第16話 補給線――疲弊しゆく心
のちに「第一次木星宙域会戦」と名付けられた戦いは終わった。だが、地球軍にとって本当の戦争はそこからはじまったといえた。広大な宙域に渡って漂流している生存者の救出、負傷者の手当てと搬送、再使用可能な資源材料、機材や残骸の回収といった、戦闘より遥かに手間も時間もかかる、重要な仕事が残されていたからだ。
無事に生き残った艦船にあっても、動力源である原子炉が故障したり、姿勢制御装置が破壊された船は無数にあった。そうした船は、戦闘艦や輸送船の牽引ビームに引かれ、通常航行で数ヵ月をかけて地球へと帰還したのだった。
そこに立ちはだかったのが、火星に根をおろしたヘルメス配下の戦団であった。ヘルメス配下の「タルムード」団は、小規模の戦団を編成して、火星と木星の間にある小惑星帯に放ち、ツァオベラー艦最大の利点である、ステルス性能を発揮して損傷艦を襲い、時には撃破し、時には拿捕したのだ。地球軍はこうした帰路上の障害にあって、多くの船とその人員を失っていった。
普段であれば、ヘルメスはそうした襲撃を楽しんだ。怪鳥のような笑い声をあげて楽しんでいた。だがこのときは、彼にはそうした余裕すらなかったのだ。ヒドラの指示をうけ、火星基地の整備改装にはげみ、宇宙に漂う廃品を回収しては、資源資材の確保に奔走していたのだ。
海王星に本拠地をおくツァオベラーにとって、資源の確保ほどの難事はなかった。固く厚い岩や氷に閉ざされた太陽系の外惑星。そうした星々での資源開発力は、まだ幼少期にあったのだ。
「やつらを支配するためには、火星がいる。予は火星が欲しいのじゃ……」
悪魔神アメミットの神託は実に的を得ていた。火星の地表には大量の酸化鉄があり、大気にはアルゴン、窒素といった資源が存在していたのだ。しかし、聖戦団が海王星の本拠へと資源を輸送しようとすれば、木星域に駐留し続けた地球軍の第五、第六艦隊によって輸送を阻止された。その反対に、地球軍が木星域の資源を本星に輸送しようとすれば、火星の「タルムード」団に輸送を阻止されたのだ。
両勢力は互いに資源地と本星の間に敵の拠点をはさみ、その宙域では日夜、小競り合いが繰り返されていたのだった。
「総長、大勝利ですな! これで世論も安定するでしょう。それに、何よりあれだけ叩いておけば、奴らはしばらく大規模な作戦行動は不可能でしょう。勝てますね、この戦」
そう意気揚々と語る将軍にたいして、ムーシコフは表情のない顔をして同意してみせたものの、胸の底では、一番恐れていた状況である、消耗戦に陥りつつあることを杞憂していたのだ。
ムーシコフの苦悩を読み取ったミマースは、様々な私案を持ち寄っては打ち明けていたが、総長の顔色を変えることはできなかった。
『両軍、木星域でまたも激突す! 地球軍の圧倒的勝利に終わる!』
『地球軍、火星域で襲撃される! 武勲艦サン・マルチーノ沈む……』
『火星奪還計画の実施はここ三ヵ月以内か!? 戦争終結は近いのか!?』
日々、地球上を駆けめぐったニュースは、市民たちを一喜一憂させては世論を傾かせた。だが、そうした統制はユピテールの手腕により完全にコントロールされていた。
しかし、正確な状況を知るものの憂慮はしだいに深まり、亀裂さえ生み始めていた。
「だから、あなたはどうしてあたしの意見を頭から否定するのよ! 意見を求めておいて卑怯だわ!」
「ユピ、そうじゃない。僕は否定したつもりはないんだ……。ただ科学的根拠を求めただけじゃないか」
「科学、科学、根拠、根拠、あなたはそればかり。あなたには人間の心がないわけ? そんなに科学が好きなら、科学で宗教でもつくるといいわ……」
トロイヤとユピテールは技術的な問題で激しくぶつかりあい、互いの感情を爆発させては、いがみあった。
エリスは娘であるグリークを心配するあまり、海兵隊という声がTVから聞こえる度に、ニュース映像に食い入っては齧りつく日々を送っていた。
「そんなニュースはデマだ……いまグリはその宙域にはいないよ」
ハウがそう話しかけても、エリスは聞く耳ひとつ持たずに、かえって反発したのだ。
「あなたが軍と繋がっているからって、あなたの情報が正確とはいえないわ。そうやってあたしを騙そうとするのはやめてよ! そんなもの、何の慰めにもならないわ!」
不安のあまり、エリスは急に老け込んで、深い皺を刻みはじめていた。
してやれることを失ったハウもまた、俯く日が増えていったのだった。
「クロエ。カルテのデータが行き違ってるじゃないか。これじゃ患者が死んでしまうよ」
「どれ? 誰と誰のデータ? ……ああ、その人なら二時間前に亡くなったわ……。カルテなんて間違えてようが関係ないのよ……」
「そういう問題かい!? カルテの行き違いがそういう結果を生んだんじゃないのか? 原因を追究すべきだ」
「じゃあすればいいわ。あたしにはそんなことをしている時間がないの。現場だけで手一杯なのよ。カルテがなにになるの? そんなものは患者を救わないわ。不足してるのは人手と医薬品よ。カルテじゃないわ……」
「クロエ……」
ことに「第一次木星宙域会戦」に参加したDOXA隊の苦悩は深かった。戦闘が終わりしだい病院船としての活動を開始した乗員たちは、人格コンピューターの協力をうけて、日ごとに増えてゆく患者の救護や搬送に翻弄されていたのだ。ただでさえクルーの少ないDOXA宇宙船にあっては、それは過酷で過剰なまでの勤務体制を呼び、乗員の心を荒ませていった。
ニクスもシノーペも船長や通信士という役職に拘らず、ダフニスたちに協力した。だが、そうしたことも焼け石に水だったのだ。
妊娠していたシノーペはニクスの厳命を受けて、無理をすることを止められていた。だがそうしたことが尚更クロエの感情を逆立たせたのだった。
「頭ではわかっているのよ……でも……感情が許さないのよ……。あたしだって辛いの……」
「…………」
そうしたクロエの姿を見たダフニスは、医師とはちがう感情で、ただ黙って彼女を抱きしめた。唇を噛みしめて拳を振るわせているクロエにとって、ダフニスの胸は唯一の救いだったのだ。
ツァオベラー陣にとっては人員は使い捨てされる運命にあった。しかし、一部の指導者に関してはそうではなかった。元々強固な支配欲や憤懣や飽くなき欲望をもった男女、そうした者たちがツァオベラーの幹部であった。洗脳に似た技術の開発は進歩していた。だが、それには限界があったのだ。欲望を強化しようとすればするほど、その人間の寿命が短くなるという欠点があったのだ。法皇と大司教であるヒドラと、ドゥオーモに席を持つ司教たちは、対策として欲望強化法の改善、極度のオートメーション化、艦船兵器システムの改良などを、日夜討議しては、アメミット神に伺いをたてて、神託を受けていた。しかしまだ決定打と呼べるものが見つけられていなかったのだ。
両勢力は互いに、体内と体外に苦悩を抱えて呻いていた。双方とも、このままの状態が続けば消耗戦で体力を奪われて自滅しかねなかったのだ……。




