第45話 再生する太陽
<スペランツァ>号のクルーたちは地球に降下したあと、数日間はそれぞれの思いに従って行動していた。ニクス夫妻はニューヨークの統括本部にあるアーカイブ・ルームにこもって、あらゆる医療データを収集してアインスの周期的な高熱の原因を探っていた。クロエとダフニスは互いの両親や親しい友人の無事を確認したり、医療ステーション<アフリカ>や、スペランツァ号の船内で、命の灯火を消していった人々から託された、遺品や遺言を届けてまわっていた。しかし、自由をえたはずの彼らクルーは、不思議なことに気がつけばカロンを偲んでタラッサの自宅に集まりはじめたのだった。
その頃、タラッサもユピテールもようやく微かな光を取り戻して、家の中では普通に振る舞えるようになっていた。
彼女たちの再生のきっかけになったのは、まだ傷の癒えていなかったミマースだった。明りの消えた自宅に戻ったミマースは、その変貌ぶりに驚いた。
――ついに俺はガラティアに捨てられてしまったのか……――と、半ば悲嘆にくれること数時間、半ば自由を得たような嬉しさを数時間味わったあと、ミマースはガラティアの居場所を探し当てたのだった。
「君は意地悪だね。僕にひとことも相談もなしで、しかも連絡もしてくれないなんて……」
「ふふふ……あたしとセドナへの愛情を試してみたかったのよ。戦争になっても、ミーはちゃんとあたしたちを守ってくれる。それを確かめたかったのよ」――と、ガラティアは受話器を掴んで笑っていた。
だが、その顔は憎まれ口とはかけ離れた喜びに満ち溢れていた。
「僕はね、意外と執念深いんだよ。だから、地獄の果てまでも君とセドナを追っていくよ」
「あらやだ……怖いわ……。まあ冗談はともかく、あたしはあなたの仕事の邪魔をしたくなかったの。でもね、あたしも強いわけじゃないし、少しばかり淋しかったし、タラも大変そうだったから、こっそり慰めあっていたのよ。……でも、それは正解だったとは思うわ」
「……カロンさんのことには、正直いうべき言葉が見つからないよ。……俺のように戦争に直接関わったならまだしも、彼はそうじゃなかった。タラさんのことを考えて、なるべく物騒な事には関わらないようにしていたからね。……残念でしかたないよ……」
「ただ宇宙が好きだった。自分の作った宇宙船に乗って、少しだけ旅行をしてみたかった。まるで少年のようね……。そんな時に世の中がたまたま戦争をやっていた……」
「犠牲者だね……」
ガラティアは側にタラッサがいることに気づいて、その言葉を口から出さなかったが、ミマースがそれを口にしてくれたことで、救われた気がしていた。
トーリの遺作であるバイオニック・グラスは、カロンのために組み上げられた祭壇の上にあった。ルーチェとの生活にすっかり慣れていたこともあったが、タラッサはそれをあまり手に取ろうとしなかった。カロンが亡くなってからというもの、ただでさえ敏感な聴覚が異常なくらい研ぎ澄まされていた。タラッサが外に出なかったひとつの原因はそこにもあった。心無い人の噂話が耳について、自分の聴覚を恨めしく思ったのだ。
しかし、ガラティアがミマースと電話で話す声を聞いていたタラッサは、彼女の言葉の中に、自分が惚れたカロンの本質を見いだしたのだった。
――そうね、あの人はいつだって少年のようだったわ……。<アキレウス>号のあの人の部屋で、随分とやりあったわね。出会った頃のあの人はまるで子供だった。自分のしたいことが出来ないとムキになってすぐに怒った。……で、その後どうしたかっていうと……いい訳よ。そう、下手ないい訳をして屁理屈をこねて、やりたいことをしようとした――。
タラッサの顔がほんの少しだけほころんでいた。
――でも、アタシもひどかったわ……。あの人のことをお調子者だといったわ……。あの人、それにまたムキになって『いいや! オレは硬派だ!』って強がって……。それでどうしたっけ?……――。
その時、彼女は記憶の糸をたぐることに温もりを感じていた。
――そうよ! あの人、お酒を飲んであたしにいったのよ。『君の周りには本当にろくな奴がいなかったんだろうな』ってね。……考えてみたら失礼な台詞よね。まるでアタシに魅力がなかったみたいじゃない……。でもその後は楽しかったわ。二人でギリシャ神話の神々の名前を口に出してパスワードを破った。 あの人ったら、無い知恵を絞って必死になってた。そうよ、最後はアタシがばっちりパスワードをいい当てたのよ――。
「ざまあ見なさい! って感じだったわ……」
タラッサはガラティアがリビングに戻ってきていることさえ気づいていなかった。ただただ思い出に浸っていたのだ。
