第29話 魔女の思惑
テランの中心勢力である、地球軍とDOXAは「ケレス星域会戦」と「トーリの訃報」という大きなできごとの中にあっても、資源確保や軍事体制の強化を怠らなかった。
世論はようやく落ち着きを取り戻し、線グラフは急変動をやめ、一本棒にちかいゆるやかな波を描くようになっていた。
地球軌道にはサンゴ礁に囲まれたかのような良好な泊地となっている、リング形の中央区画に司令搭をもつ宇宙ステーション<アメリカ>、<ロシア>、<アジア>という軍事ステーションと、球形をした宇宙医療ステーションである<アフリカ>が完璧な稼働状態にはいり、月とともに地表に影を落としていた。<スペランツァ>号はDOXAの新鋭艦<ナロート型>三隻やそのほかの調査船とともに、<アフリカ>から長くの伸ばされた何本ものボーディングブリッジに繋がれて、宇宙ステーションに係留されていた。
地球軍の艦隊は再編成され、新編なった第七艦隊を含む八つの艦隊が太陽系の守りについていた。<アメリカ>基幹の第三艦隊。<ロシア>基幹の第五艦隊。<アジア>基幹の第七機動艦隊。そして二つの月基地には第ニ艦隊と海兵隊の第八艦隊が駐留し、木星軌道では第一機動艦隊と第六艦隊のふたつの船団が遊弋していた。
開戦からずっと輸送任務についてた三個潜宙戦隊は、反重力推進ブースターを装着して貨物コンテナーを牽引するという戦術の導入により、輸送量の大幅増加を得て、一個戦隊がその任務をとかれ、新編された第四戦隊とともに、二個潜宙戦隊が火星宙域と、火星と木星の間にあるアステロイドベルト――不規則な軌道で動き続ける大小さまざまな大量の岩塊がある宙域で、哨戒任務についていた。
「ケレス星域会戦」で勝利をおさめたツァオベラー勢も、黙って座していたわけではなかった。極度のオートメーション化に成功し、「アル・インサーン」団の新設を成し遂げていた。会戦で目覚ましい戦いを演じたエロスは、その新規戦団を配下におさめ、それまでエロス揮下だった「マフムード」団は、そのころ頭角をあらわしはじめていた司教、サウラー卿の配下となった。
おおよそ地球の三倍の大きさを誇る海王星だったが、ツァオベラーは膨張した聖戦団の居留地に苦慮していた。そうした理由から、エロスは海王星の衛星――ネレイドに戦団根拠地を建設中だった。ピラミッドの頂点をすっぱりと切りとったような四角錐の建築物は、すでにその堂々たる外観を露わにしていた。
ウルジュワーン根拠地には「アル・インサーン」団の旗艦、純白の悪魔よ呼ばれる<カプティエル>の姿があった。
「あんたの面倒をみるのも楽じゃない、あたしだって苦労してるのさ」
「苦労? いったいなんのことだい?」
アグリオスは最新型の電子機器に囲まれた設計室にいた。
「呑気な男だね。あんたは周囲から嫉妬されていたことに気づいていなかったのかい?」
「嫉妬? そんなものがなんになるんだ?」
白衣の男はモニター画面をみつめながら、エロスの声を耳にしていた。
「科学者という立場の人間はほかにもいる。そういう連中があんたに嫉妬していた。そういうことだよ……中にはね、あんたを背中から刺してやろうと思っている輩もいたってことさ。だから、あたしはあんたをここに連れてきたのさ」
「それは大した問題ではないのだよ。……それよりもね、困っていることがひとつあるんだよ……」
エロスはワイングラスを傾けながら、その部屋とは不似合いな華美に装飾されたソファーに身を沈めていた。
「なんだい?」
「ここにいると神に対しての崇拝心をあらわす礼拝ができないのだよ……」
「フ! くだらない……。そもそも、あんたには礼拝する必要がないんだよ。自分の身の危険さえ気にしない科学一辺倒の執念しかないあんたに、洗脳じみたグラッジ・コントロールはいらないってことさ」
その日、エロスはインナースーツを着ていなかった。
「けどね、あたしとしちゃー、もう少し科学以外にも執念をもって欲しいのさ……」
エロスは飲み干して空になったグラスをサイドテーブルに置くと、アグリオスのもとへと歩み寄った。
部屋にタナトスの香りが漂った。
アグリオスのデスクに腰をかけたエロスは、体にまとわりついていた髪とマントを追いはらうと――
「つまり、こういうことさ……」
といって、生のままの太腿を曝けだして見せた。
アグリオスの喉が動き、生唾を飲む音が聞こえた。
「いいじゃないかい……少しは効き目があるようだね……」
