第19話 発熱する少女―セドナ
「セド、セド! 今日はバベルの塔に行くのよ。パパとも久しぶり会えるのよ」
「うーん……」
「さあ、起きて。起きてちょうだい」
痩せた白皙の少女セドナは、ガラティアに揺さぶられても、布団を被って抵抗していた。
「あなた……具合が悪いの?」
「いいえ……大丈夫よ。あたし、ユピにもパパにも会いたいんだもの……起きるわ……」
ガラティアは全身をセンサーにして、娘の様子を読み取ろうとしていた。
――それほど具合は悪くない。大丈夫ね。……でも、あの症状はいきなり現れるときもあるから……――。
母は娘がのっそりと起きだして、服を着替えるのをベッドに座ったまま眺めていた。
「食事は出来てるわ。着替えたら降りていらっしゃい」
「なんだか食欲がないの……食べたくないわ……」
「駄目よ、少しでも食べないと……あなたは体が弱いんだから……」
ガラティアはセドナの額に手を当てて、微熱がないことを確かめながらそういった。
「けど……食欲がないときに食べると、あとで気分が悪くなるのよ……」
着替えをすましたセドナは、怠そうにベッドに座りこんでいた。
「しょうがない子ね。わかったわ。じゃあお弁当箱につめるわ。それが済んだら出発よ。それまでにあなたは荷物を準備しなさい」
「……はーい」
欠伸をしながら返事をしたセドナの頬に、ガラティアはキスをすると、階下へと降りていった。
エアカーに乗った二人にとって、外出は久しぶりのことだった。戦争がはじまって以来、ガラティアはパートに出ている工場と自宅を行き来し、セドナは自宅と学校の往復を繰り返していたのだ。一時間ほどで、バベルの塔に着いた二人は、駐車場の警備員に案内されて、搭のエレベータへと向かっていた。そのとき、ミマースの乗るジェットが着陸してくるのが見えた。
「奥さん、いいタイミングですね。こいつは幸先がいいですよ」
何度かの訪問で顔見知りになった警備員は、白い歯を見せて空を仰いでいた。
「だといいんですがね……」
「さ、どうぞ、お嬢ちゃん。そこ気をつけてね、段差があるから」
警備員の男は病弱そうなセドナを気づかって、エレベータに乗せると、壁にあるボタンを押して扉が閉まるまでそこに立っていた。
エレベーターはぐんぐんと建物の中を登り、すぐに二人を最上階へと運びおえた。電子音のメロディーととも扉が開いた。
「ここから先が長いのよねー。校庭を三周。そんな感じなのよ。まるで悪いことをしてお仕置きを受けてる気分になるのよね……」
セドナは不満顔をして唇を尖らせた。
二人はそこから、数百メートルある直線通路を歩かなければならなかったのだ。かつて、トロイヤがトーリとカロンと共に駆け抜けた通路だった。
ようやく巨大な観音開きの扉に辿り着くと、ガラティアがチャイムを鳴らした。巨大な扉は固く閉じたままだった。しばらくすると、その扉に取り付けられた小さなドアが開いて、黒緑のちぢれ毛を嬉しそうに揺らした、ユピテールが姿を見せた。
「ラティさん、セドナ、ようこそ! 入って入ってー。もうね……退屈してて死にそうだったの」
「あはは……ユピ姉さんたら大袈裟なんだから」
セドナは屈託なく笑ってそういった。
「それはそうよ、喜びは素直に表現する。そして退屈もそう。それがあたしの取柄だからね」
「あたし、姉さんに憧れるわ。来るたびにそういう気持ちが強くなるの」
「あらー、その割には、会いたい会いたいって、我が儘いわないのね?」
「だって、そういうの好きじゃないんだもの。なんていうか、強引なのは好きじゃないの」
三人は執務室の柱を何本も通り過ぎて、ようやくユピテールのデスクへと辿り着いた。
「やあ、セドナ! 元気そうだね。今日は顔色が凄くいいね」
トロイヤがデスクから手を振っていた。
「ええ、元気です。今朝は少し怠かったんですけどね」
「ああ、ごめんなさい。相変わらず忙しくてね。テーブルひとつ出してないのよ……」
「平気、平気。そんなこと、あたしがやるわ」
そういって、ガラティアは慣れた手つきで、丸テーブルを出したり椅子を運びだした。
「いいなー、セドは。ママがいて……」
ユピテールのその声には深い羨望がこもっていた。
「ママはうるさいだけよ。あれをしろ、これをしろ。あれは駄目だってね……」
