第40話 光と闇の激突
その日、ユピテールは珍しく頭痛をおこして、寝坊してしまった。
「なんてこと! もうこんな時間じゃない! ヤバイヤバイ!」
そそくさと着替えを済ましたユピテールは、階下へと駆け下りた。しかし、そこにはタラッサの姿もガラティアの姿もなかった。
――当然よね。とっくにあっちに向かってるわよね……――。
ユピテールは二階に駆け上ったかとおもうと、鞄と小包を引っ掴んで階段を一足飛びに下りて玄関を目指した。
「あいたたた……。駄目だめ。薬飲んでいこっかな……」
軽快な足音がキッチンへと向かい、それからまた玄関へと戻ってきた。
ユピテールは、ドアを開けた瞬間、家の鍵を持ち忘れ、エアカーがないことに気づいた。
「ちょっと! 落ち着きなさい、ユピテール!」
彼女は自分にそういい聞かせると、玄関の壁にかけられたキーを取って戸締りをすると、それから大通りへと出た。
「ヘーイ、タクシー!」
今どき珍しい声とともにユピテールは、脱いだハイヒールの踵を持ち上げてブンブンと手を振っていた。
しかし運の悪いことに、どのクルマも乗車中のランプを灯らせていた。
「なんなのよー。こんな不景気なのに、どういうこと!?」
戦争がはじまってからというもの、誰もが先行きの見えない生活におびえ、景気は底を打ち続けていた。
「しかたがないわね……」
意を決したユピテールは、目的地の方向に早足で歩きながら行き交うクルマに視線を投げかけていた。
――こうなったら……ヒッチハイク? いいえ、そんなお行儀の悪いことはできないわ……――。
といいながらも、ユピテールは脚にまとわりつくタイトスカートの裾を、引きちぎってやりたい気持ちに取りつかれていた。
「あーもう、イライラするわ! なんでこれを選んだの? あたし何やってるのかしら……。習慣て怖いわ……」
ユピテールの怒りと焦りが噴火する寸前のところで、ようやくタクシーが甲高いブレーキ音を引きずりながら止まった。
「フロリダよ! フロリダに、レッツ・ゴー!」
「……どうもこれは気忙なお客様ですねー」
「金ならたんまりあるわ! スピード違反なんて怖くないの。さ、ぶっとばしてちょうだい!」
「…………」
老練な運転手は変わった客との会話を楽しみながら、出せる限りのスピードで高速道路をひた走っていた。
ようやく冷静さを取り戻したユピテールも、白髪のドライバーにガデアンを重ねて会話を楽しんでいた。
到着時間を知らされた運転手は、時おり過激なまでの速度違反を犯しながら、なんとか予定の時刻にまにあう場所までくると、それ以上の危険をおかさずに済んだことに安堵した表情を見せていた。
「すみませんね……あたし、舞い上がると凶暴になるもので……」
後席に座っていたユピテールは、借りてきた猫のように小さくなって恐縮していた。
「うちの孫にも、そんなところがありますよ。なーに、捕まらなければこっちのものです」
白髪の老紳士は、そういって白い歯を見せた。
「あらまあ……。あたしの無謀さがのり移ったみたいですね」
ユピテールもまたのびのびとした笑顔をみせた。
――あたしはこういう人間が好きなの。庶民が持つ逞しさ。そういうものが好き。美しく着飾っていても、ガラスのように壊れやすかったら意味なんてないのよ。何度踏みつぶされても顔をあげる、たんぽぽのような図太さが好きなの――。
タクシーは予定より少し早くDOXA宇宙センターのメインゲート前に滑り込んで、ドアを開いた。ユピテールは料金にチップと名刺を添えて、
「何か困ったことがあったら電話をしてください。……大してお役には立てませんが、気持ちです」
「これはどうも。ああ、お嬢さん、これを持って行ってください」
