第30話 悪魔の歴史
月は太陽があってこそ美しく輝く。誰もが知り誰もが忘れかけていることが、ネバダにあったバベルの塔で実態化していた。DOXAの月と太陽といえたトロイヤとユピテール。二人の蜜月関係は解消されてしまったのだ。それからというもの、トロイヤは心を閉ざして執務室に閉じこもるようになっていた。
両親であるハウもエリスも、ユピテールがニューヨークに戻ったことを知ったニクスも、心配してあたたかい言葉を投げかけ続けた。だが、トロイヤはそうしたものをすべて弾き返して孤独を選んだのだった。何よりも彼の心にわだかまっていた、ユピテールへの罪悪感からだった。それは日々一瞬一瞬の中にあらわれては彼自身を責めたて続け、苦しめ続けたのだった。トロイヤは彼女への懺悔の気持ちから、誰人をも寄せ付けず、両手で握りしめた短剣で何度も自分の胸を突き刺すように罪を告白しては、過ちをあがなおうとしていたのだった。
日に三回とどけられる食事にもほとんど手をつけず、衣服が発する悪臭に我慢ができなくならない限り、着替えさえしないありさまだった。必要な連絡はすべて電子機器の通信網にたよっていた。夜もなく昼もなく、思いついたときにデスクに向かい、それ以外の時間はソファーに身を横たえては惰眠を貪っていた。日毎にトロイヤの執務机のまわりには、汚れた服や食べ残された食器をのせたトレイが積み上げられ、防壁をかたち作りはじめていた。垢と埃にまみれて薄汚れた砦からは、ときおり栄養剤のビンがころがり落ちては、乾いた音をたてていた。トロイヤの肉体は、そこに積み上げられた防壁に癒着し、その心は膿となってトロイヤという人格自体すら腐敗させていった。
かつての天才青年トロイヤの姿はそこにはなかった。耳もとで切りそろえられていた銀白色の髪はふぞろいに伸びて、使いふるされた筆のように乱れていた。だが、スミレ色の瞳には、まだわずかに光が残っていた。
――超新星爆発、中性子星、パルサー……僕が彼女のいった発想に気づいていなかったわけじゃない……。だけど、どう説明すればよかったっていうんだ……。BH砲やビームの強化、反重力フィールドでの防御ならいい……それに近いものは、僕だって試作や製造にゴーサインを出したんだ……――。
トロイヤは脳裏に映像をうかべながら深い思考に沈んでいた。だがそのとき浮かんだ惨たらしい光景に嫌悪感をかんじて、激しく頭をふって机に爪をたてたのだった。
――ユピは知っていたというのか!? それがどんなに恐ろしい結果を生むのかを……。いいや、彼女は知りはしなかった……知らないはずだ……――。
トロイヤはPCを操作して、何重ものパスワードで厳重に守られているデータを呼び出した。
――石、剣と刀、槍や薙刀やハルバード、弓と弩とカタパルト、火矢、火薬、鉄砲、ダムダム弾、突撃銃、散弾銃、機関砲、バルカン砲、大砲、列車砲、ダイナマイト、爆弾、焼夷弾、ナパーム弾、地雷、手榴弾、白燐弾、毒ガス、火炎放射器、ロケット砲、細菌兵器、サリン、マスタードガス、風船爆弾、TNT爆薬、成形炸薬、プラスティック爆薬、枯葉剤、クラスター爆弾、バンカーバスター、燃料気化爆弾、デイジーカッター、劣化ウラン弾、V-1、V-2ロケット、トマホーク、大陸間弾道弾、電磁パルス兵器、ビーム砲、BH砲、洗脳……原子爆弾、水素爆弾、中性子爆弾……――。
画面には兵器の歴史そのものが映し出されていた。トロイヤがキーを叩くと、映像が切り変わった。
「もう何度も見た……見飽きたんだ……もうこんなものは見たくないんだ! たくさんなんだよ!」
トロイヤは絶叫したつもりだった。だが声はかすれて言葉にならず、呪詛のような呻きが部屋に響いただけだった。モニターには石を投げつけられた傷跡から、原爆の熱線を浴びて皮膚と血膿を吊り下げながら、両手を幽霊のように垂らした少女の姿があった。その少女は顔一面にケロイド状の火傷をおって、目も口も開けられなくなったまま虚空を見上げていた。トロイヤがユピテールにはじめて出会ったころのと同じくらいの歳の少女だった。
「ユピは僕にこれ以上の悲惨さをもたらす兵器を作れといったんだ!!」
トロイヤは悲憤慷慨たる奔流を喉の奥から湧きあがらせると、地獄さえ焼きかねない火炎のような息を吐きだした。
放心状態のまま、トロイヤが無意識にモニターのページをめくると、画面にはさらに凄まじい画像が次々とあらわれた。写真の下のキャプションには――治療法なし。数時間以内に死亡確実――と、赤く太い文字があった。
トロイヤはガクリと俯いてから両手で頭を抱えると、デスクに涙で水溜りをつくった。
――僕には……これだけはできないんだ……どうしたって無理なんだ……――。
ひとり煩悶を繰り返す日々は、トロイヤにとって焦熱地獄そのものだった。禁忌に触れさえすれば戦争は終わらせられる。だがそのパンドラの箱がもたらす惨禍が戦争以上であろうことをトロイヤは嫌というほど知っていたのだ。
――もしも、パンドラの箱の底にある希望が飛び出すまえに蓋を閉じてしまったなら……宇宙には絶望しかなくなってしまうんだよ……――。
「くそー……僕はどうすればいいんだ……。ただここにこうしていて、無為に日を送っているだけじゃないか…… 情けない……情けない奴だ、僕は……」




