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宇宙の新星人たち【本編(3)】  作者: イプシロン
第1章 生と死――秩序と怨念
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第6話 ユピテール臍を曲げる

 ホンダジェット二一型は、まるで空に溶け込むようなインディゴブルーと白に塗り分けられていた。

 ニクスは窓際のシートに座って成層圏の青々とした空を眺めていた。イルカのような飛行機は軽やかに舞い、高速度を出していることさえ感じさせなかった。眼下にちぎれ飛ぶ雲が見えることで、ようやくそのスピードを知ることができた。しかし、なによりもその高速性を感じとらせたのは、ジェットが高度を下げて雲に突っ込んだときだった。雲は白波となり、ジェットは天駆けるドルフィンそのもののように飛んだのだった。

 バミューダからネバダまで、大西洋の楽園から黄褐色の砂と岩山の大地への旅は、約二時間の行程だった。ホンダジェット二一型は華麗に機首を上げると、タイヤを滑走路に擦らせて白い煙をあげると、機首を下げてターミナルを目指して滑走し、やがてバベルの塔の近くに停止した。

「さすがニクス兄さんね、時間どおりよ。ねえ、トーヤ、ニクス兄さんが来たのよ」

「ああ、そうらしいね……ジェットの音は聞いていたよ」

 トロイヤは執務机に置かれたPCモニターに齧りつきながら生返事を返した。

 ユピテールの机はかつて彼女の秘書官であったガデアンの机があった位置に移動され、そこから右を向くと、窓外の景色が一望できた。

「残念だけど、僕の背中には眼はついてないんだよ、ユピ」

「そうね、その席は良いようで良くないのよ。あたしも散々退屈したわ。見えるのは入口の扉だけだからね」

 ユピテールは椅子を回して膝立ちになって背もたれに肘を乗せて、少女のように外を眺め続けていた。

「あ、兄さん下りてきたわ」

「…………」

「…………ふん、何さ!……。さ、仕事よ、仕事!」

 ニクスに近寄る人影を見つけたユピテールは不機嫌な声をあげると、机に向きなおった。

 モニターからちらりと目をそらしたトロイヤは、ユピテールがいつになく、おめかししていることに気づいた。

 長袖のベストはてろりとしたハイライトを作るエナメル風の素材で、スリットの入ったミニスカートは艶のない目の細かい生地だった。上下とも黒で統一されてはいたが、艶というものを全く考慮していないようだった。靴はやはりてかてかと光りをはね返す素材でできた黒いハイヒールだった。そして、それにそぐわない爽やかな青い色のストッキングを履いていた。

