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宇宙の新星人たち【本編(3)】  作者: イプシロン
第3章 暴走する者たち――その末路と未来
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第44話 発熱する嬰児――アインス

 宇宙が生み出すものにはどこかしら神秘が隠されている。その神秘的な才能や持って生まれた天賦を活かす人がいれば、無駄にする人もいる。多くの場合、そうした変異ともいえる才気の萌芽は思わぬかたちをとって人の目に触れるものだ。そうした望まれし人は、百年に一度、五百年に一度、千年に一度しか現れない天才と言われ、賢人と呼ばれ、聖人と崇めらてきた。ニクスとシノーペの子、アインスにもその萌芽があった。

「この子、また熱があるわ……」

 芽吹きはいたって単純な場合が多い。ともすれば見逃しかねないものである。しかし、几帳面なシノーペはそれに気づいたのだ。

「ねえあなた、これを見て」

 シノーペはプリントアウトした方眼紙にグラフや数字が書きこまれた細長い紙をニクスに手渡した。

「なんだい、これは?」

「アインスの体温の変化を記録したものなの。わたし妊娠してからこっち、自分の体温を測るのが癖になっていたじゃない。それでね……ついついアインスにそれをしていたのよ」

 シノーペは気恥ずかしさと親馬鹿が入り混じった顔で笑っていた。

 ニクスはそんな彼女のコンピューターのような緻密さと天然な茶目っ気をその笑顔に見て、

「といわれても……君がなにを気にしているのかを説明してくれないと俺にはわからないよ」――

 という単刀直入な言葉を返した。

 方眼紙の上を不規則にのたうっている一本の線には、よく見ると規則性があった。縦軸はアインスの体温、横軸はここ半年の時間経過になっていた。なるほど、シノーペが不審がるわけである。その線グラフは毎月きまった日付の辺りで急上昇していたのだ。

「よく熱を出す。それは知っていたつもりだし、赤ん坊ってそういうものだと育児書にもあったわ。でもこれはおかしいと思うのよ」

 ニクスも時おりアインスが命に及びかねない高熱を出すことは知っていたし、心配して気にかけてはいた。しかしそれが一過性のものではないとしたら、ことは重大であるかもしれない。そう思ったのだ。

「もう少し詳しく検証してみよう、シー座ってくれ」

 まるで、作戦会議のように表情を引き締めたニクスは、シノーペに椅子へ座ることを勧めた。

「毎月四十度近かったのか……これは驚いたな……」

「熱を出すたびにクロエに解熱剤を投与してもらっていたんだけどね、見ているだけで可哀そうになるのよ」

 シノーペは母親らしい感想を漏らした。

「で、ダフには診てもらったのかい?」

「いいえ、それがまだなの……。それを考えたから、あなたに相談したのよ」

 ニクスは納得した顔をして、アインスが静かに眠っているベッドに視線を走らせた。赤子は白い服を着せられていたせいもあったが、顔や手や足を真っ赤にして時々その小さな四肢をけだるそうにゆっくりと動かしていた。

「シー、善は急げという。今すぐダフに連絡をとってみよう。それに、熱があるときに診てもらったほうが原因を究明しやすいと思うしね」

 ニクスはいいながら椅子を蹴って艦内電話のある場所へと歩みよっていった。

「俺だ、ニクスだ、忙しいところすまないが……」

 シノーペは机に棚引いている細長い紙を見直しながらニクスの声を聞いていた。

 ――もう何度も見たのよね。でもどこか見落としている気がするわ……。育児データ、生後六ヵ月までに罹りやすい病気のデータ……それも何度も確認したものね……。駄目ね、わたしには思い当たる節がないわ……――。

 その時、シノーペの脳裏に思い出したくもない映像が浮かび上がった。それは、かつて自分が<スペランツァ>号の自室でニクスを性奴隷として扱っていたころの記録映像のひとコマだった。元DOXA情報局の優秀な諜報員だったシノーペにとって、自室の監視カメラが捕らえた映像を記録しておくことは任務のひとつだった。

 しかし、シノーペにとってその当時の映像を見ることは苦痛でしかなかった。今、必死になって愛娘のためにダフニスと話している、愛する夫を鞭打ち、服を引き剥がし、拘束具に繋いで自由を奪っている自分の姿が見えた。与えてもらったばかりの玩具に眼を輝かせ、奇怪な笑い声をあげてはニクスを愚弄して辱める言葉を吐いている。あげくの果てには、愛する人の口にワインの瓶を突き刺していた。そして、自らの性欲を満たそうとして、際限もなく体をヒクつかせて痙攣している映像が見えた。何度もオーガズムを迎えた女は気絶したかとおもうと意識を取り戻し、あろうことか、今度は媚薬をつめた注射器を夫と自分の腕に突き立てて、まるでニクスの生気を残らず搾り取ろうとするかのように、また腰を動かし続けていた。その女の瞳には、まごうこと無く狂気があった。