「あはは……。でもあたしには、それが楽しそうに見えるのよ。あなたとラティさんを見ていると、爺やと過ごした頃を思い出すのよ……」
三人の女たちは、テーブルを囲んで会話の花火を打ち上げていた。
トロイヤはそれを耳にしながらも、忙しそうに電話を受けてはモニターを睨んで、仕事に励んでいた。
セドナは敏感な感性の持ち主だった。トロイヤに気を使い、しだいに会話に集中できなくなっている自分に気づいていた。しかし、ユピテールもガラティアも彼女の微妙な変化を見逃していたのだ。
「ねえ、セド。あなた少し顔色が悪いわ?」
はじめに異変に気づいたのはユピテールだった。
「そうかしら? 朝はもっと青い顔をしていたわ……」
「ううん、姉さん……具合は悪くないのよ。ただ少し緊張してるだけなの……」
「ああ、解ったわ。……あそこにいる、いかつい顔して仕事の鬼になっている、トーヤ兄さんが気になるのね?」
「あはははは……姉さんたら……」
「え? 僕? そんなに怖いかい? セドナ……」
会話に反応したトロイヤが満面の笑みを向けて話しかけてきた。だが、その笑顔には無理があった。
「兄さんその顔……。頬がヒクヒクしてるわ……。作り笑い過ぎるってば……」
そういってセドナは笑ったあと、急に咳き込みはじめた。
「セドナ、大丈夫?」
ガラティアとユピテールが席を立って少女の側に寄り添った。
「ゲホッ……ゲホン……コホン……コホ……」
ユピテールは止まらない咳に異常を感じとってセドナの額に手を当てた。
「やだ、凄い熱! ラティさん、お薬は持っていらっしゃいます?」
「あれ? 確か持ってきたはずなのに……あれ?」
ガラティアはバッグを掻きまわし、終いには中身を床にぶちまけて薬を探していた。
「トーヤ、水。水を持ってきてちょうだい!」
「ああ、わかった!」
「ラティさん、とりあえずセドナをあたしのソファーに」
「ええ……」
ガラティアは娘の華奢な体を抱き上げると、ソファーに寝かしつけた。
セドナの体は火のように熱く、全身から汗を噴き出させて服を湿らせていた。
「母さん苦しい……姉さん助けて……」
それは異様な声だった。セドナが発した言葉は、かすれた男の声そのものだった。
「セド、無理に喋らないで……」
「水、水を持ってきたよ……」
ユピテールはトロイヤからコップを受け取ると、セドナを抱き起して、水を飲ませてやった。
「あった、あったわ、薬あったわ……ユピ、これを飲ませてあげて!」
コップに残った水で、セドナはなんとか薬を飲みくだした。
そのとき、チャイムが部屋の空気を震わせた。来訪者はミマースだった。
「ああ、助かったわ! 医務室に運ぶにしても、あたし達じゃどうにもならなかったもの……」
「どうした!? 何があった!?」
すぐに部屋の空気の異常に気付いたミマースは、ソファーの側へと駆け寄ってきた。
「セドが、セドが……」
ユピテールとガラティアは、哀願するような目でミマースを出迎えた。
「まずいな……。ここまでの症状ははじめてだ……。とりあえず医務室に運ぼう……」
ミマースはそういうと、娘を軽々と抱き上げて、部屋と直線通路をひた走って医務室へと向かった。
それに遅れまいと、ユピテールとガラティアが後を追った。
――くそー。なんとか彼女たちの苦痛を和らげてやりたい……。でも、僕は忙しすぎるんだ……。医療開発にまで手がまわらないんだよ……。許してくれ、セドナ……ゼンタ……。トーリ、僕はどうすればいいんだ? 眼の前で苦しむ妹のような存在を救うべきなのか? それとも戦争で亡くなる人を減らすべきなのか……もうわからなくなってきたよ……トーリ、トーリならどちらを選ぶんですか!? 教えてよ!……――。
トロイヤは自らの無力さを思い知って、床に座ったまま自問自答を繰り返していた。
――そうだ……そうだよ。僕自身が病弱で苦しんできたんだ。なのに何故ぼくはそれに気づかなかったんだ……。でも、でも……もうムーンベースのような悲劇も、木星宙域のような戦いも繰り返したくはないんだ……。僕はどうすればいいんだ……――。
しばらくの間、胸中で懊悩し続けていたトロイヤは、スミレ色の瞳に何かを宿らせると、すっくと立ち上がった。
「止めてやる、この戦争を。何もかも戦争が起こした悲劇なんだ! 僕がこの戦争を終わらせるんだ!」
トロイヤの眼は一点に注がれた。そこには揺るぎない決意があった。




