エピローグ
それから時が過ぎた。
「大臣、時間です」
「うむ」
海軍省の大臣室にいた将宏は副官からの言葉を受けて立ち上がり、外に向かい用意していた車に乗り込む。車はそのまま発進した。
「前田総理達も料亭に向かっているようです」
「そうか」
車は戦前から利用している料亭の前で止まり将宏は料亭に入り、いつもの部屋に入室した。
「お、来たな」
「遅れたか?」
「今揃ったところだ」
部屋には前田総理、三木武夫、福田赳夫といった史実戦後日本で活躍した人物達が勢揃いしていた。
「では会合を始めよう」
前田総理の言葉に会合が始まった。
「新幹線の建設はどうか?」
「山陽新幹線ですが、新大阪から広島までか開業しています。また博多までの開業は昭和五十年頃かと……」
「在来線である山陽本線の整備もしておけ。新幹線だけが栄えて在来線が廃れるのは駄目だ」
「分かりました」
この会合も時を重ねて大分世代交代をしていた。会合の実質的リーダーであった宮様は既に亡く、山本五十六や吉田茂も世を去っていた。
将宏の経歴も大分変わっていた。戦争が終わってから翌年、将宏は空母飛龍副長を任命され次いで空母隼鷹艦長、ラバウル航空隊司令官、第八航空戦隊司令官を歴任していた。そして昭和三二年に第二機動部隊司令長官に就任した。この時のGF司令長官は山口多聞大将だった。
そしてベトナム戦争を従軍し松田千秋大将の後を次いでGF司令長官に就任した。その後、海軍大臣に就任した。
一方、松田は異なる経歴を持つ。少将の時に第三機甲師団司令官をしていたが朝鮮戦争で左足切断の負傷をして退役した。その後は何と政界に足を踏み入れた。最初は池田勇人の秘書をして自民党の衆議院議員として当選した。
運輸省の事務次官を歴任して自民党総裁になり総裁となった。色々と型破りな事をしたらしいがあまり本人から語られる事はない。
「アメリカは韓国に武器を提供しているみたいだ」
「ソ連も北朝鮮に同様な事をしている」
「此方に被害が来なければ良いが……」
会合はそのような話をしていきやがて終了するとバラバラに帰っていく。一気に帰るとブンヤが嗅ぎ付けてくるからだ。そして将宏と前田総理が残っていた。
「あれから三十年くらいか……」
「お前と初めて会った時のが昨日のように思えるよ」
二人はそう言いつつ酒を飲む。
「東條さんや山本さんもいない……何としても日本を史実のようにしてはいかんな」
「うむ。若い世代に苦労をかけるかもしれんがな」
「なに、若い者は育っておるよ」
将宏と前田総理には成長した子ども達を思い浮かべた。将宏の長男は海軍に入隊して今は中尉にて台湾にいた。
前田総理の長男は政界に踏み入れていた。
「まぁとりあえずは今を頑張ろうか」
「そうだな」
二人は遅くまで飲んでいた。そして妻達に怒られるのであった。
一人の青年は歴史に立ち向かい、見事に勝利した。そしてそれを語られ、真実を知るのは極一部の人間しかいない。
――『完』――