第52話 奇妙なハイキング――悲しい抜殻
エアカーの後部座席には二人の少女がいた。ハンドルを握る娘の肌は透けるように白く瞳は紅かった。
戦争ってのは残酷だね。あんなに弱々しい娘が痩せた少女たちを連れてどこへゆくやら――エアカーが走りさるのを見てそう思う人もいた。しかし、当の本人たちである、ユピテールとゼンタとセドナの目的地は希望であり、光りを求めての旅であったのだ。
ニューオーリンズの新工場でエアカーを降りた三人は、きらめく陽光を全身にうけて格納庫へと向かっていた。お弁当を手に下げた少女たちと、つばの広い帽子をかぶり、サングラスをしてスーツケースを手にさげた娘がジェットに乗りこむと、<スフェーン>号は滑走路を滑るように進んで優美に機首を持ち上げた。<スフェーン>号は雲ひとつない青空をぐんぐんと駆けあがっていった。
「あたし、こんなハイキングなら毎日でもいいわ」
「すごーい! ねえ見てセドナ。あたしたちの住む街が玩具みたいよ。ミニカーがいっぱいだわ」
はじめての飛行機に少女たちは歓声をあげてはしゃいだ。
「こんなことで驚いちゃだめよ。あなたたちは、宇宙に飛び出していくかもしれないんだからね」
オートパイロットを作動させたユピテールが客室に姿を見せると、とたんに少女たちの質問責めにあった。
ユピテールは答えを返しながら、しだいに話の内容をハイキングの目的へと移していった。
「姉さんがあたしたちのことをそこまで真剣に考えていてくれたなんて、思ってもいなかったわ」
ゼンタが顔を輝かせてちぢれ毛の娘を見つめていた。
「お節介焼きマシーンみたいなとこあるもんね。姉さんて……」
「こらー! なんてこというの、マシーンだなんて! あたしはレディーよ」
ガラティアとミマースという変わった両親に育てられたからか、セドナは冗談と皮肉を使いこなす少女だった。
自分の身の上まつわる深刻な話であるはずなのに、ゼンタの顔もセドナの顔も曇ることなく、明るさに満ちていた。
「姉さんのサングラス姿、カッコいいなー。あたしもかけてみたいなー」
ひととおり話を聞いてしまうと、客室は少女と娘の遊戯室になってしまった。
「そう!? じゃー、かけてみる?」
「うわー、おっきすぎて駄目ー……」
「傑作よ、セド! チャーンス! いまの顔、写真に撮ったわよ!」
「駄目だめ、そんな写真が世に出たら、あたしお嫁にいけないわ!」
「セドったら、お嫁にいくって、いくらなんでも早すぎわよ」
「でもね、ほら……セドったらけっこうここが大きくなってるのよ」
「ちょっと、ゼンタ! どこ触ってるのよ! エッチ! 変態!」
ユピテールは二人の少女の逞しさに心打たれていた。
あたしにこういう友達がいたらどうなっていたんだろう? 多分いまとは違ったんだろうな……。あたしに一番影響を与えた友達……。そうね、悔しいけど、きっとトーヤね。そういえばあいつ、どうしてるんだろう?――ふとしたことでユピテールはトロイヤを思い出していた。
少しはあいつのことも考えてあげないとかもね……。
「ゼンタ、セドナ、あんまり悪さをしないでね。まあ、この辺のものを触っても墜落はしないけど……。あたし、そろそろ着陸の準備をするから、また後でね」
「はーい」
重なり合った少女たちの声を聞いたユピテールはコクピットに向かって歩きはじめた。<スフェーン>号はそれから三十分もしないで、ネバダにあるバベルの塔へと繋がる滑走路に着陸して、機首をハンガーに向けてタキシングを開始した。
「さあ、行きましょう。忘れものはないわね?」
「オッケーよ!」
「大丈夫よ、姉さん」
「あ、ゼンタ、セドナ、ちょっと待っていてくれる、すぐに戻ってくるわ」
