第65話 それぞれの戦い
『木星宙域の戦闘 地球軍 惨敗を喫す! 作戦中枢が瓦解か?』
『地球軍 輸送艦艇を一会戦で四〇数隻失う!?』
『潜宙戦隊は過去の遺物か? 無用の長物なのか?』
どこから情報をえているのか、潜宙戦隊の悲劇はあらゆる経路をつたって、数日のあいだに人々の耳目に触れるところとなった。
ツァオベラーとPETUによる諜報活動の手綱は緩むことがなかったのだ。
「敵もやるもんね。けどあたしがこの場所に戻ったからには、もう好き勝手にはさせないわ!」
かつてトロイヤが率いた小さな軍隊にその部屋を占拠されたユピテールではあった。しかし、彼女はそれよりも遥かに弱小な部隊でバベルの執務室に帰還したのだった。ユピテール、ゼンタ、セドナという小さな部隊のささやかな逆襲といえた。
「まずは中断していた情報収集からね。さあ戦闘開始よ!」
ユピテールはその日から諜報戦という名の戦場で孤軍奮闘をはじめたのだった。
衛星ネレイドの大地に降り立ったエロスは、年代物の丸く小さなハッチを見つけだすと、そこから根拠地の施設にもぐりこんでいった。迫りくる時間との戦いは過酷だった。
エロスは星のチラつきと天井が回るのを何度も目にしながら這うように医務エリアを目指した。
「もうこいつを頼りにできるのも、あと一、二回だね……」
手にしていた香水瓶を逆さまにしたあと、エロスはタナトスの香りに包まれて、あやうく意識を失いそうになった。
「馬鹿ばかばか……寝ちまったら意味がないんだよ……」
エロスの全身から完全に血の気が失せていた。死人のような姿になったエロスはなんとか医務室へとたどりつくと、栄養剤を何本もの注射器につめて腕や足につぎつぎと突き立てた。
「ギリギリだったね……飢餓と栄養失調ってのがこれほど苦しいものとはね……」
針を刺したあたりには、飢餓の苦痛に耐えかねて掻きむしった爪跡がそこいらじゅうにあった。
「一時間、いや三十分だけ休んだら行動開始さ……時間がないんだよ……」
最後の言葉は声にならなかった。ブレスレット型の多目的電子端末にある電気ショックのタイマーをセットするのがやっとだったのだ。
ブレスレットにある時計の「:」は通常の五倍ほどの間隔で点滅していた。
バミューダ島に聳立している、ヘプタゴンの地球軍参謀総長室にはニクスの姿があった。
ムーシコフの代理全権として新兵器の試作開発に携わることになったニクスもまた戦いの中にあった。多くの工場が稼働しているコア・タイムには一度に三個の受話器を握って会話することが日常になっていた。
「ですから、とにかく急いでください! 大至急です」
「いえ、そっちの話じゃないんです。そちらには慎重に試験にあたって欲しいんです」
「ちょっと待ってください! ですからそっちには急いでもらわないと……」
「…………」
――あなたが取り乱してる姿。なんだかアインスを産んだときを思い出すわ……。
などと思うシノーペには意外と余裕があった。
だが、ニクスを支えたのは間違いなく有能な秘書であり妻である彼女だった。
なによりも総長室にはニクスを一番慌てさせた存在がいたのだ。アインスである。
ずりばいが出来るようになったアインスはあちらで物音をさせたかとおもえば、こちらで物音をさせてニクスを動揺させた。
そんなアインスを誰よりしっかり監視していたのは母であるシノーペだった。
「大丈夫よ、あなた。この程度は悪戯のうちなの。そっとしておけばいいのよ。あなただって子供の頃は……」
そういって面白そうに微笑むシノーペの顔はニクスにとっては何よりも心強い援軍だったのだ。
「世の中には目を背けちゃいけないこともあるんでしょうけど、できれば見たくないものもあるのよね……」
バイオニック・グラスをかけたタラッサが複雑な表情でリビングにおかれたテレビの画面を見つめていた。
「何でもかんでも伝えてしまう。何光年も離れた戦場さえこうして映像で見れてしまう。良いのか、悪いのか……」
傍らに座っていたガラティアも――どう受け止めるのがいいのかしらね……――といった表情でニュース映像に視線をむけていた。
「戦争って感じがしないね。まるで映画を観てるみたい……」
母親のそばに寝そべっていたゼンタが吐息まじりに感想を漏らした。
「あたしもあれが現実だって思えないわ。遠いってさ、それだけでもうリアリティーが無くなる気がするのよね」
セドナの感慨は大人びていた。なぜなら、クロエがそれを証明することを小さな声で呟いたからだ。
「近くで見るものじゃないわよ、セド。あんなものを近くで見ちゃ駄目なのよ」
「でも見ないと本当のところは理解できない。ホント難しい問題だね、これは……」
ダフニスはリビングの空気が重くなってしまったことを感じとって話題をかえようとした。
「よーし、ゼンタ、セドナ。じゃあ今日は『見る』ってことについてディスカッションしてみようか!」
本気かどうかはまだわからなかった。しかし、ゼンタとセドナが医学の道を志したいと言いだしたことで、ダフニスとクロエは即席の家庭教師になっていたのだ。
――見ること……か。
タラッサはその言葉を聞いてすっかり年老いてしまったルーチェの頭に自然と手の伸ばしていた。眠っていたルーチェが眼を開けることはなかった。だが、休まずに聴覚を研ぎ澄まそうとして動いている耳をタラッサは掌で感じ取っていた。
――もうあなたも余生を楽しむべき頃ね。アタシも、もう一戦頑張らないとね……。
タラッサは胸の中でそう呟くと、ずり落ちてきたバイオニック・グラスを引き上げたのだった。




