当に良かったわね!」

「何だか不思議な気分だ。世の中がこんなに混乱していて、沢山の人が死んでいっているのに、俺はこんなに喜んでいいのか?」

 感激のあまり、ニクスは髪を掻きむしって、その喜びを露わにしていた。

「死んでいく命があれば、生まれてくる命もあるのよ。命は廻り続けるものよ。素直に喜べばいいのよ。何も苦にすることじゃないわ」

 紅茶を配りおえたエリスが自分のカップを手にもってそういった。

「乾杯よ!」

 リビングに陶器がぶつかり合う、優しい音が響いた。

「シノーペ、ありがとう。俺は、俺は……幸せものだよ……」

 オーランドの春は、戦争という悲劇の中でも、変わらずにやってきた。二度にわたって流産を繰り返してきたニクス夫妻にとって、それは三度目の春だった。遠く遠く思われた春だった。

 ニクスは固く決意したのだった――今度こそ花を咲かせてみせる、と。

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