皺だらけの節くれだった老人の手から、ユピテールの掌にキャンディーが零れだした。それは黄色いレモン味と青い色をしたスモモ味だった。
「ありがとうございます。子供たちが喜びます」
「……お子さんいらしたんですね……」
「ええ、二人なんでちょうど良かったです」
意外そうな顔をした運転手に笑顔で別れを告げたユピテールは、駆け足で宇宙センターを横切ると、その先にある海岸へと向かった。そこには沢山の人が集まっていた。
――困ったわねー。こんなに人がいるとは思わなかったわ……――。
そのとき、遠くからユピテールを呼ぶ声が聞こえた。ゼンタとセドナの声だった。
「お姉ちゃーん、こっち、こっちー!」
「ゼンター! セドナー!」
荒れた息を整えることもなく、ユピテールは疾走した。
ゼンタ、セドナ、そしてガラティアとタラッサが彼女を迎えた。
「なんとか間に合ったわ……。ラティさん、どうして起してくれなかったの? ひどいわ」
「ユピ、ちゃーんと起したのよ。でもあなたは起きなかったの。どうやらいい夢を見ていたみたいよ……。だからおいてけぼりにしたわ」
「まあ、なんてこと! あたしったら……恥ずかしいわ。……確かにいい夢は見てたんだけどね……。それよりタラさん、これ……」
ユピテールは鞄から小さな包みを取り出すと、タラッサの手を取ってそれを掌に乗せた。
「開けてみて……」
「何かしら?……。ん? 眼鏡? 眼鏡かしら?」
タラッサは不審げな表情で手元をまさぐっていた。
「かけてみて……」
「…………ユピ……ユピ!」
少し膨らみのある金縁の眼鏡をかけたタラッサは驚愕の表情をして瞳を輝かしていた。
「……どういうこと? ……あれ? なんか変よ……見える……見えるわ、アナタの顔が……。これ……どうしたの?」
「トーリさんの遺作です。バイオニック・グラスっていうらしいんです。トーリさん、タラさんの症状にあったものを開発していたんです。あたし……遺品の中から設計図を見つけて、DOXAの技術部に頼んで作らせたんです」
「トーリ……トーリが……。なんて人たちなのアナタたちって!」
タラッサの眼に涙が滲んでいた。
「ママ、あれかな? あれがそう? ママ、見える?」
ゼンタが空を指差していた。女たちは一斉に空を見上げた。
そこには、快晴の大空に白い航跡を引きながら降下してくる<ナロート・パビエーダ>号とその姉妹艦が浮かんでいた。
「パパが乗ってるのはどれ?」
「お尻が赤く塗ってあるやつよ」
ユピテールが少女の問いかけに早口で答えた。
「見える……見えるわ……色もハッキリわかるわ! 素晴らしいわ、ユピテール。ありがとう……ありがとうね」
タラッサはユピテールの後ろに立って、彼女の体を抱きしめながら空を見上げていた。
ガラティアの眼尻にも、涙の粒が膨らんでいた。
「せっかく出迎えに来たのに、涙でなにも見えないじゃない!」
ユピテールも感涙にむせんでいた。
白いシュモクザメを模した<ナロート>型宇宙船の三隻は、観客に気づいてしばらくデモンストレーションをして見せた。
それから、三隻は距離を開けると、<パビエーダ>号から順番に着陸態勢に入っていった。
刹那――
<パビエータ>号の船体の各所から、閃光が瞬いて火球が膨らんだかとおもうと、船全体が炎に包まれて黒い煙を噴き出しはじめた。テロだった。
「なに? なにがおこったの? これはデモなの?」
「…………」
「……どう見ても変よ……どういうことよ!?」
船が突き進んでいく方向から悲鳴が巻き起こった。
「テロよ……テロだわ……」
「嘘よ……なんでよ! どうしてこんなことになるの……。あの船にはカロンが乗っているのよ! 嘘よ……」
タラッサは電光に打たれたように走り出していた。
「タラさん、無理です! まだ体が慣れていないはずです!」