ユピテールはジェットのタラップを降りたところで足を止めて、そういったかとおもうと、そそくさとエントランスに続く扉を開いて姿を消してしまった。
「どうしたのかしらね?」
「なんか姉さんがいなくなると、急に不安になるわね……」
薄暗いハンガーに残された二人が辺りを見回して――知らないところって、なんだか不気味ね――というそら恐ろしさに溺れそうになったとき、ユピテールが戻ってくる姿が見えた。
「お待たせ! さあ二人とも、これをしてみて」
ユピテールはサングラスを少女たちに手渡した。
「あたしたちは舐められちゃいけないのよ。女だからとか、まだ子供だからなんて思われたら負けよ。いいわね!」
「ヤー!」
「イエッサー!」
ゼンタとセドナは、さっきまで感じていた暗雲を追い払うかのように気勢をあげて見せた。
それから三人はバベルの中を延々と進み続けた。エレベーターに乗って再上階にたどりつくと、そこには長い長い直線通路があった。
トーヤたちは、銃撃戦をしながらここを通りぬけたのね……大したもんだわ――ユピテールが感傷に耽りながら足を進めていると、後からゼンタの声がした。
「姉さん、ここは静かね……人はいないの? なんだか怖いわ……」
「お化けならいるんじゃない。三人くらいかな……」
「ちょっとヤメテよ! 怖いじゃない……」
「平気よゼンタ、怖がらなくてもいいの。……そうねーでもこれから見るものは少し怖いかもしれないわね。あたしも見たことがないから……。でもいいのよ。あんまり怖かったら逃げ出していいわ。部屋の外にね。でも、あたしから離れすぎちゃだめよ」
ユピテールは少女たちの後ろに立って、足を進めることにした。
「姉さんも見たことないんだ……やだなー」
「大丈夫よゼンタ、お化けだろうが何だろうが、あなたのその青い顔をみたら逃げていくもん」
笑いの輪が花ひらいた。
「さあ、ここが第一関門よ。ちょっと待っててね」
ユピテールはスーツの上着からIDカードを取り出すと、カードリーダーに通した。
巨大な観音開きの扉につけられていた小さなドアのロックが外れる音がした。
執務室に入った瞬間、三人は嫌な臭いをかぎとった。ユピテールは素早く視線をはしらせてその原因を探っていた。
トーヤ……――「あなたたちはここにいて。奥に進んじゃだめよ。ここで待っていて」
全面ガラス張りの窓の前におかれた執務机にはトロイヤが突っ伏していた。やせ細って骨と皮ばかりになった腕が痛々しかった。わずかに見える頬は削げ落ちて土色だった。デスクの周囲には汚れた衣服が山をつくり、食べ残された残飯が腐って悪臭をはなっていた。部屋は空調がきいていて冷え冷えとしていた。
「まさか……死んでるなんてことはないわよね……」
ユピテールは兄の変わり果てた姿にショックを受けたが、恐怖と戦いつつトロイヤににじり寄っていった。
「トーヤ、トーヤ……」
「う……うんー……」
良かった生きてるわ……――しかし、ユピテールが安心できたのはほんの少しの間だけだった。
目を覚ましたトロイヤは彼女が誰だかもわからなかった。いやそれ以上に自分が誰だかも理解していなかったのだ。自分を苛み続けたことで、彼は記憶のほとんどを失っていたのだ。もうそこには天才青年はいなかった。まるで子供のように質問を繰り返すトロイヤがいたのだ。
あたしのせい……あたしのせいなの……。でも、でも……あたしだって辛かったの。あんなことされてどうしてあなたを心配できたと思うの……。でも、こんなのって酷過ぎる……あんまりよ……、でもなぜよ。なぜみんなトーヤを放置したの、こんなになるまでなぜ放置したのよ。それはあたしだってそうだったけど……でもどうしてよ……――まだその時のユピテールは、それがトロイヤ自身の意思だったことを知らなかった。