そうした彼女の姿を見ることに、慣れはじめていたガラティアだったが、そのときタラッサの口から発しられた言葉には耳を疑った。そこにタラッサが生来持ち続けてきただろう負けん気を感じたからだ。
――自分を取り戻しはじめたのかしら?――。
顔にかかる髪が気になったのだろうか、タラッサはそれを払いのけてから、脳裏に見ている映像を追うように首を動かしていた。
――……でもそのあとのアタシも酷かったわ……。そうそう、アタシがあの人の口を閉じさせるための決め台詞、『女の直感よ!』……は、あのとき生まれたのよね。……で、そのあとどうなったんだっけ…………。そうよ、アタシがデータを読むのに夢中になって、あの人を子供扱いしたのよ。あのことは、あとになって随分と反省したわ、あのときのアタシは子供だった……。その先はいいわ……何度も思い出してきた。忘れることはないもの――。
「あの人は生きてるわ。カロンたら……あたしの中でまだ悪さをするのね……それも子供みたいに」
ガラティアはその言葉をきいて、タラッサが光を取り戻しはじめたことを確信した。
「誰? 誰かそこにいるの? ゼンタなの? 誰?」
「ごめんなさい。あたしよ、ガラティアよ。独り言聞いちゃたわ……」
ガラティアは嬉しさのあまり啜り泣いてしまったのだ。
「ラティさん、いままでありがとう。あたしやっと気がついたわ。あの人はアタシの中で生き続けているって……。ずっと待っていてくれたのね。アタシがそれに気づくことに」
「ええ、そのつもりだったわ……。でも、とても辛かった……。もう無理じゃないかって、何度もあきらめそうになったの……。ごめんなさい……いきなりこんな話をして」
「ううん、いいのよ。アタシの方こそ謝らなきゃいけないわ。自分だけが辛いって思い込んでた。アナタやユピのことをどれだけ苦しめたか、ゼンタやセドナにどれだけ心配をかけたか……やっとわかったわ」
リビングのテーブルで向かいあっていた女たちの眼に涙が光っていた。
「あたし、思い出すことが辛かった。でもね、楽しいことも一杯あったの。いいえ、むしろ楽しい思い出の方が多かったのよ。それすら忘れていたの」
タラッサの声色の変化を感じとったルーチェが、顔をあげて背筋を伸ばし、ぷりぷりと尻尾を振っていた。
玄関の方から、ユピテールが帰ってきたことを知らせる声が聞こえてきた。
「もう大丈夫。もう大丈夫よ、ラティさん。……そんなに泣かないで」
タラッサの脳裏に何かが閃いた。
「ラティさん、そんなに泣いちゃだめなのよ。肌の艶がなくなるわ。そうよ、涙は女の敵なのよ!」
新工場にエアカーを受けとりに行っていたユピテールは、廊下でタラッサの力強い声と言葉を聞いていた。
「紅茶でも淹れるわね。ユピも帰ってきたみたいだし。大人の女の会話でもしましょう。ルーチェ、カモーン」
それから、女たちは長いこと茶飲み話に花を咲かせていた。
「今日ね、ニクス兄さんから電話があったの。兄さん地球に帰ってきてるんだって。会える。もうすぐ会えるかもしれない。そう思ったらね、なんだかウキウキしちゃって……」
「みんな戻ってきたみたいね。あたしもさっきミーと電話で話したわ」
「あたしったら、自分のことばかりね。そうよね、みんな戻ってきたのよね」
「いじゃないユピ。夢見る乙女はいつも好きな人のことしか考えられないのよ」
タラッサがズバリ確信をついた。
「いや……そういうんじゃーないんだけどね。兄さんには奥さんもいるし、赤ちゃんも生まれたしね……。写真ね、画像データで送ってもらったの。可愛いかったわー」
ユピテールの頬が紅潮しているように見えた。
「いいのよ、女はいくつになっても夢見る乙女なんだから。それでいいのよ。こんなオバさんだってそうなんだから」
そういってタラッサはニコニコと笑っていた。
「やだー、あたしタラさんのこともラティさんのことも、同世代だって感じてるんだけど。オバさんだなんて思ったことないわよ」
「ユピ……お世辞が過ぎるわ。そこまであからさまだと、嘘っぽさが見え見えよ」
ガラティアが笑いのもとを作りだした。
しばらくすると、ゼンタとセドナが帰宅して、その輪に加わった。宵闇が迫った頃、さらにそこにダフニスとクロエが加わった。
小さな変化は小さな変化ではあるが、その変化が大きな何かを生みだすこともある。ひとつぶの水滴がもつ力はわずかかもしれない。だが、その一滴が川に降り海に降れば、それがやがて波紋となって大きな輪を作りだすように。
その夜、思春期へと向かっていた少女たちは、そのことを目の当たりにしたのだった。




