第68話 悪魔の胎動
『潜宙戦隊 奇跡の大脱出に成功!』
『地球軍のパルチザン部隊が大戦果! 二〇対二〇〇の戦いで三隻を撃破す!』
『潜宙艦は遺物にあらず! その戦術は称賛にあたいす!』
「どんなものよ! あたしが本気になったら、悲観的なニュースなんて流させないのよ」
そうバベルの執務室で息巻くユピテールではあったが、物足りなさを感じて視界の右端におかれたデスクに目をはしらせた。
幅のあるがっしりしたデスクと、高い背もたれのある椅子が見えた。かつて、ユピテールの席だった場所には人気がなかった。ひっそりと静まりかえり、デスクに置かれたコンピューターの電源さえ落とされたままだった。トロイヤと執務室で過ごした十年あまりのあいだ、シートから立ち上がってはトロイヤと激しくぶつかりあうように議論しあっている自分の姿が見えた。
――あたし……やり過ぎだったところがあったんだろうな。
眼の前に置かれたモニターには開かれたメールが表示されていた。ニクスからの日報だった。
「あんまりやりすぎるなよ。メディアを抑えすぎれば、それは統制になる。民主主義に反しない範囲を見つけてくれ」
オフホワイトを背景にして浮かんでいたダークスレートグレイの文字が滲んだ。
「あたし……自分を教えてくれる大切なものをなくしてしまったのかもしれない……」
彼女にとってトロイヤは鏡だったのだ。トロイヤと激しく議論することあってのユピテールだったのだ。
IQ200という人間の思考は特殊だった。三人、四人が寄ってかかってやっとこさ見いだす答えを、トロイヤとユピテールは数秒ではじきだすような人種だったのだ。特殊な人間には風変わりな鏡が必要だった。
ユピテールは半身をもがれたような虚脱感に襲われながら、午後の仕事にとりかかったのだった。
群青の海に億千の星を船を浮かべた宇宙を、一隻のクルーザーが疾駆していた。
後部座席には医務室から運び込まれた栄養剤のビンとパックが山のように積まれていた。
助手席には宇宙服を着た少女が小さくなって座っている。その隣の操縦席には、蒼白な顔で額に汗を滲ませているエロスがいた。
「栄養剤が切れそうだ、マレイカ、交換をたのむよ」
「はい……」
声をかけられた少女は、子猫のように素早い動作で後ろの座席に腕をのばすと、空になったビンと薬剤のはいったビンを入れかえた。それが終わるとマレイカは子猫のように小さく丸まってしまった。
「なにか怖いのかい? まるで借りてきた猫じゃないかい」
「……いいえ、怖くはないのです。ただ何をしたらいいのかがわからなくて……」
「ならそんな顔をするな。何をすべきか、おまえはそれを知ってるはずさ。じきにそれに気づくから平気さ」
エロスは彼女が全身からはなつオーラに似たものを感じていた。マレイカからは、アグリオスの侍従を命じたときと変わらない純真さが滲みでていたのだ。
エロスは助手席にいるい少女を顧みて思った。
――とはいっても、この娘には今はそのことはわかるまい。いつかこの娘がそれに気づけばいいんだが……。けど、純粋さってのは自分が純粋なことに気づかないからこそ純粋といえるのさね。皮肉なことだけど、あたしは少なくともそれを知っている。だからこの娘はあたしにとっては大切なのさ。それだけで十分さね。
「さあ、目的地に到着するよ。安全ベルトを締めてくれ」
「はい」
必要な言葉だけを口にしたマレイカは、エロスにベルトをかけようとした。
「違うちがう、あたしじゃない。自分のをするんだよ、マレイカ。あたしは大丈夫だ」
「あ……はい。すみません」
マレイカが恥ずかしそうに、ほんのりと赤い顔をしながら自分のベルトを装着しおわるのを見やって、エロスはクルーザーを着陸態勢にいれた。やがてクルーザーは<アンドレイア・フィーリア>号が格納されているデッキに音もなくすんなりと着床したのだった。
「これが史上最強であり最悪の惨禍をもたらす兵器か……」
ニクスの目の前には、モニターに映し出された試作一号機の核融合砲と中性子砲があった。
「できれば、実戦投入されるまえに講和に持ち込めればいいですね」
傍らにいたシノーペの声には、ぴんと張った糸のように緊張した波長があった。
核融合砲。それは一種の水爆兵器である。水爆兵器は水素爆弾という形体として古くから存在するものではあるが、技術的ハードルが非常に高く、砲としての利用は困難である。そう思われていた。だが、トロイヤの発想がその常識を突き破ったのである。