「確かに君は魅力的だ。……だがね、わたしが追い求めているのは科学なんだよ」
「チッ! つまらない男だねー……。あたしはね、あんたに協力した。今もしている。だから少しはあんたもあたしに優しくしろ……そういってるんだよ」
エロスはアグリオスの体に腕をからめながらいった。
「とういうと?……」
「そうだねー……、あんたが性的に不能なことは仕方がない。……けど、それ以外ならあたしの望みを叶えることだってできるだろうに……」
アグリオスはエロスと目をあわせてから訊ねた。
「つまり?」
「そうだね……あんたのやってきたこと、あんたが今やっていること。そういうものを少しはあたしにも教えて欲しい。そういうことさ……」
「エロス……君は何が知りたいんだ?」
「そうさねー……とりあえずは、人格コンピューターのことかねー……」
アグリオスはブラウンの瞳に歓喜をたぎらせて得意げに話しはじめた。
人格コンピューターのこと、ギザ基地での研究成果、PETU研究員だったころのこと、海王星に根をおろしてからのこと、暗黒物質のことなど、アグリオスは飽きることなく、自らの科学者としての歴史を滔々と語り続けたのだった。
「なるほどね……。それで、人格コンピューターに対してはグラッジ・コントロールが出来ないことに気づいたわけかい……」
「ああ、そうだ。あれには苦労したんだ……。私の研究の中でも一、二を争う発見があったんだ……。つまりね、暗黒物質の結晶から発生された振動波だけでは、彼らをグラッジ・コントロールできなかったんだ。しかし、わたしは見つけだしたのだよ……その方法を……」
「そいつはどんな方法だったのさ?」
ワインの酔いとタナトスの香りで興奮していたエロスは、アグリオスの手をとって、露出していた色白な太腿に触れさせていた。
「光さ……。考え方自体は古かったんだ。わたしが火星のギザ基地にいた頃の発想だからね。ようするに、光と闇は一体。そう考えたのさ。そして……」
「そして?……」
エロスは愉悦した表情をしながら、白い手で自らの股をまさぐっていた。
「暗黒物質の振動波に、光の波長を融合させてみたのさ。……成功だった……」
アグリオスのその言葉を聞いたかとおもうと、エロスは瞳から恍惚とした光を放って体を痙攣させた。
「君……熱があるようだけど大丈夫なのかい?」
部屋には電子機器のたてる音と、エロスの乱れた吐息だけがあった。
「平気さ……。あたしにとっちゃーこれが解熱剤なのさ……。それと、あんたがあたしのために作ってくれたこの香水……それがこの熱を下げてくれるんだよ……」
「けど、エロス……君のそれ…………」
アグリオスは露わになっていたエロスの恥部に目を落としていた。
「誰にも話すんじゃないよ……あたしらだけの秘密だよ……。あたしはあんたを保護してやっている。そしてあんたに生気と智恵を与えてやったんだからね……」
「ああ、それは充分にわかっているつもりだ……」
エロスは前が割れて開いていた、装飾の施されたコルセットを閉じると、それをスカートで覆って、何もなかったかのように立ち上がった。
「あんたの発想はまだ枯れちゃーいない……。いいかい、あたしはね、この戦争に決定打をうてるものが欲しいんだよ……早いとこそいつを開発しておくれ……。それとだ……人格コンピューターをもとに戻す方法も研究しておいておくれ……」
「君は……神に触れようとしているのか!?」
「馬鹿をおいいじゃないよ! いいかいアグリオス、思い出すんだよ! あんたが神を作っちまったことをだ」
エロスはアグリオスの肩を掴んで、白衣の男を激しく揺さぶった。
「…………」
「今日はこれまでだよ……あたしは忙しいんだ……。本星にいたときのように毎日会いにきてやれるわけじゃーない。あんたはあんたのちからで、グラッジ・コントロールを払いのけるんだよ。いいね!」
「エロス……君はいったい何を考えているんだ……」
「いい子だから……」
エロスはアグリオスを優しく抱擁すると、毅然と立ち上がって部屋をさっていった。タナトスの香りだけを残して。
――この心の揺れはなんだ? わたしはどうなってしまったんだ? エロスに共鳴したのか? 共振か? ん?……振動?……まてよ?……まてまて……ちょっと待ってくれよー……――。
突如、降って湧いた霊感に打たれたアグリオアスは、確信した瞳でモニターを凝視すると、その霊感をキーボードで入力しはじめたのだった。