 ――それにしても我が妹ながら……このセンスの無さだけはいただけないな……決してスタイルが悪いわけじゃないのになー……。

 トロイヤは下がってきていた、視覚振動矯正眼鏡を持ち上げると、モニターへと視線を戻した。

 それからほどなくして、来客を知らせるコールが入り、ニクスが部屋に姿を見せた。彼の横には秘書官のシノーペがアタッシュケースを下げて付き従っていた。

「早かったですね、ニクスさん」

「君の推薦してくれたジェット。あいつは快適だ」

「すみません。実はこっちは用意がまだでして」

 トロイヤは話しながらコンソールを操作して、床から来客用の丸テーブルを引き上げて椅子を運ぶために、壁に設けられたクロークの扉を開いていた。

「手伝いますね」

 シノーペはアタッシュケースをテーブルに置くと、会議の準備を手伝いはじめた。

「う、うん、うーん……コホン!」

「ユピテール、久しぶりだね、君に会うのは、一ヵ月ぶりかな?」

「そうね。随分とご無沙汰だったわね。ニクス兄さん。今日は何か面白いお話があって?」

「いいや、そうでもないね。あっちじゃ散々だったのさ……」

 ニクスは話しながら、トロイヤが運びだした椅子に腰を下ろした。

「ユピ、お前も少しは手伝ったらどうだ!」

「はい、はい」

 仕方なさそうに立ち上がったユピテールは、軽そうな物を選んではテーブルとクロークを行き来しはじめた。

「変わらないな、君たちは。仲がいいのか悪いのか……」

 ようやく準備が整ったころ、ユピテールはニクスの隣の席をさっさと確保して髪を弄りながら会議がはじまるの待っていた。

「でははじめようか。ともかくも、今日は時間がかかる。そう思って欲しい。まずは俺の報告から聞いて欲しい」

 そういってニクスはたんたんと統合参謀本部の議事録を口頭で説明した。

「なるほどね。ですが、ニクスさん。反重力装置はそう早くは完成できませんよ。早く見積もっても三ヵ月。遅ければ半年はかかりますからね……」

 トロイヤが不安な表情で乾いた声でそういった。

「まずいな。軍はそこまでは待たんだろう。というよりは持ち堪えられんよ……。何かいい案はないのかい? トーヤ?」

「…………そうですね、軍艦にとって機動力は命ともいえます。ですから、僕としても今の開発は続けたいんですよ。でも、一ヵ月以内にできることといえば、武装の強化。それくらいしかありませんね」

「ビームの圧縮率を上げる、それと、遠距離魚雷の推進剤強化、それとミサイルの多弾頭化、こんなところかな……」

「ええ、そうです……」

「だがなー、それらを先行すると、EMPの脅威を排除する装置の設置も遅れるだろう。それに、DOXAの調査船はここ三ヵ月以内に次々と地球を離れなければならん。どんなに頑張っても、三ヵ月。それ以上は待てないよ、トーヤ」

「…………」

 議事録をとるシノーペのタッチペンの音だけが部屋に響いていた。

 喧々諤々の意見交換が続いたあと、結論はいかにしても時間と人員の不足という難問に行き当たった。

 しだいにユピテールは苛つきはじめ、声が甲高くなっていった。

「ねえ、ちょっといい。なぜ男たちはそう攻撃的なの? なぜ防御を優先できないの? シノーペさん、どう思います?」

「……わたしには……発言権はありません……」

「いいのよ。言いたい事をいって。同じ女性としてね……。まあいいわ。あたしの意見はそれに尽きるわ。つまりよ、いっぺんに何もかもが防御できるシステムを考えればいい。そう思うのよねー……。トーヤ、何かいい案はないの? そのー……反重力だったっけ、それを使ってバリアーを張るとかさー……」

「バリアー……」

 ニクスはユピテールのあまりにも現実離れした意見に当惑していた。

「…………」

「とにかくね、負けなきゃいいのよ。やられなきゃ、いつかはやりかえすチャンスはあるわけでしょ。なんていうのかなーほら、あれよ、カウンターパンチってやつだっけ……。残念ながら、月でやったアポロ作戦はあたしの意向をみなさん読み取れなかったみたいだけどねー……。あたしはPETUの出来る人材に根こそぎ揺さぶりをかけて、逃げ出させて組織として機能しなくしたのよ。でも、だーれもそんなことには見向きもしなかったみたいだけどねー……」

 ユピテールは手にしたペンを上唇と鼻で挟んで不満顔を作っていた。

「すみません……ユピテールさん。ムーンベースの現状はご存知ですか?」

 突然、ピンと張った毅然とした声でシノーペがユピテールを睨みつけながら、手にしていたデジタルパッドを彼女の前に置いた。

「これを見たら、今のようなおふざけは出来ないはずです。これはわたしのかつての同僚、ダフニスとクロエからの報告です」

 眼の前に置かれたパッドの文字データと画像にざっと目をとおしたユピテールは沈んだ声で呟くように口を開いた。 

「…………うん……これは酷わね……いくらなんでもこれはないわ……」

「今は戦争をしているんです。そこを良く考えてください」

「ふん!…………あなたに言われなくてもわかってるわ!」

 ユピテールはペンを机に置くと、立ち上がってシノーペに向かってキーキーと喚きはじめた。

「だからあたしは真剣に訴えたのよ! あなたになにがわかって! あたしはトーヤに直談判したのよ。何度もね! 何としても作戦を延期させろってね。なのに、トーヤは何もしなかったのよ。その結果がこれじゃない! あたしはやれるだけやったの! 何かといえば攻撃、攻撃。今だってそうじゃない。あたしを攻撃して何が得られるの! 馬鹿にしないでよ! あたしがどれだけ真剣に人事工作をしてきたかなんて、誰も理解してないじゃない!」