照準点で水素原子を融合させ、核融合反応を起こさせる。簡単にいえば、小さな水爆砲といえるのが核融合砲である。核融合に必要な高温高圧はプラズマを利用して起こすということが基本原理ではあったが、そこに宇宙で日常的におこっている反応を加味したのがトロイヤの優れた発想だった。
照準点で核融合を起こした水素は、そこで水爆と同じ効果をもたらす。核融合砲がそれまでの水爆兵器と一線をかくする部分は爆弾を目標に運ぶという必要性を排除した点にある。つまり、照準して引き金を引けば照準点で水爆が炸裂するということだ。このことがいかに恐ろしい結果をもたらすかは自明の理である。
一方の中性子砲。これもまた狂気の兵器といえた。原理的には核融合砲と似ているが、その効果には厳然とした差があるのだ。照準点でおこったガンマ崩壊はガンマ線と中性子をばらまく。その両者は人体を内外から被爆させDNAを破壊するのだ。中性子やガンマ線を浴びた者の細胞が再生機能を失うということを意味する。つまりそれは、しだいに人体を内側から破壊し、数時間後に確実に死に至らしめるのだ。そうなった場合、外傷にも目を背けざるを得ないだけのものがある。まさに狂気の兵器といえるのである。
「ユピの諜報活動に全てがかかっている。彼女が講和する外交ラインを見つけられるかどうか、そこなんだがね……」
忌避すべきものを見る眼差しでモニターを見ながらニクスがつぶやいた。
「大丈夫でしょう。信じましょう、彼女を……」
「そうだね、シノーペ。今は信じるしかないだろうね……」
そういったニクスではあったが、試作品が出来てしまったことに悲歎することを隠すことはできないようだった。
ニクスの顔に張り付いた悪魔が頬に暗い影を落しているのが、シノーペには見えた気がした。
ヘプタゴンにある窓の外には夜の帳が舞い降りはじめ、星々がまたたきはじめていたのだった。
<ケイローン>号の艦橋にいたヒドラは待ちに待った報告を技術官から受けていた。
「そうか、で、実戦投入できるのだな?」
「御意。ようやく完成いたしました」
ヒドラの色違いの瞳にある妖しい光が強まっていくのが見えた。ブラウンの右の瞳には焦げのような黒いしみが浮かびあがり、グリーンの左の瞳からは悪性の細菌ににた黴が発酵していたのだ。
「あいつの強力さは実証済みだ。ケレスで撃ち殺したギュゲスとかいう奴でな」
「ははぁ……」
高次元砲。アグリオスが開発した悪魔の兵器である。通常、人間の生活する次元は四次元である。縦、横、高さ、時間の四つを基準としている。だが、今では古典となった科学ですら四次元より高い次元の存在は確認されていたのである。一番高い次元は十一次元といわれていた。
光と闇の本質を知った男、アグリオスはついにそこに辿りついたのだ。彼の言葉を借りて高次元砲を語ればこうなるだろう。
――つまりだ、十一次元というものは無なのだよ。停止して動かない存在。それが十一次元だ。宇宙にあるすべての次元は振動している。いいや、電子や原子といったものからして、物質を構成するものは全て振動しているのだよ。だがね、その振動が停止している次元がある。それが十一次元というわけさ。いい方を変えれば時間は存在しない。その時間が存在しない次元を便宜上は十一次元といってるわけだよ。
ようするに私はそれを利用しようと考えたんだ。そういうことだね。振動している物質を停止させることが出来たらどうなるね? そうさ、そこにあるのは死だよ。
つまり高次元砲の原理はだね、振動している物体を停止させるということなのだよ。振動していること自体が生であり、生命現象といえる。だから、それを止められたものは必然的に死ぬ。そういうことさ。この原理は当然無機物にみえる金属や石やプラスティックなどにも影響をもたらすのさ。これを究極の兵器と呼ばずしてなんというのだね?……。
ヒドラの耳朶には、白衣の男が陶酔しきって自信満々に語っている声が聞こえていた。アグリオスの興奮して発火した赤茶色の瞳が脳裏に見えていた。
――もうあいつは用済みだ……。今さら行方などどうでもよいのだよ。ならば、俺が視線を向けるべきは前だけということだな。
大司教の視線の先には地球軍の艦隊が作りだした恒星群があった。はからずも、逃げる潜宙艦が聖戦団と地球軍を正面から対峙させる結果となったのだ。
「これで思いきって奴らに当っていけるというわけだな」




