第25話 バベルの塔崩壊す
「ケレス星域会戦」での敗退は、太陽系の地球軍勢力圏に深刻な影響をもたらした。兵たちの心に疑念を抱かせ、多くの移住者たちが戦火の及ばない宙域をめざす疎開を誘発したのだった。地球の防衛拠点である月の重要度は高まり、宇宙の総合病院は急激に軍事色を強めていった。
月基地に足をつけたニクスとシノーペ、カロンやクロエ、ダフニスたちにとって、それは寝耳に水だった。地球軍参謀本部は、失った戦力と資源の確保を考慮して、彼らの地球帰還に一時ストップをかけたのだ。大気圏という壁が彼らの前に立ちはだかった。着陸するにしても、離陸をおこなうにしても、膨大なエネルギーや推進力、そして時間を消費することを憂慮したのだ。儚くとも希望を失わなかったテランの心を慰めたのは、建造が進められている宇宙ステーション<アジア>であり、宇宙医療ステーション<アフリカ>の存在だけだった。
「月だっていつどうなるか、わかりゃしないぜ……」
「わたし……もう地球に帰りたいの……」
人々は叶うことのない願いを口にしては、自らに同情の言葉を投げかけたのだった。
だが、人類にとってまだ広大であった太陽系において、ひとり誰よりも深い煩悶に沈んでいる者がいた。その者は黄褐色の砂と岩山にかこまれた、ネバダ州の荒れた大地にそそり立つ、半月をかたどった建物の最上階にいた。
軍から受け取った、「ケレス星域会戦」の映像と文字データに目を通し終えたトロイヤの眼には、深い愁傷とそれ以上の怒りがあった。
――ミマース少将の作戦判断やギュゲス少将の戦術は、これ以上はないほど的確だ……。なのに地球軍は負けた。……原因はわかるほど解っている。僕の責任だ……。兵器の開発に遅れをとってしまった僕の責任なんだ……ムーシコフ総長もニクス兄さんも、誰も僕を責めはしない。けど、これは僕のせいなんだ……――。
「これだ……」
トロイヤは火花を纏った黒いビームが戦闘艦を撃ちすえた映像を繰り返し眺めては、同じ言葉を繰り返していた。
――こんな発想……いったい誰が考え出したんだ……。僕でさえ実現化させた反重力フィールド……これはまだいい。これは使い方の問題だからね……。それとこれだ……ビームの射程を抑えても威力をあげる。これくらいなら僕にだって考えついたことだ……けど……」
開かれたままデスクに置かれたノートには、トロイアがメモしたアイデアがびっしりと書きなぐられていた。
その時、銀白色の青年の思索を妨げるかのように、ユピテールが姿を見せた。彼女は執務室の天井まで届く彫像と一体になった柱になど目もくれずに、そそくさと自分のデスクへと足を進めていった。ちぢれたブラックグリーンの髪をなびかせながら、ラメが散りばめられた濃い紫色のハイヒールで床を叩いていた。部屋は夏の暑さでほんのりと蒸しかえっていた。黒いミニのタイトスカートの裾を波打たせて、ユピテールはデスクの前までくると、椅子を引いて腰をかけた。
「おはよう……今日はさらに浮かない顔をしているわね……顔が青白いわ……。レディーを迎えたんだから、少しは血の気のあるところでも見せなさいよ」
「血の気か……」
そういってトロイヤは、ユピテールが袖を通している白く薄いブラウスから透けた下着を、それとなく眺めながら呟いた。無地のTシャツ一枚にデニムのパンツ姿というトロイヤは、両腕を頭の後ろで組むと、ユピテールに話しかけた。
「なあユピ、なにかそのー、良い発想はないかい? いま僕は技術的なことで悩んでいるんだよ……」
「発想はー……ないわ……。というより、あなたはあたしが意見をいっても否定するだけだからね。……ということで、あたしは意見はいわないって決めたの……」
「そうか……。でも、何かあるだろう? いまの僕には誰かの助けが必要なんだ……」
――なにやら深刻でしおらしいわね……――。
いつになく静かに話すトロイヤの声に弾かれて、ユピテールは椅子ごとクルリと向きをかえて、トロイヤの顔に目を落した。
