第58話 再起動されし者
その頃、バベルの最深部に掘りめぐらされた通路を進んでいたユピテールと二人の少女は、恐怖をはらいのけることに必死だった。
通路には明りが灯っていなかった。壁自体がかすかに発光する不気味でぼんやりとした明りで、なんとか足元が見えるだけだった。
三人は体を寄せあって先へ先へと足を進めていた。
「姉さんお化け屋敷に連れていくなんて言ってなかったじゃない。こんなハイキングはいやよ」
はじめに不平の声をあげたのはゼンタだった。
「あのね、あたしも怖いの。あんまりキンキンした声を出さないでよ。それにねゼンタ、あなたくっつき過ぎよ。もう少し離れてくれないと歩きづらいじゃない」
「だってー……」
「なんだか背中がゾクゾクするわ……きっと出るわよ……もうすぐ出るわ……」
冗談を飛ばしているセドナの顔も半ば恐怖に歪んでいた。
「もうやめてってばー……」
「あたしだってホントは恐いのよ、馬鹿なこといってないと怖いの」
「もう少しよ、頑張って!」
足音がやたらに冷たく通路に響いていた。
「ドアが見えるわよ、姉さん」
「どうやら、あそこが終点のようね」
「もうだめ、背中がゾクゾクしてダメ……」
ゼンタが駆け足でドアへと走りよっていった。扉にたどりついた少女は背中をドアに押し当ててユピテールに目をむけていた。
「ちょっと……目がぎらついてて不気味じゃない……もう無理、あたしもー!」
セドナが駆けてゆくと、足音が足音を追うような不気味な木霊が聞こえた。
「とんだハイキングね……」
ユピテールは二人がビクビクして奇抜な行動をおこしたことで恐怖感がやわらいでいた。
そのとき、少女たちの悲鳴が聞こえた。
自動ドアがゼンタとセドナの体重を感知して開いたのだ。ユピテールはすぐに事の真相に気がついて、早足で二人に歩み寄った。
「二人で一人分ね。前にデータで読んだとおりなら、この先の部屋はロックされてるはずよ。さあゼンタ、セドナ、立って、立って」
「お弁当が滅茶苦茶になったわ……」
少女たちは半べそをかきながら立ち上がって、ついてもいない埃をはらう仕草をしていた。
部屋にはそれまでに見たこともない機器が多数設置されていた。無機質な機器類に点灯しているランプの色にはバリエーションがなく、時代遅れを感じさせた。
「ゼンタ、あなたのいる辺りに照明のスイッチがあるはずよ、探してみて」
「ルーム・ライト……これかな? 入れてみるね」
ゼンタはカバーに書かれた文字を声に出して読んだあとスイッチ入れた。とたんに、部屋は眩いほどの明るさに包まれて、全貌をあきらかにしてみせた。
「ここはセキュリティー・ルームね。少し待っててね」
「明るいっていいわね。つくづくそう思うわ」
「なんだ、お化けはいないのね。ちょっと残念な気がするわね」
少女たちの感想を耳にしながら、ユピテールは素早い手つきでセキュリティーを解除していった。
「これでオーケーよ。行きましょう」
三人はその先にあった殺菌室で無菌状態にされたあと、つぎの部屋で簡易密閉服の上から洗浄液のシャワーを浴びた。
「姉さんのお爺様はキレイ好きなのね」
ダブダブの密閉服を着たセドナが冗談をいった。
「さあね、それは会って確かめないとあたしも何ともいえないわね」
それはヨハネスにとって三十数年ぶりの訪問者だった。彼は起動と同時に長いあいだ無菌状態におかれ、誰の訪問も受けなかった。そうする必要がなかったのだ。自律式の自己診断回路と自己回復装置が故障することはなかったからだ。三十数年間、ヨハネスはメンテナンス・フリーだった。そのうえ、その場所にいながら執務室と最高会議室を通して満足ゆくコミュニケーションがとれたことで、ヨハネスに会おうという奇特な人間は現れなかったのだ。
彼が自ら睡眠状態に入ることを選んだその心の奥底には――誰かに会いたい。自分を愛してくれる人と直接的な関わり合いを持ちたい――という、ささやかな願望があったのだ。
彼は人を求めていた。孤独に疲れ果てていたのだ。そのあと開発された人格型コンピューターが、全てペアだったことは、ヨハネスの絶対的な指示から行われたことだった。そして、それが彼の孤独の深さを物語っていたのだ。
「儂の力が必要になったなら起こすがよい……。ユピ、お前はそのやり方を知っておるはすじゃ……。だが、やれるだけやってからじゃよ……いいね……」という言葉には、ヨハネスが心から求めていたことがあったのだ。
ユピテールとゼンタとセドナの訪問は、ヨハネスが人格型コンピューターになってから、はじめて生身の人間とコミュニケーションをとるという意味があったのだ。
自ら選んだ道であったとしても、地下最下層の深奥にある部屋には、人間には容易に知りえない光さえ届かない孤独があったのだ。
しかし、それに気づいた者は、これまで誰もいなかったのだ。