ユピテールが叫んだと同時にタラッサは砂浜に足を取られて倒れていた。すぐ側に脱げた靴が落ちていた。しかし、すぐに起き上るとまた走り出しては倒れた。足に残っていた靴が脱げていた。
「タラさん! まって! あたしも行くわ!」
ユピテールは手にしていた鞄を投げ捨てると、両足からハイヒールを引き剥がしてタラッサのもとへと走りだした。
砂煙が舞いあがり、<パビエーダ>号の立てる金切り声が耳をなぶっていた。
ガラティアは必死の思いで、ゼンタとセドナを抱きかかえて、残酷な光景を見せまいとした。
「いやー! いやよー! なぜアタシからカロンを奪うの! 酷いわ! なぜアタシの眼の前であの人を奪うの!! いやー!! いやあああーーーよおおおーーーー!! アタシも連れていってよー!!」
「タラさん!……」
ようやくタラッサに追いついたユピテールの眼の前で、<パビエータ>号は地上に激突して巨大な閃光と火球を膨らませた。爆発は大地を激しく揺るがして、そこにいた人々の足元から腹へ、腹から胸へと振動が這いあがっていった。
爆風と熱波が辺りを覆い、たくさんの人が吹き飛ばされて倒れるのが見えた。ユピテールもタラッサも目を開けていることさえ出来なかった。耳がジンジンと痛み、鼻と口に砂が吹き込んで、口の中でじゃりじゃりとした苦い味がした。顔にまとわりついた髪を払いのけて、船が墜落した場所に何とか目を向けたユピテールは、火球が萎んでゆき、巨大な火柱が吹き上がって、キノコ雲が湧きあがるのを目にした。
「タラさん……もう見ないで!! あたしのせいで……あたしのせいで……」
「カローーーーーン!! いやあああぁぁぁーーーーー!! いやーよーーーー!! どうしてこんなことになるのよー!!」
悲鳴をあげ、逃げ惑い泣き叫ぶ人々に破片と火の粉が降り注いでいた。
「タラさんお願い……もう眼鏡を外して! お願いだから!!」
ユピテールは全身砂まみれになって座り込んでいたタラッサを無理やり突き倒して、タラッサの顔に手を伸ばした。
「やめてー!! アタシは見るの!! アタシ、アタシ……あの人にちゃんとお別れをいうの!! やめてユピ! アタシからこれいじょう光を奪わないで! アタシは、焼き付けておくの! あの人が情熱を込めて作った船を……」
しかし、その船の姿はもうどこにもなかった。降り注ぐ火の粉がユピテールの髪を焦がしていた。いやな臭いがした。
「どうしてこんなことになるのよー!! もういやああぁぁーーー!! どうしてよおおおぉぉぉーーーー!!」
ユピテールは悲憤と痛憤に呑みこまれて、両の拳で何度も何度も砂浜を打ち据えていた。腕が折れるほどの痛みを感じていたが、やめることが出来なかった。
滲んで曇った視界に中で、ユピテールは恐ろしいまでに暗く冷たい憤怒と虚無に襲われていた。立ち上がることも、立ち直ることも、顔を上げることさえ出来ない深い深い悲しみと喪失があることを、ユピテールは初めて知ったのだ。命というものの大切さと儚さを。これでもか!――というほど思い知ったのだ。そして、この戦争の中で多くの人々がそうした悲しみを味わっていることを実感として胸の中に埋め込んだのだった。
涙は枯れることなく流れ落ち、砂浜に沁み渡っていった。眼も頭も燃えるように熱かった。屈強な男の二の腕でグイグイと締め上げられているような圧迫感を頭に感じていた。やたらに口の中がザラついて塩辛かった。声が枯れようが構わないというほど何度も何度も絶叫した。喉がヒューヒューと呻いて肺に鈍い痛みを感じた。心臓に錐を揉みこまれているよう鋭い痛みがあった。声が枯れても、声にならない声で叫び続けていた。そうしていなければ、気が狂ってしまいそうだったのだ。気を失ってしまいそうだったのだ。