「ツァオベラーのブラックホール・ビームとでもいえばいいのかな……。あれを遥かに凌ぐ発想がいるんだ……でないと……地球は負ける……。いま僕にある案は戦闘中もステルスを維持できる機能。それだけなんだ……。けど……そんな陳腐なアイデアじゃ駄目なんだ……」
「トーヤ、タルタロス奪取の目的……あなた気がついていて?」
「タルタロス?……あの施設には軍事的利用の価値はないだろう? そうとしか思えないけど?」
「違うわ。そうじゃないのよ。奴らは欲しいものがあったからあれを奪取したのよ……そうは思わない?」
「でもー……一体どんな利用価値があるっていうんだ?」
トロイヤは腕を組んだまま天井を眺めてユピテールの言葉を待ち受けた。
「情報よ。科学的な実験データ。あそこにはそれがあるのよ。そのデータが何なのかはわかるわよね?」
「ブラックホールか……。しまった! これこそ大失態じゃないか……そうかー……」
「そうよ、もしもあの出力の装置が戦艦だとかに積まれたら……あたしはすぐにそれに気づいたわ……」
「ユピ、なぜ今まで教えてくれなかったんだ!」
トロイヤはまなじりをあげて声を荒げた。
「大きな声を出さないでちょうだい! あたし、あなたのそういうところが嫌なのよ……。なにかあるとすぐに興奮する……」
「……す……すまない…………。でもそれに気づいたからといって、対処法がなければどうにもならないじゃないか……」
ユピテールはしばらくのあいだ口を閉じて、ちぢれて長い髪をいじりながら俯いていた。
それから顔をあげると――
「ねえトーヤ……怒らないであたしの意見を聞いてくれる?」
「なんだい?」
「あのね、ブラックホールに対抗するものってさ、あると思うの。なんていったっけ、ほら、お星様が死んでしまうときに爆発するやつってあるでしょ? そういうの?」
「ああ、超新星爆発だね……」
「それってさ、兵器に転用できない? だってブラックホールより強そうじゃない……」
トロイヤはユピテールを嘲るように笑った。
「それは無理だろう。そもそも使うこっちの身がもたないよ」
ユピテールはその笑いの意味を敏感に感じ取って感情を爆発させた。
「なんなのよ! 意見をいえっていうから、あたしはいっただけじゃない! それをなに!? あたしを馬鹿にして笑ったっりしてさ、まるで子供扱いじゃない! もう我慢ならないわ!」
それまでユピテールが抑えつづけていたものが噴火してマグマを吹き上げていた。
「ユピ、なにをそんなに怒っているんだ? 意味がわからないよ……」
「あなたってとことん鈍感な人ね……いつもいつもあたしのこと否定して、それであたしが平然としていたとでも思っているの! あたしがどんなに傷ついていたか……わからなかったの? 科学馬鹿もここまで来ると呆れるわ!」
「ユピ、科学を冒涜するな! 人は科学がなければ猿同然だったんだ! 君のその感情がいったい何を成し遂げたというんだ?」
「……馬鹿にしないでよ……あたしもう嫌! あたしはね、もう少しあなたには人間らしさがあると思ってた。……でも、今のあなたには絶望するわ……」
「なにが絶望だ! ふざけるな! ぼくだって人間だ! 何が不満なんだ! いってみろ!」
二人は椅子を蹴って立ち上がると、いまにも殴り合いをはじめそうなほど湯気をあげて、睨み合っていた。
「なら、証明してみせなさいよ! 人間らしいところを見せてみなさいよ! 好きな女がいる……そういう浮いた噂ひとつ聞いたことすらないわ……。少なくともあたしはそういう感情に素直だったわ。あなたの前でもね……」
トロイヤは大きく息を吐いて自分を落ちつけようとした。注がれた視線のさきには、雪のように白い腕を、くびれた腰にあてて立っている女がいた。赤い瞳には何ものにも屈しない覇気があった。薄く濡れた唇はかすか開いて口惜しさに震えていた。すらりと伸びた足は絹のようなぬめりとした艶を放ち、透けるように白く美しい彫刻のようだった。