ユピテールは悲嘆と義憤にくれながら、デスクの電話を使って医務室に連絡を入れると、換気を強めて悪臭を追い払った。
「あなた……だれ? 僕はだれ? あなたはなんですか?」
「いいのトーヤ。もう何も言わないで。もう何も考えなくていいの。……あなたの名前はトロイヤよ」
「僕? あなた? トロヒヤ? 僕のななえ?」
「トーヤ、もういいの。考えなくていいの……あなたは頭を休めなきゃいけないのよ。わかる? あたしの言っていること?」
ユピテールは流れ落ちる涙もそのままに、必死にトロイヤと会話しながら医務課職員の到着を待っていた。
「トーア? トーアってなんですか?」
「あなたの愛称、ニックネームなのよ、トーヤ」
「あいじょう? ニッケナーム?」
机から何かが崩れ落ちる音がした。大量のデータディスクと書類の束だった。デスクの上には一枚の手書きの紙だけが残っていた。ユピテールはその手紙に書かれた内容を読んで床にへたり込んでしまった。
こんごの決つうだんは君にまかせえるよ、ユーピテール
もう君のなまえのスペルさあえ、わすえてしまつたみたいだ
ごめんねゆぽてーる、ぼくうお許うてくだたい
とろいや
ついしん
じいーやとおぢいー様によおしく伝あえてくたたい
あ、そえから、グリのことわ、よおしくお願ひしあすね
ボクわパパとママあのとこおにいきます
そう、トーヤ。あなたはパパとママのところに帰りたかったのね。わかったわ。叶えてあげる。あたしが連絡してあげるわ。ええそうね、それがあたしの責任よね。たとえそれで憎まれようとかまわないわ。少し待ってね、トーヤ――ユピテールは携帯電話を取り出して、ハウの自宅のアドレスを探し出すと、通話ボタンを押した。
「……ええ、はい、そうなんです。ごめんなさい。あたしのせいです……。本当にすみませんでした……あたし、こんなことになるなんて……」
ハウは冷静に受け止めてユピテールを励ました。しかし――。
グリークを戦場に送り出してからというもの、すっかり気弱になってしまったエリスが受け入れられるのか――と暗澹たる気持ちを抱えて電話を切ったのだった。
ユピテールの嗚咽はゼンタとセドナにも聞こえていた。
ここにいるべきじゃない。恐いけど姉さんのところに行くべきだ――二人はそう感じていたが、足は意思に逆らい続けて床に貼り付いたままだった。医務課の職員が数人、医療カートを押しながら現れたことで、ようやく呪縛から逃れた少女たちは急ぎ足でユピテールのもとに駆けつけた。
「姉さん!」
「ごめんね。彼はあたしの友達なのよ。いいえ、違うわ。あたしの兄さんなの……」
「姉さん……いったいどうしたの?……」
「トーヤが、トーヤが……何もわからなくなっちゃったの……あたしのせいで……あたしのせいで……」
「違うわ! 姉さんはいつも出来ることをしてきたんだもん。……あたし、よくわからないけど、姉さんのせいじゃないって思うもん……」
ゼンタの声だった。
「そうよ、姉さんはいつも頑張ってたわ。あたし、側で見てきたから知ってるわ。だって今日だってあたしたちを、ここに連れてきてくれたじゃない」
セドナの声がした。
「ごめんね。あたしがこんな弱かったら、あなたたちを不安にさせるだけなのにね」
「いいの、姉さん。泣きたいだけ泣いて。あたしもそういう気持ちだったことあるから、わかるもん」
「ゼンタ……あなたは大人なのね」
それからしばらくユピテールの涙は枯れることなく流れ続けた。だが、いつまでも泣いてはいられなかったのだ。
あたしには成すべきことがある――ようやくそのことに思い当たったユピテールは、消えてしまった炎を紅い瞳に再点火したのだった。