 ようやくのことでデータカード一枚分の映像を再生したシノーペは、きつく瞼を閉じてその映像を消し去ろうとした。頭に圧迫感を感じて、軽い眩暈がしていた。そのとき、ニクスが電話を終わらせて彼女の横に戻って来た。

「十分くらいで来てくれるってさ。もっとも無理をいって来てもらえるようにしたんだがね……」

 ニクスは明るい表情で頭を掻きながらそういった。

 とは対照的に、シノーペは碧眼の瞳に懺悔の雲を浮かべながら、ぼんやりした声でニクスに話しかけてきた。

「ねえあなた……アレの影響があるとは考えられない?」

「え? アレってなんだい?」

 ニクスはシノーペが口にしたアレのことなど、とうに記憶のゴミ箱に入れて、粉砕機シュレッダーにかけてしまっていたのだ。不審顔と真面目顔が混ざった表情でニクスはシノーペの眼を見つめた。彼女の表情には、地に足がついていないような感じがあった。

「ほら……あたし……」

 俯いたシノーペの瞳に慚愧に耐えない翳がかかった。

「あたしたち……変な薬を射っていたこと、あったでしょ……」

 その声は蚊の鳴くような囁きだった。見る人が勘違いをしたなら、愛を囁いている生娘に見えたことだろう。

「薬?……」

 とたんに、ニクスの脳裏でバラバラに切り刻んでおいた紙片が一枚になっていった。ニクスの碧眼の瞳も翳っていった。だが、その眼差しにはそれに負けない強さがあった。

「いいや、君が僕に射ったのはただの媚薬だ。あんなものが子供に影響を及ぼすはずがない。いやそれ以前にあれから何年経っていると思うんだ……。ありえないよ、シノーペ。そんなことはありえない……」

「じゃあ……」

 シノーペの顔は苦渋に満ちていた。今にも泣き出してしまいそうな陳謝に覆われていた。 

その時、ニクスはシノーペが何を伝えたかったのかを察した。

「シノーペ、もう何も思い出さなくていい。もういいんだ。俺は君が苦しむことを望んでいない。もういいんだ。もう思い出さないでくれ……そんなものは消し去っていいんだ」

 シノーペはその愛情溢れる力強い声をきいて眼が、首筋が、耳が熱くなっていくのを感じて、思わずニクスの胸に飛び込んでしまった。彼女を抱きとめたニクスはアインスに注いでる愛情と変わらない思いを込めて、シノーペの背中を撫でていた。

「でも……もしアレの影響だったとしたら……ダフにはそのことを話したほうがいいな……」

 ニクスの囁きを耳元で聞いていたシノーペが小さく頷いたとき、ドアをノックする音が聞こえた。

 返事も待たずに扉を開けたダフニスはあっけらかんとした声をあげた。

「おいおい、僕は急がしいんだぜ。熱があるのはお二人さんかい? であるなら、僕の診察は必要ないだろう……」と。

 とたんに部屋が笑いに満ちた。

 それから、ニクスはダフニスと二つ三つ冗談の豆鉄砲を撃ちあってから、ことのしだいを――暗黒物質のことを含めて説明しながら、アインスのもとにダフニスを案内したのだった。

「そういうことであれば、型どおりの診察というわけにもいかないし、もっとデータも必要かもしれないね。とはいっても……ここの設備もデータもまだまだ完璧にはほど遠い。……まあ出来ることをやってみるよ」

 説明をうけたダフニスは開口一番、そうニクスたちに伝えた。結果はダフニスが前置きしたままになった。

 ダフニス曰く――

「データ不足すぎる部分もあるけど、端的にいえば原因不明だね」――ということだった。

 それから三人はあらゆる可能性を提示してみせては検証しあった。ダフニスはまるで時間など気にしていないかのように、ニクスとシノーペの声に耳を傾けていた。そのニクスたちもダフニスの忌憚のない意見を素直に受け止めていた。

「どちらにしても、カロンのこともある。ミマースのこともある。早急に地球に下りたほうがいいな」

「そのようだね。……僕としても降下に賛成だ。それに何よりクロエが喜ぶよ。彼女の宇宙鬱も日増しに悪化しているからね……。クー自身はまだ頑張れるっていうんだけど、その頑張るが問題になるし、彼女は働き過ぎだ。体質的に宇宙が合う合わないではなくて、休養が必要だと思うんだ……」

 ダフニスにはダフニスで、また深い悩みがあったのだ。

 元<スペランツァ>号のクルーたちは、全会一致で地球への帰還を決めたのだった。それまで降下の許可を出したがらなかったムーシコフも素直に首を縦に振った。参謀総長にしても、行き詰まった状況を切り開くために、相談役としてニクスを地球に呼び戻したかったのだ。

 数日後、隠密裏に練られた降下計画に沿って<スペランツァ>号は医療ステーション<アフリカ>が眠りにつく頃、ボーディング・ブリッジから離れ、翌日、フロリダにあるDOXA宇宙センターに無事着陸したのだった。

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