「証明してやるよ!」
トロイヤはユピテールに近づくと彼女の腕を掴んで力一杯に体を傾けた。
「ちょっと、痛いわ! 何してるのよ! 痛いってば!」
二人は絡み合ったまま床に倒れた。
「なんでこれが証明なのよ! ただの暴力じゃない!」
「違うよ、ユピ。僕はずっと君のことが好きだったんだ。でも……君は妹だった……けどその君が証明しろというなら、僕はそうしてみせる!」
「…………」
トロイヤのバイオレットの瞳は血走り、ユピテールの赤い瞳は恐怖に震えていた。
「やめて! やめて、トーヤ! 気でも狂ったの!?」
「証明してやるよ! そうして欲しいんだろう!」
トロイヤは叫ぶやいなや、白いブラウスの胸元に手をかけて、それを引きちぎった。
「いや! ちゃっと! やめてよー! なにするのよ!」
ユピテールに馬乗りになっていたトロイヤは、叫びなど耳に届いていないかのように、何度も絹を引き裂くような音で壁や天井を叩いた。
「やめて! やめてよーーー!!」
「黙れ! 君が望んだことじゃないか!」
下着に包まれたユピテールの成熟しきった胸が露わになると、トロイヤの白い手はスカートへと伸びた。
「いや! いやーよー!! 兄さん助けてー!」
その言葉をきいた瞬間、トロイヤの狂気を秘めていた瞳に嫉妬の炎が燃え上がった。
「黙れ、黙れよ、ユピテール!」
布が、熟れた女が絶叫して金きり声をあげていた。
「いや、いや、いや……こんなのいやよ……」
純白の肌をしたアルビノの女は、力を使い果たして茫然自失したまま涙を流していた。
「僕は、お前が好きだったんだ……」
トロイヤはユピテールの細い手首を掴んだまま、唇を重ねようとした。
ユピテールは激震する瞳を見開いたまま、黙ってトロイヤの狂った眼を見つめていた。
――刹那、ユピテールのデスクにある電話が鳴った。
「…………」
耳をなぶっていた電子音に気づいたトロイヤは、ユピテールの腕を解いて立ち上がると、デスクへと歩み寄って受話器を取った。
「はい……」
「あ、わたくしです。ガデアンです……」
「ああ、爺やか……」
――爺やがなに? あたし……こんな姿を爺やに見られたくないわ……――。
ユピテールは気が動転して幻覚を見ていた。あられもない姿で床を這うようにして、破れた服をかき集めようとしたが、すぐに無駄だと気づいた。
「その声はトーヤ坊ちゃまですね?」
「ああそうだ、ユピに用かい?」
「いえその……坊ちゃまに伝言をと思ったのですが、直接お話ししたほうがいいでしょうね……」
――爺やまであたしを見捨てるのね……ひどい、ひどいわ……――。
幻覚と幻聴の中で、ユピテールはそれでも必死にクローゼットへと這いよって、ガウンをひっつかむと、素肌ばかりが露わになっていた体にそれを巻きつけた。
「坊ちゃま、落ち着いて聞いてください……このガデアン、一生の不覚です……」
「なに? なんなの?」
ユピテールは、受話器から漏れるガデアンのかすかな泣き声を聞きつけていた。
――爺やはやっぱりあたしの味方だった……でも、なんだか寒いわ……――。
ようやく現実感を取り戻しはじめたユピテールは、全身に悪寒を感じてクローゼットの中で腕をばたつかた。
「……トーリさんが……今しがた亡くなりました……」
――!!!――
「……今……なんていいました?……」
「トーリさんが、亡くなりました。心臓発作で……」
「なぜだ……なぜなんだ!!」
トロイヤの絶叫が執務室を揺るがせた。
「嘘だ、嘘だ、嘘だー!! 僕は……そんなこと信じないぞ……」
コードに繋がれた受話器が宙に浮いたままゆらゆらと揺れていた。そこからはガデアンの涙声が零れていた。
トロイヤは崩れるように床に膝をつくと、嗚咽し、号泣しはじめた。
ユピテールはトロイヤの狂気に怯えながら、震える手で必死にマフラーを首に巻きつけようとしていた。
バベルの塔の執務室には、搭自体が轟音を響かせて崩れゆくような光景があったのだった。