「ユピ、落ち着け。少なくとも俺は君の才能を十二分に認めているよ。それじゃ駄目なのかい……」

 ニクスはユピテールの燃え立った紅い瞳をじっと見つめて、慰めでない認証の態度を示しながら、語りかけた。

 シノーペは揃えた両膝を斜めにしてただ俯いていた。横に銀のラインが入った赤い船内服という何げない服装ではあったが、はっきりと体のラインが出る服装は濃い色香を漂わせていた。

 トロイヤは打ちひしがれたように見えるシノーペの姿に見とれながら、あられもない感傷に浸っていた。

 ――シノーペさん、綺麗だよね。大人の女性。そういう言葉がピッタリとくる。それに比べて……ユピは……まるで、ブラックホールだ。怒りを呑みこんでいるブラックホールじゃないか……。星々を呑みこんで、限界に達すると爆発する中性子星……その放出される質量は莫大で光さえ捻じ曲げてしまう。……全てを……ん?……全てを?……捻じ曲げる?……呑みこむ?……。

 トロイヤは二人のしょげかえった対照的な女たちを見やりながら、深い思索に沈んでいった。

「ユピ、あるよ。いい案が……」

「…………何があるの?」

 消え入りそうな声でユピテールはなんとか反応をしめした。

「反重力バリアーだよ。超光速航行用のシステムの開発は一時中止だ。バリアーだよ。全てを弾き返せばいいんだよ。EMPだって弾き返せばいいんだよ。電磁波といえども質量のある存在だ。ならば弾き返すことはできるじゃないか。バリアーの範囲を広くすれば防御に使える。狭くして圧力を高めれば推進力としても使えるじゃないか……これだよユピ。君の防御優先論は間違ってないよ」

「トーヤ、そいつはいけるぞ! 今まで話し合ってきた問題が一挙に解決できるじゃないか。よし決まりだ! ユピ、シー、なにか意見はあるかい?」


 二人は俯いたまま首を振ってトロイヤの発案に同意する意思表示をしてみせた。

「ではそれでいこう。トーヤ、さっそく手筈を整えてくれ。それからユピ、君はしばらく報道にけん制を入れて欲しい。恐らく世論は戦争賛美に傾くはずだからね。あまり加熱するのは良いことじゃない。他に何かあるかい?」

 ニクスはまくしたてるように、思いつくままに言葉を繋いでいった。

「そうね、頼まれていた例の件。現時点ではあれは絶望的ね。ツァオベラーの連中はどうやら洗脳を受けてるみたいなのよ。だから、あたしの得意技が通じないのよ。今はまだ確実にそうとは言い切れないなんだけどね。……捕虜が欲しいわね……数人でいいわ……」

「うん、わかったよ、ユピ。その件は軍に依頼しておくよ。だが期待しないでくれ。でないと君はまたカッカッするはめになりかねないからね……」

「ええ、わかったわ。期待しないで待つわ……大丈夫。期待しないでくれには慣れてるわ。……あたし、疲れたわ……今日はこれでいいかしら?」

「ああ、かまわんよ。お疲れさま」

 席を立ったユピテールは、最高会議室へと繋がる扉をくぐると、階段を登って全面ガラス張りの誰もいない大会議場に足を踏み入れた。窓からは暮れかけた西日が斜めに射しこんでいた。

 適当な椅子に座り、机に突っ伏したユピテールはひとり沈む太陽を眺めていた。

 ――ここから見える景色は嫌いなのよ。いつかは慣れる。そう思ってきたけど無理ね。そしてあの人。シノーペさん。どうしてあの人がいるとあたしはあんな態度になってしまうの……怒らせるつもりなんてなかった。あたしだって怒るつもりなんてなかったの……。ニクス兄さんの前であんな態度をしたくなかったのよ、あたしは……。それにトーヤ……。なんだか最近あたしを見る眼がおかしいわ……ポカーンと口をあけて眺めてたり、鼻眼鏡であたしを見てる……気味が悪いのよ……。あたし帰りたい……ガデと過ごしたニューヨークに……。摩天楼が恋しいの……。ここにいたって役に立っていない。だってそう思えるんだもの……でも……でもよね……。

 仕事、仕事、仕事、そして戦争。ユピテールの心は疲れ果てていた。ただ彼女は平和な日常を味わいたいひとりの女がここにいることを、そしてその気持ちを理解する人がいないという孤独に気づき、いつしか眠りこんでしまったのだった。

 ――爺や、爺やはどこ? あたしをひとりにしないで……爺や……。 

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