ね:猫~瑞樹サイド~
僕はタマ。
タマって名前をミズキちゃんに貰う前のことは、少ししか覚えてない。
多分、兄弟は沢山いたと思う。お母さんのミルクが暖かくて甘くて大好きだった。今貰えるミルクも美味しいけど、やっぱりお母さんのミルクが一番。
でも、ある日、真っ暗な箱の中に入れられて。お母さんも兄弟もいなくて、寒くて怖くて、ずっと鳴いていたら、誰かが箱を開けてくれた。明るくはなったけど、風が入ってきてとても寒くなった。寒くて鳴いたら、水の音がして、ずっと地面が揺れるようになった。気持ち悪くて、鳴いたら吐いちゃって。それでも鳴いていたら、揺れが収まった。見上げたけど、誰もいなくて。
さむいな。
おなかすいたな。
さみしいな。
だれか、そばにいてほしいな。
そう思って鳴いたら、ミズキちゃんが抱き上げてくれた。
とても暖かくて、嬉しくて。
ミズキちゃんが大好きになった。
タマって呼んでくれる声が好き。ダメって言われるのは悲しいから、言われないようにして。いい子って撫でてくれるのが大好きだから、もっと言ってほしくて。僕はどんどんミズキちゃんが好きになっていく。
おかえり、って鳴くとミズキちゃんはすぐに抱き上げてくれるから。
今日も玄関が僕の場所。
清水瑞樹は、地味な高校生だという自覚がある。友達と呼べる人は数人だし、本を読むのが好きだから、なるべく静かなところにいたい。髪は一つにみつあみ。面倒くさいが、これが意外と崩れない。暗いところで本を読み続けたせいで瓶底めがね。ある意味絶滅危惧種か。とにかく、面倒くさいことはやりたくないし、騒がしいのも嫌い。目立つなんてもっての他。誰にもかまわれずに本を読んでいたい。そう、思っていたのに。
ある日、いつもの通り図書館で過ごして遅くなった帰り道。
瑞樹は、近くのドブ川にさしかかったとき、見たくないものを見てしまった。
汚いドブ川の真ん中に、子猫のはいったダンボール。
「・・・やめてよ・・・」
瑞樹は見なかったことにしよう、と数歩進んだが、それ以上足が動かなくなってしまった。ちらり、と目をやると、箱の中の子猫は本当に小さい。かすかに鳴き声が聞こえてくる。
「・・・なんでこうなんのよっ」
辺りを見回して誰もいないことを確認すると、土手を降りてドブ川の中にザブザブと靴のまま入っていった。鼻が曲がりそうな悪臭。ドブ川が浅いとはいえ、制服のスカートもドロドロになっていた。灰色の沼のような川を何とか進んで、ようやく子猫の入った箱を掴むと、怒りに任せて一気に川端まで戻った。
臭い、汚い、気持ち悪い。
ダンボールは三重に重ねられていたが、長く水につかっていたため、今にも底が抜けそうになっていた。その中には手の平ほどの大きさしかない、子猫。
瑞樹はダンボールを地面に降ろして、ドロドロのままその場から離れようとした。衝動的に水から助けたけど、猫を飼う余裕はない。さっさと行こうとしたのに、かすかな鳴き声が聞こえてきた。
聞こえてしまった。
「・・・だぁーっ、もうっ!!」
助けた命には最後まで責任を持たねばならぬ。
何かの本で読んだ台詞が頭に浮かんできて、瑞樹は一層腹が立った。足音も荒くダンボールに近づくと、そっと子猫を抱き上げて、トボトボと帰路についた。