第20話 魔女の膝枕――ファースト・エクスペリメント
「さあ、試験をはじめるよ……」
石造りの部屋にはデスクや椅子やベッド、そしてコンピューターや様々な電子機器が所狭しと並べられていた。
「この部屋はなんだ?」
アグリオスはそこにある機器が非常に高性能であることに驚きつつ、それを隠してエロスに尋ねた。
「あんたの仕事部屋よ。あたしが用意したわ」
「君は、こんなことをして神に気づかれないとでも思っているのか?……」
「それなら心配はいらないわ。あたしは繊細なのよ。あんたとは違うの……」
エロスは肩の飾りごとマントを外すと、それを壁のフックに掛けながら話していた。
彼女が動くたびに、アクセサリーがジャラジャラと音を立てていた。それからエロスはブーツを脱いで、ベッドに這いあがると、肘をついてその身を横たえた。
「さあ、いらっしゃい。テストをしてやるわ……」
「どういうことだ!?」
「いいからくるのよ!」
声を荒げたエロスの手に、鞭が握られていることに気づいたアグリオスは、素直に彼女の言葉に従って、ベッドに腰をおろした。
「無駄なことを……」
「ごたくはいいいわ。白衣を脱ぐのよ。そしてあたしで楽しみなさい」
アグリオスは言われるままに、白衣を脱いでベッドに横になった。
天井を睨んでいた男の眼には勝ち誇った光があった。
「ものわかりがいいわね。でははじめるわ……」
そういうと、エロスはアグリオスの股間に手を伸ばした。
「無駄だ……無駄だよ……」
エロスはアグリオスの言葉など気にもせず、腕を艶めかしく動かしていた。
「なぜよ!……なぜ反応しないの!?」
「言ったはずだ、無駄だってね……」
「そう……ならこれはどうよ?」
エロスは着ていたベストとスカートを自ら剥ぎ取ると、アグリオスの体に胸を押し付け、腰をくねらせてみせた。
「ふははははははは……」
アグリオスは何の抵抗もせずに、エロスを嘲笑していた。
「どういうことよ! 説明しなさい! さあ早く!」
半身を起したエロスの顔には怒りがあった。
「見たままだし、触ったままだよ。君にはわからないのかい?」
「まさか……まさか……あんた不能なのかい?……」
「そう、わたしは不能者だ。そのことでどれだけ悩んだかは君にはわかるまい……。わたしの研究の原点はそこにあった。同い年の友人たちが次々に性的な目覚めをしていった。だがね、僕にはそれがこなかったんだ。そもそも、興奮するという感覚すらわからなかった。随分と虐められたものさ、そのことでね……。だから、わたしはそいつらを見返してやる。そう決めたんだ。それからの日々は、君も知っているようだがね……」
「あきれたわ……よくも今まで隠し通してこれたものね……」
「みんなそうだった。わたしの才能を認めはした。だが、誰一人、誰一人わたしの生身には興味を示さなかった……まあそういうことだ……」
エロスは同情するような目で、ベッドに仰向けに横たわった、アグリオスを眺めていた。
「可愛そうな人……。いいわ。服を脱ぎなさい……」
「だから……そんなことに意味は……」
「おだまり! いう事をきくのよ!」
エロスは自らも服を脱ぎ去り、アグリオスがのそのそと服を脱いでいるのを手伝った。
全裸になったエロスは美しかった。普通の男であれば、その肢体を見ただけでエクスタシーを感じるほど美しかった。濡れた濃いブルーの瞳には慈愛があった。
「アグリオス……。黙ってあたしを抱きなさい……」
「君はなにを言っているんだ……馬鹿らしい……」
「いいから言われた通りにするのよ」
「…………」
アグリオスは冷めた顔をしてエロスを抱きしめた。すると、胸奥から得もいわれぬ感情が湧きあがってくることに気づいた。
「なんだこれは!」
「男と女はね、ただやるために一緒にいるわけじゃないんだよ。それをあたしが教えてやるのさ。さ、もっと近づくんだよ。あたしの胸に顔を埋めなさい」
それまで感じたことのない感覚に打たれたアグリオスは、興味深げにエロスのふくよかな胸に目をやると、思い切ってそこに顔を埋めた。
「そうだ、いい子だ……。あたしはね……不幸な人間を見ると放っておけないんだよ。あたしのどうしようもない悪癖さ……」
エロスは体に被さった長い髪を払いのけて、アグリオスを抱き寄せた。
「……マ……マ……マ、マ……。ママがいる。懐かしい匂いだ……ママ……」
アグリオスは、エロスの甘く官能的な匂いと、その柔らかい肌に母親を感じて、彼女の体にしがみついていた。
「痛い……痛いよ……。あたしは逃げやしない。このままにしていてあげるから、少し力を緩めて眠っておしましい……」
エロスの細くしなやかな腕が、アグリオスの背中を撫でていた。
「うん、ママ……僕、そうするよ……」
痩せこけた男の顔には深い安らぎがあった。
エロスは黙ってアグリオスを見つめたまま、男を抱きしめていた。
――まさかね……こんな展開は予想外もいいところだ……。しかしまあ、結果としてはいいだろう……。あたしとしても、快楽に沈むのには恐怖もあったのさ。……けどこいつは問題だね。こいつはあたしの母性を刺激しやがった。あたしのもっとも深い部分をだ……。気をつけないと、あたしが呑みこまれちまうんだ……。まったくやっかいな男だ、この男は……。けど、あたしは決して惚れたりはしないよ……。あたしはそういう星の下に生まれたのさ。姉さん……馬鹿な妹を許してね……あたしだって、あたしだって幸せになりたいんだ……けどね……そうもいかないのさ……――。
エロスとアグリオスは、互いの体を抱き締め合いながら、深い眠りの中を心ゆくまで漂っていたのだった。




